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ガラパゴス・ガーディアンズ2 あるいは航空宇宙消防本部第十八小隊  作者: 霧山純
第一話「桃井翼、ジャーナリストになります!(前編)」
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桃井翼、ジャーナリストになります!(前編)・3b

「どこでも君が行きたいところにつれて行ってあげるよ」

 ギリシャ神話の女神そのものの格好をした幸子は、ひょいと立ち上がると、学習机の椅子に腰かけた。彼女は大胆に脚を組み、退屈そうに手の爪をいじり始めた。「どこか行きたいところはないの? どこでもいいよ」


 正座して並んで座っている翼と智香は、なんだかお説教を受けているような気分だった。脚を組んだ幸子の裸足が、二人の目の前でひらひらしている。

「どこか行きたい場所がはっきりしているなら、こんなにうじうじ悩んだりしません」

 翼は、自分がはっきりしていないことをはきり言葉で表した。


 翼がさっきまで下の居間でぐったりと干物になりそうになりながら寝ていたのも、どこにも行きたくないし何も考えたくないという気分だったからだ。両親がいる自宅から遠く離れたおじいちゃんの家に入り浸っているのは、ここなら誰からもやいのやいのと言われないからに他ならない。


 隣りの智香は気まずそうな顔をしている。

「お師匠、せっかく幸子さんがいらっしゃったんですから、何か思いつくことをおっしゃってください」

「そんなこと言ったって……」

 そうやってせっつかれるのが今の翼には一番苦痛なのに、親友にまでそう言われてうんざりだった。


 翼は他の話題で紛らわそうと思った。

「ところで幸子さんは、どこからいらっしゃったんですか?」

 幸子は、ほじくりだした爪の垢をふっと息で吹き飛ばした。

「私? 私はタイタンにいたの」

「タイタン?」と翼。

 智香が、そっと翼に耳打ちした。翼は言った。

「それって、土星の衛星のタイタンですか?」

「そうだよ」

 幸子は、二つ目の爪の垢を吹き飛ばしながら答えた。


 翼と智香は顔を見合わせた。今日は二〇七一年七月二八日の火曜日だ。この時点での地球と土星との距離は、およそ十四億七千八百万キロメートルも離れている。火星までが二億三千万キロメートルだから、軽く六倍以上にもなる。


「お忙しかったんじゃありませんか?」

 翼がおそるおそる訊くと、幸子は軽く首を横に振った。

「ううん、別に、暇だったし。クリスちゃんがタイタンに補給基地を作りたいって言うから、それにくっついてただけだもん」


 彼女が「クリスちゃん」と気安く呼ぶ人物は、この太陽系においてもっとも多くの富と権力を保有する大富豪クリスチャン・バラードのことだ。彼はソラリ・スペースライン・グループの会長として、宇宙開発に携わるすべての企業に大きな影響力を持っている。幸子は、そんな人物と愛し愛される関係だった。


 クリスチャン・バラードは、木星の衛星エウロパの知的生命体からテクノロジーの権利を譲り受け、それを自由に行使できる立場でもあった。エウロパは他の文明との交流を拒絶し、平和な孤立を保証してもらうために、クリスチャンにすべてを委ねたのだった。


 エウロパには、光速を超えた速度で移動できる超光速ファスター・ザン・ライト・輸送(トランスポート)なるテクノロジーが存在することは、翼たちのような学生でもよく知っている。

 そのテクノロジーを、この天野幸子という人物はまるで暇つぶしの手段のように日常的に利用しているのだ。


 そんなに自由自在に宇宙を股にかけられるのなら、翼もその旅に連れて行ってもらいたいと思った。ちょっとワクワクしながら、翼は言った。

「ねえ、幸子さん」

「ん?」

「どこでもいいから、私を遠くに連れて行って」

 幸子は渋い顔をした。

「どこでもいい、が一番困るんだよね」

 幸子は手の爪をほじり終えたので、次は足の爪に取り掛かろうとしているところだった。「具体的に決めてもらわないとさあ、こっちも動きようがないんだよ」


 翼は慌てて言い直した。

「じゃあ、私が会いたい人のところまで連れて行って」

 幸子は目の前まで持ち上げた足の指の間から、翼のことを見た。

「会いたい人って、誰?」

「ええっと……」

 自分から言い出したのに、翼には会いたい人がまったく思い当たらなかった。姉の華に会いに行くのはどうかと一瞬思ったのだが、こんな状況で会いに行ったところで「進路はどうのこうの」と親と同じことを言われるのが目に見えている。


 翼はどうにもならなくて困り果てた。自分で自分がわからない。重い粘着質の沼の中で、手足を取られてどうあがいても浮かび上がれない絶望に囚われている気分だった。

 幸子は、持ち上げていた足を下に降ろした。そうして、椅子に座ったまま前に身を乗り出し、答えに困っている翼の顔に自分の顔を近づけた。


 幸子は、らしくない真顔になって、言った。

「翼くん、自分に正直になりたまえ。君はそうやって自分には何も心当たりがないような顔をしているけど、実は心の底には本音を隠している本当の自分がいて、外に飛び出すチャンスを求めてもがき苦しんでいるんだよ」


 黙っていれば絶世の美貌を持つ女性にそんな近くで目を見つめられると、翼は頭の中がウキウキとワクワクで埋め尽くされるような興奮に襲われた。まるで酒に酔ったように(飲んだことはないが)、翼はとっさに、こんなことを口走った。


「それなら、ディビッド・リップマンさんに会わせてください」

「ほう」

 幸子は驚いて、椅子に座り直した。「おぬし、リップマンさんに会いたいとな」

 翼自身、どうして彼の名を言ってしまったのかはわからないが、こうなったらこれで押し通すしかないと思った。もしかしたら、幸子が言うように、これが自分の本音かもしれないとうっすら感じてもいた。


「幸子さんは、リップマンさんと会ったことあるでしょ」

「そりゃもう、戦友みたいなもんだからね」

 ただし、幸子の戦友というよりも、パートナーのクリスチャン・バラ―ドがリップマンと親しくしているので、そのご相伴にあずかっていると言ったほうがより正確だ。


 翼は、もっと踏み込んでみた。

「幸子さんは、最近、リップマンさんと会ったりしてるの?」

 幸子は微妙な顔をした。

「最近は会ってないかも。クリスちゃんも、たぶん彼とは会ってないと思う」

 今度は智香も話に参加した。彼女もこの話題には興味をそそられてたまらないようだ。

「どのくらい前から会ってらっしゃらないんですか?」

 幸子は天井を見つめて、うーんと考え込み、

「もう二年くらいかな」と言った。さらに、こうつけ加えた。

「だって、どこにいるかわからんし」


 二年前と言えば、リップマンが突如として表舞台から姿を消した時期と重なっている。幸子ほどの立場の人間にも、リップマンはその消息を知らせていないらしい。

「もしかして、もう亡くなっているんじゃあ……」

 智香がそんなことを口走ると、幸子は首を大きく横に振った。

「たぶん、それはないよ。もし、彼が亡くなっているなら、うちのクリスちゃんがそれを知らないはずがないんだから」


 彼が生きているとするなら、彼と会うことは、きっとこの世界の誰もが知り得なかった事実に触れることになるのではないかと、翼は強く興味を引かれた。胸の高まりが抑えきれない。あの三つ揃えのダークスーツを着たジャーナリストに一目会ってみたい。そんな気持ちが、華の中で大きく膨らんだ。


「幸子さん、今からリップマンさんを探しに行きましょうよ」

 さっきまで何をしたらいいのかわからないモラトリアムの真っただ中にいた翼が、急に自分から行動を起こした。


 ギリシャ神話のアテナの格好をした幸子は、ようやく召喚主がやる気を起こしてくれたことを喜んだ。

「ようし、じゃあ、それでやってみようか。リップマンさんがどこにいるのか、これから三人で探しに行こう」

「私もですか?」

 智香は驚いて、自分を指差した。

「智ちゃん、そりゃないよ」翼は抗議した。

「だって、私は相談に乗っていただけですし……」


「今さら逃げられると思うなよ」

 幸子は不敵な笑いを浮かべ、舌なめずりをした。

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