回転するギロチン・4a
水先船に先導されるミリオナリオス財団の貨物船は、上下左右から閉じつ開きつする回転する球体の中へとその巨体を滑り込ませていった。
それを後ろから見守る航空宇宙消防本部の船の乗客たちは、これから先の自分たちの未来をそこに重ね合わせていた。
ミリオナリオス財団の貨物船はその全長が百メートルを超えていた。乗客を満載するならば優に二千名は軽く運べる大きさだ。その船内には、人間の代わりに大量の復興資材と、厳重に梱包された機械細胞の幹細胞とが積み込まれている。
「沙織、もうすぐ船が入っていくよ」
通信士の浅倉晴香は、隣りで泣いている親友を気遣いながらも、その好奇心の大半はギロチンの中へ飛び込む巨大船へと向けられていた。学校のシミュレーションでは十分に学べない本物の迫力がそこにはあった。晴香の頭の中では、天体物理学や流体力学の複雑な数式が駆け巡っていた。
どうして三十年前の人たちは、こんなとてつもなく複雑な建造物を作ったのだろうか? どうしてその中に大気を満たそうなどと考えたのだろうか?
回転する島の前面は圧縮された大気のために高温になり、一方の後面は大気が引き延ばされるために冷却される。その温度差が大気を攪拌して雲を生み出し、人工でない本物の雨を降らせることができる。理屈で言うのは簡単だが、実際にその中で人間が暮らせるようにするためには驚異的なバランスが保たれなければならない。
音速を超える速度で動いている回転体の下で、その風に吹き飛ばされないで暮らしていける仕組みというのは、どうやって作り出されているのだろうか? 素人考えではとうてい不可能に思えることが、実際に目の前で現実として存在している。こうしたものが本当に作れるなどと、当時の人たちは本気で信じていたのだろうか。それともやってみたら意外にうまくいったので、自分たちでさえ驚いたりしたのだろうか。
晴香はそんなことを想像するのが大好きだった。SF小説も大好きだし、現実に人間のテクノロジーが驚異的な成果を上げた話も大好きだ。自分もいつか、人をあっと驚かせるような発明をしてみたい。
ただ、今は宇宙消防士として、宇宙で人間が暮らしていくことの安全を信じられるような経験を積みたいと、晴香は思っていた。あっと驚くようなテクノロジーなら、今は機械細胞やエウロパ人の文明のような、とてつもないものがどんどん出てきている。晴香はそうしたテクノロジーの中で、いかに人間が呑み込まれずに自分らしく生きられるかということに強く興味を引かれていた。
人間はいつか、みずからのテクノロジーに飼いならされて、檻の中のマウスのような生き方しかできなくなるかもしれない。自分で考えるよりも先に、機械が何もかも解決してくれるとなれば、それにすべてを任せてしまいたくなるのが人間の弱さだ。
ただでさえ、現代人はネビュラの便利さを手放せなくなっている。自分の知識量をはるかに超えた知識が手に入り、自分の頭脳をはるかに超えた計算能力をただちに利用することができ、自分のアイデアをはるかに超えた実用的なアイデアが勝手に生成されるとなったら、人間に残された仕事はいったい何だろうか?
晴香は、すぐ隣りで絶望に打ちひしがれている海野沙織にちらりと視線を向けた。
沙織は赤くはらした頬に涙の跡をつけて、なんとか正気を保とうとがんばっていた。彼女の目はどこか遠くのほうを強い意志で睨み返しているように見える。
晴香は不思議に思った。これほどテクノロジーが進歩した時代でも、好きな人とのちょっとしたすれ違いで、こんなにも人の心は傷ついてしまう。
音速で回転する物体と宇宙船が衝突するときの衝撃と、失恋の危機が一人の女の子の心を傷つけてしまう衝撃とは、ここでは大した違いはないかもしれない。
そこに晴香は、なぜだか小さな希望を見出してしまう。
「ねえ、和馬くん」
晴香は、ネビュラのプライベート回線を通して和馬に呼びかけた。この会話は、沙織にも、遠くにいる桃井翼にも聞くことができない。
「なんだい? 晴香ちゃん」
和馬は窓の外に目を向けたまま、すぐ隣の席にいる晴香にはまったく意識を向けないふりをして答えた。「俺に怒ってるの?」
「今のうちに、沙織にちゃんと謝りなさい」
「やっぱりそれか……」
和馬はそう言った後で、なかなか次の言葉が出なかった。
和馬の頭の中では、さまざまな未解決の思考がぐるぐると回っていた。その試行錯誤には解決の糸口がまるで見えなかった。まるで水にも油にも溶けない物体同士が、ごろごろと混ざり合わないままぶつかり合っているようなものだ。
沙織が自分のことを憎からず思ってくれていることは嬉しい。これから彼女とは同じリーダーとしても、近しいチーム同士としても仲良くしていきたいと思っている。ただ、あまり強すぎる期待を持たれても困る。自分にも好きになる相手を選ぶ権利はあるし、拒む権利だってあるはずだ。その権利を行使するのを先延ばしにするのが卑怯だというなら、今すぐに「否」の返事をしたって構わない。ただ、これから一緒に仕事をする者として、その気まずさを引きずっていくのは辛い。
仕事に恋愛を絡めることの難しさが、ここにはある。友情にはグラデーションがあるが、恋愛にグラデーションはないのだ。好きという感情は、行き過ぎるとたちまち憎しみに変わる。
今すぐ沙織のことを振って、これからは友達として濃いグラデーションを築いていこうと提案することは、あまりにも非現実的だ。今すぐ沙織に謝るべきだという晴香の意見は、その非現実さに無理やり蓋をすることになりはしないだろうか。そんな傷を負ったまま、この先彼女と付き合っていかなければならないのだろうか。
そんな葛藤渦巻く和馬の脳裏に、さっきからしきりにすがすがしい光を注いでくれる存在があった。それが桃井翼だ。
翼のことは今日知ったばかりなのに、すでに和馬はその魅力にのめり込んでしまっていた。彼女の哲学的な意見も魅力的だし、少女そのままの無邪気さも魅力的だ。沙織の近すぎる接し方にこれまで甘えてきたけれど、その態度の曖昧さが間違いの元だったと、今になって和馬は痛感せずにはいられなかった。
もしも、翼が目の前に現れなかったなら、ここで全責任を負って沙織と一生を添い遂げる誓いをするという選択肢もなくはなかった。だが、今はもうその選択はあり得ない。
そうした後悔がますます沙織を傷つけるものだということが、和馬にもわかっているからこそ、今すぐ結論を出すことは難しい。
和馬は、プライベート回線を通して、やっとのことで返事した。
「俺は何を言って謝ればいいんだろう……」
「変に期待させてごめんなさいって、謝るんだよ」晴香は間髪入れずそう答えた。
「なんだか、すごく自惚れた言葉のように感じるんだけど」
「それが事実なんだから、しょうがないでしょ」
そこから逃げることは、和馬も嫌だった。卑怯な男にはなりたくない。何十年も後になってこのときのことを思い出し、「あのとき強く決断していればよかった」と後悔するような行動はとりたくない。
とにかく、やってみるしかないじゃないか。
そう心に決めた和馬は、ようやく窓から顔を離し、すぐ隣りの晴香のほうを振り返った。互いに視線を交わし、互いに見せ合ったうなずきには、確かな覚悟があった。
「沙織ちゃん、ちょっといいかな」
和馬がそう声を掛け、沙織がハッとして肩をこわばらせたときだった。
船内に赤い警告ランプが灯り、切羽詰まった機長の声が鳴り響いた。
「当機前方で衝突事故が発生しました。これより安全のために回避行動をとります。しっかり着席されたうえ、近くのものにおつかまりください」




