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幹細胞・1b

 マーガレットは、貨物船に入った瞬間から、想像以上の熱気に襲われた。


 通路は狭く、そこを通るには身体を横にしてカニ歩きしなければならない。しかも、中は薄暗い照明しかないので、閉所恐怖症の人間が入るのは難しそうだ。船内の九十パーセントは貨物スペースになっていて、そこは床から天井までぎっしりとハニカム構造の棚が並んでいる。ハニカム構造とは、蜂の巣のような六角形をぎっしりと並べた構造のことだ。


 六角形の縦横の長さはおよそ二フィート(フィートはアメリカの長さの単位。一フィートがおよそ三十・五センチメートル)ほどで、そこに引き出し型のコンテナが収納されている。知性体のノヴァ(仮の名称)を見つけるためには、炭素が詰め込まれたコンテナを一つ一つ引っ張り出して、その中身を確かめなければならない。


 格納庫全体も縮尺の違うハニカム構造になっている。六角形の個室がびっしりと連なり、上下左右に延々と続く階層になっている。その六角形の縦横はおよそ二十フィート(六メートル十センチ)で、引き出しの棚の十倍だ。人間が移動できるスペースの幅は五十センチほどしかなく、階層を縦に移動するときは、梯子を使って上り下りする。


 各階層の一番高い六メートルの場所にある棚を捜索するときには、隊員たちはそれぞれ手持ちの小型超伝導エレベーター(商品名はマグレブ・ボード)を用いる。それは見た目には小さなスケートボードだが、自在に浮遊することのできる小型超伝導モーターが搭載されている。人がその上に乗って、狭い通路の中を好きな場所まで移動できるのだ。


 ただし、十一人いる隊員(そのうち一人はマーガレット)に対してボードは四つしか支給されていない。そのため、上の棚を調べる者はボードを使い、下の棚を調べる者は自分の足で移動するという一連の動作を交代しながら行うことになる。


「次はお前がボードを使え、マーガレット」

 ずっとつきっきりで指導してくれているグラハム警部補が、彼女にボードを渡してきた。

 熱気がこもっている高い場所から降りてきた警部補は、顔中が玉の汗だった。何度も汚れた手で汗を拭ったせいで、彼の顔は炭で真っ黒になっていた。その手に握られているボードにも、汗が滴るほどに溜まっていて、同じく黒く煤けていた。


 しかし、マーガレットは汗や汚れには頓着しなかった。それよりも、この初めて使う道具に強い興味をそそられた。こんな不思議な道具は、見るのも使うのも初めてだった。


「滑るから気をつけろ」

 とグラハム警部補は言い残すと、梯子を上って次の階層へ移ってしまった。


 マーガレットはマグレブ・ボードにおそるおそる乗り込んだ。ブーツの裏がボードに接触した途端に、彼女のネビュラに操作のためのユーザーインターフェースが開いた。


 それは実にシンプルなシステムだった。ユーザーインターフェースには、簡略化された人体モデルがボードの上に立っている映像が表示されている。使用者が進もうとする方向に意識を向けたり、つま先を傾けたり、体重を移動したりするだけで、その動作が何を意味しているのかをコンピューターが自動的に読み取って、ボードを動かしてくれるらしい。普通のスケボーのように、バランスを崩したときにひっくり返ってしまうようなことはない。


 基本操作(チュートリアル)の説明通りに、ボードの上で足を動かしたり、しゃがんだり立ち上がったりすると、やがてマーガレットの身体とボードとが同期して、ただ頭の中でどこに行こうか考えただけで自在に移動することができるようになった。


「こいつはすごいや、人間の技術の到達点だね」

 楽しくなってしまったマーガレットは、初心者にしてはやや出しすぎなスピードで浮上した。彼女の背中に背負っていたサブマシンガンが、棚の出っ張りにぶつかって派手な音を立てた。先に上の階層に移っていたグラハム警部補の横を彼女がすり抜けるとき、彼がびっくりしてのけぞるのが視界の端に見えた。


「ごめんなさい、ボス」

「そいつはおもちゃじゃないんだぞ。遊ぶのは、仕事が終わってからにしろ」

「ごめんなさい、遊ぶのは仕事が終わってからにします」

 マーガレットはぺろりと舌を出して反省すると、すぐに仕事に取り掛かった。


 ビギナーズラックはこういうときに起こる。


 彼女が最初のコンテナを引っ張り出した途端に、これまでとはまったく違うものをその中に発見した。そこには真っ黒なカーボンやグラファイトの塊ではなく、ふっくらしたほっぺの赤ん坊が白い布に包まれて眠っていた。マーガレットは思わずそれをもう一度凝視しそうになったが、鉄の意志でそこから視線を引き剥がした。


 マーガレットはとっさに目を閉じると、すぐ横のコンテナを大急ぎで開けた。そこには見慣れた真っ黒な炭素の塊が入っていた。彼女は、しばらくそれをじっと見つめた。


 緊急()出動()部隊()のネビュラは、隊員全員が情報を共有することになっている。その記録はすべて、任務終了後に報告書に添えて本部に提出される。マーガレットが今見た、「真っ白な布に包まれたふっくらしたほっぺの赤ん坊」を、他の人間に知られるわけにはいかない。


 彼女は即座に、情報改竄プログラムを立ち上げた。それは過去にさかのぼって、見たこと聞いたことの情報を書き換えることのできるソフトウェアだ。さらには偽装したタイムスタンプを差し込むことで、時系列さえも並び替えることができる。


 マーガレットは、すぐ横の関係ない引き出しに入っている炭素の塊の情報を、「真っ白な布に包まれたふっくらしたほっぺの赤ん坊」の情報に上書きした。


 そして、興奮を抑えながら、姉のアレクサに連絡した。プライベート回線を通して、そのたった三語の英文が伝わっていく。


 見つけたよアイ・ファウンド・イット


 マーガレットの心臓は激しく波打った。噂には聞いていたのだ。機械細胞(マシン・セル)の今度の新しい知性体は、人間に限りなく近いものになるらしい、と。しかし、それがこれほどまでにはっきりと、人間の形を取って現れるとは、夢にも思っていなかった。


 もう一度、あのふっくらしたほっぺを見てみたいという誘惑が、彼女の頭をいっぱいに満たしていた。だが、今は近くに警察がたくさんいるので、そうするわけにはいかない。


 胸をどきどきさせているマーガレットのネビュラに、姉のアレクサからの返事が届いた。

「今から貨物船ごと爆破するから、あなたは隠れなさい」

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