回転するギロチン・4b
突然、船に急ブレーキがかかった。エンジンが逆噴射し、乗客たちの身体が一斉に前方に投げ出された。
こういった事態に備えて、突入前に腰のシートベルトに加えて肩に回すハーネスが全員に装着されていた。そのハーネスが肩に食い込み、鎖骨がみしみしときしむほどに、猛烈な逆方向の重力加速度が襲ってきた。
船内に甲高い悲鳴が響いた。すぐ隣に座る晴香と、その向こうの沙織が同時に金切り声を上げたのだ。それはあまりにも耳元に近かったせいで、和馬はしばらく音が聞こえなくなってしまった。
続けて船が旋回した。今度は横向きの重力加速度が襲ってきた。右の窓際に座っていた和馬は、船の内側へと身体を持っていかれた。肩のハーネスと腰のベルトだけに体重が乗っている状態になり、下手をするとその間から身体がすっぽ抜けるのではないかという恐怖を感じた。
それは横にいる二人の女の子も同じだった。沙織の長い髪が、遠心力に引っ張られて天井近くまで舞い上がり、ときには和馬の鼻先をくすぐるところまで届いた。晴香と沙織はお互いに手を伸ばし合っているが、身体が振り回されて思うように相手を握ることができない。
ずっと後ろの席に座っている桃井翼と、さらにもっと後ろに座っている三国龍之介は、まったく対照的な反応を示していた。
翼はとにかく、外で何が起きているのかを知りたかった。ネビュラには、自分が見たこと聞いたことをリアルタイムで全世界に公開している大胆な人たちのプラットフォームがある。「目の輪」という名のそのプラットフォームに行けば、他人が体験しているその瞬間を一緒に体験することができるのだ。そこには政府や企業が公式に流しているものも多数存在する。
翼は、今現在のクロノ・シティを別視点で見ている人が、その視覚と聴覚を公開していないかどうかを即座に調べた。検索した途端に数十件が拾い上げられ、その上位には、ミリオナリオス財団の白い貨物船に備えられているカメラの映像も含まれていた。財団はその活動の透明性を示すために、すべてをガラス張りにしているのだ。そのカメラは船の各部分に五、六ケ所仕掛けられており、あらゆる角度から外で何が起きているのかを知ることができた。
そのもっとも船首部分についていたカメラだけが衝撃で傾き、ピンボケしたノイズだらけの映像を送ってきた。そこには色とりどりの光と影が、まるでナイトクラブの照明のように踊っていた。
他のカメラに映っていたのは、どこかの階層の島の上空すれすれを必死になって旋回している様子だった。映像の半分は白い船体が極端なパースで映っており、残り半分には緑の自然と灰色の街の様子が猛スピードで交互に入れ替わっている。
翼はそこに奇妙なものを見つけた。本来ならば公開されるはずのない、水先船から撮られた映像が混じっていたのだ。本来ならばハッキングを防ぐために公のネットワークに繋がれるはずのない情報が、外に向かって発信されていた。翼は、これまでその映像の模擬的なものは見たことがあったが、本物を見るのはこれが初めてだった。
それは前方に回転するクロノ・シティの球体を捉え、後方に破壊されて傾いているミリオナリオス財団の姿を捉えている、二分割された映像だった。
もしかして……、と、翼は頭脳をフル回転させて考えた。これまで一度も事故を起こしたことのない水先船が何者かの手によってコントロールされているとするならば、犯人は大胆にも目の輪のプラットフォームを介して、その視覚と聴覚を利用しているのではないだろうか。おそらく、今、翼がこうして体験している映像と、犯人たちが参考にして犯行に及んでいる映像とは、同じものなのではないだろうか。
ミリオナリオス財団の船は、二千メートルしか隙間のない、階層と階層の間の空を、衝突を回避しながら旋回し続けている。ときには島と島の間にぽっかりと開いている三千メートルほどの空間に飛び出して、加熱された空気と冷却された空気が生み出す乱気流に揉まれたりもしている。
その精密な操縦は、まだ無事に接続されている水先船によるものであろうことは間違いないようだった。ただ、そこにどうやら、人の手が加わっているような気配が、翼には感じられていた。それはなぜなのかと説明することは難しいが、水先船から伝わってくる映像には、どこか人間が生み出す揺らぎのようなものを感じるのだ。
翼はネビュラを通して、はるか後方にいる龍之介に話しかけた。席がひどく揺さぶられているが、そんなことを気にしている暇はない。
「龍之介さん、水先船の映像から、不時着先を予測できるかもしれません」
「なぜ、そう思った?」龍之介の声は落ち着いている。
「予定していた目的地を探しているような、変な挙動を感じるんです。不時着先を見つけるだけならいくらでもあるはずなのに、貨物船と一緒にいつまでもぐるぐる飛び続けているんだもん」
クロノ・シティの各島には、森林率を六十パーセントに保たなければならないという法律が定められている。その割合を超えて建築物を建てることができないので、島にはたくさんの森や草原や湖があり、どこにでも不時着が可能なはずだ。しかし、ミリオナリオス財団の船は、それらの上空すれすれを飛び過ぎるばかりで、一向に高度を下げようとしない。
「大したもんだ、さすがに君は優秀だな」
龍之介は落ち着いた声のままで、笑うでもなくそう言った。彼の頭の中では、この先やるべきことが山のように駆け巡っていて、気の利いたことを言う余裕などなかった。「さっきから俺も、その線を睨んで映像を追っていたんだ」
「ずるいですよ、私の手柄を横取りするつもりですか? 後からならなんとでも言えます」
翼は、頬を膨らましている二頭身の自分の立体アニメーションを龍之介に送りつけた。
龍之介は平然としている。
「なんとでも言え。すでに隊長たちには報告済みだ。もうすぐ逆探知の結果が届くはずだ」
そう答えるや否や、龍之介以下、この船に乗り込んでいるすべての第十七、第十八小隊の隊員のネビュラに、水先船とミリオナリオス財団の船の軌道予測図が立体の映像で送られてきた。
「通信士の浅倉」
龍之介が呼び掛けると、遠くからでもはっきりわかる声で、浅倉晴香の「はい!」という返事が聞こえてきた。
「そちらに送った映像と船の資料から、不時着したときに貨物船が受ける衝撃の大きさと破壊の度合いを分析しろ」
「わかりました!」と、ネビュラを通さぬ肉声が遠くから答えた。
和馬はすぐ耳元でその返事を聞いてしまったために、せっかく一時は治りかけていた聴覚が、またどこかに行ってしまった。
いつしか和馬たちの乗る高速宇宙船は回避行動を終了し、姿勢を立て直しつつあった。幸いにもミリオナリオス財団の船はクロノ・シティの大気の中へ突入後に事故に遭ったために、その破片がデブリとなって宇宙空間に放出されることはなかった。いったい何が船とぶつかったのか、被害の程度はどのくらいなのか、それらの情報は断片的にではあるが、雪崩のように各隊員たちのネビュラに流れ込んでいた。
せっかく突入準備のために接近していたクロノ・シティが、また遠ざかってしまった。窓の外で、その回転する姿を見つめる和馬は、これから自分たちは何をすればいいんだろうと、何も思いつかない頭を必死になってぐるぐるかき回していた。こっちが何も思いつかなくても、情報は次々と入ってくる。貨物船の乗員は二十六名おり、先ほどの衝突で三名が行方不明、六名が負傷したらしい。ぶつかったものの正体が何なのか、その真相はまだわからない。
「和馬くん、私は計算で忙しいから、こっちをお願いできる?」
晴香が突然、そんなことを言って肩と腰のベルトをぱちぱちと外し始めた。そんなことをして大丈夫なのかと声を掛ける隙も与えず、晴香は立ち上がると、隣りにいた沙織のベルトを目にも止まらぬ速さでほどき、今まで自分がいた席に座らせた。
つまりは、和馬のすぐ横に沙織を座らせたわけだ。
「和馬くん、何もすることがないなら、今はそれをやってくださいな」
新人の通信士が、新人のチームリーダーに逆に指示を出した。絶望に打ちひしがれて泣いていた女の子を、その泣いた原因になった男の手に委ねたのだった。
和馬は、ほっそりとした沙織の手を、いつの間にか握らされていた。彼女の手は、熱を持ったように温かかった。
しかし、いくら年頃の女の子だとはいえ、こんな非常時にまで自分のことでいつまでもめそめそしていたのでは、宇宙消防士という職が務まるわけがない。
第十七小隊ブラボー・チームのリーダー海野沙織はいつの間にか冷静さを取り戻しており、これから自分たちが現場でどう立ち回るべきかを、確かな情報の元に組み立てているところだった。
「沙織ちゃん、さっきはごめんよ」
などと話しかけられる雰囲気ではないので、和馬はその言葉をぐっと胸に呑み込んだ。
突入のタイミングを失った和馬たちの乗る高速宇宙船は、あてもなく宇宙空間を旋回していた。こうしている間にも、外からどんどん新しい船がやって来るので、同じ場所にいつまでも留まっていることはできない。警察の先導船が、群れからはぐれた羊を連れ戻そうとするように、すぐそばでランプを回転させている。
第十七小隊と第十八小隊の残りの隊員たちの待機状態の情報が伝えられてきた。両隊ともに第四階層に辿り着いてはいるものの、各任務のために散り散りになっていた。アルファ・チームの先輩たちが消防宇宙船で新人たちを拾い集め、あり合わせの道具を持って現場に駆けつける準備を進めているという知らせが、和馬たちのネビュラに届いた。
もちろん、多くの他の消防隊も同時に動いている。クロノ・シティの中にいる隊もあれば、他の消防衛星から派遣されてくる隊もある。もしも貨物船が人口の密集する都市部に突っ込めば大変なことになることから、それを未然に回避するために、軍隊への出動命令もすでに発せられていた。そして、もしもそれがハイジャック犯による犯行である場合にも備えて、クロノ・シティ市警察も動き出していた。
せっかく多重衝突事故によるケスラー・シンドロームが一段落したというのに、その復興の最中にこうした新しい事件が起きるというのは、そこになんらかの企みが働いているせいではないだろうか? 仮にもジャーナリストの端くれでもある桃井翼は、必死になってばらばらの点を繋ぎ合わせようとしていた。
「もしかしたら、先日の多重衝突事故の段階から、陰謀が動き始めていたのかもしれないね」
翼は、わざわざみんなにも聞こえるオープンチャンネルを通して、そんなことをつぶやいた。「きっと、水先船の乗っ取りは何か月も前から計画されていたものなんだよ」
そこに、龍之介がすかさず口を挟んだ。
「こら、翼、憶測でものを言うんじゃない」
「憶測でなく、仮説です」と翼は口答えした。
「犯人捜しは俺たちの仕事じゃない。今はとにかく、被害を最小限に抑えることに集中するんだ」
「また第二、第三の被害が出るかもしれないじゃないですか。その先を予測するためにも、仮説は必要だと思うんです」
それを聞いた龍之介は、もやもやを吐き出す場所がないので、代わりに自分の頭をぴしゃりと叩いた。こういう強い意見が隊内から出たとき、その折り合いを付けるのはリーダーにとっての大事な仕事だ。頭ごなしに押さえつけるのは彼の主義ではないので、龍之介は渋々こう言った。
「じゃあ、君はその線で予測を立てろ。必要な資料があるなら、俺から隊長たちに伺いを立ててみるよ。ただし、十分な根拠がなければ隊は動かせないぞ。それは理解してくれ」
「ありがとうございます!」
翼の元気な声が船内に響き渡った。
さて、肝心の森崎和馬も自分がやるべきことを片付けなければならない。もはや一刻の猶予も許されないところに来ていた。ここでどさくさに紛れて事をうやむやにすれば、一生ぎくしゃくしたままになることは目に見えている。一見して小さな問題にしか見えないことが、人の命に係わる重大な事態を引き起こすことにもなりかねない。
目の前の小さな問題を片付けられない人間が、人の命を救おうなどとはおこがましい。そんな程度の人間がやっていけるほど、宇宙消防士という仕事は生易しいものではないのだ。
だから、和馬は覚悟を決めたのだった。
「沙織ちゃん」
情報分析で頭の中をいっぱいにしていた沙織は、「なあに?」と生返事した。
和馬は言った。
「いろいろ曖昧にしちゃってごめん。今のうちに言うよ」
それでも沙織は、「なにが?」と生返事を返した。今から和馬が言おうとしていることがが良いことだろうと悪いことだろうと、今の彼女の心にはまったく届きそうに思えない。
それでも和馬は言うしかなかった。
「沙織ちゃん、片手間でもいいから聞いてくれ。俺は君のことが好きだ。今になって、はっきりわかった。君の涙を見て、俺の中の不安が消し飛んだよ。俺みたいな奴でもいいなら、これから一緒に歩いていこう」
それを最後まで聞いた沙織は、もう生返事を返しはしなかった。彼女は信じられないという目で、和馬のことを見返した。そこには幸せがいっぱいだった。




