回転するギロチン・3b
「仲間のことを悪しざまに言うのはやめるんだ」
和馬に強く見つめられて、沙織は驚愕の表情を露わにした。
「私はただ……、邪魔されたくなかっただけだよ」
それ以上まともな言葉で言い返せない沙織は、慌てて席から立ち上がろうとした。
それはすべてがぶち壊しになろうとする瞬間だった。消防学校で積み重ねてきた楽しい時間を否定し、好きな人と共に過ごすはずだったこれから先の未来を否定し、誇りを持っていられる自分の居場所を否定する恐ろしい裂け目が、突如として目の前に出現した瞬間だった。
こんなときに平然とすべてを受け入れられるほど、彼女は大人の精神を持ち合わせていなかった。
とにかく、今はここから逃げ出したい。少しでも和馬から離れた場所に行きたいと沙織は強く思った。
それを屈強な男性の客室乗務員が阻んだ。
「お客様、今は席をお立ちにならないでください」
「どきなさいよ」
沙織は必死に抵抗しようとするが、あまりの体格差にねじ伏せられてしまった。鍛え抜かれた宇宙消防士をこれほどやすやすと抑え込めるということは、きっとこの客室乗務員は元特殊部隊の隊員か何かに違いないと彼女は思った。
「沙織、私が席を代わってあげる」
親友の気持ちを汲み取った浅倉晴香が、自分の身体を沙織と和馬の間にねじ込んだ。こうして壁になってあげれば、いくらか沙織のいたたまれない気持ちを和らげてあげられるはずだ。晴香が一瞬だけ和馬のほうを振り返ったとき、彼女のショートカットの髪がひるがえり、まるで正義感の強い少年が覚悟を決めた姿のように見えた。
どさりと座席に身体を落とした沙織は、顔をうつむけてしくしくと泣き始めた。その背中を、晴香が一生懸命さすっている。
「おお、よしよし、よしよし」
それを遠くの席から聞いていた桃井翼は、なんだか居心地の悪さで身が縮むような思いだった。ネビュラを通して翼はつぶやいた。
「私が変に口を挟んだからいけなかったんだよね」
「いや、違うよ、そういうことじゃない」
和馬は声をかぶせるようにして、翼の言葉を打ち消した。「翼ちゃん、君が悪いわけじゃない。俺がはっきりしなかったからいけなかったんだ」
それを聞いた沙織は、ますます声を上げて泣き出した。
「翼ちゃんってなによ! なれなれしい! 私に対して最初からその気がなかったんなら、はっきりそう言えばよかったじゃない」
沙織がわあわあ言い始めて収集がつかなくなったので、和馬も、晴香も、その周りの客室乗務員たちもただおろおろするばかりだった。
何十列も後ろの席にいる三国龍之介は、沙織の様子がさらに悪化するようなら自分がすべての責任を取るつもりで、今はただ静かに様子を見ている。
他の乗客(そのほとんどが航空宇宙消防本部に所属する職員)たちは、早くクロノ・シティへの突入の番が回ってきてはくれないかと、時計を見ながらただひたすらに祈っていた。彼らも彼らなりに恐怖と緊張の只中にいるのだ。らくだが針の穴を通るような奇跡的な神業に己の運命を託そうというときに、他の人間の修羅場につき合っている余裕などないのだ。
自分たちの順番を飛ばして割り込んできたミリオナリオス財団の巨大な白い宇宙船が、この瞬間にいよいよクロノ・シティへの突入を開始したらしい。消防本部の職員たちは窓の外に注目した。
ねじり合うように回転する二つのベゼル・リングの向こうに、恐ろしい速度で空間が開いたり閉じたりしている回転する球体がある。第一階層が反時計回りに回ると、その向こうの第二階層は時計回りに回っている。その相対速度は最大で音速の二倍だ。さらにその先には、またも逆方向に回転している第三階層と、その逆に回る第四階層が待ち構えている。
無事にそこを通過するためには、半径十五キロメートルの距離をおよそ二十七秒で飛ばなければならない。それは時速に直すと二千キロメートルであり、音速の一・六倍に相当する。
クロノ・シティの中心には心臓部となるトゥールビヨンが浮かんでおり、その周囲半径五キロメートル以内は飛行禁止区域であると同時に、侵入者を一瞬で破壊するレーザー障壁によるバリアが張り巡らされている。もしも、勢い余ってそこに突っ込んでしまえば、宇宙船はたちまち木っ端みじんだ。
宇宙船が第四階層を突破した瞬間から減速が始まる。第四階層は半径が九キロメートルなので、そこから島の厚みの分の一キロメートルと、中心の飛行禁止区域の五キロメートル、さらにトゥールビヨンの半径一キロメートルを引くと、残された空間は二キロメートルしかない。
二キロメートルの距離を使って時速二千キロメートルからゼロまで速度を落とそうとするとき、人間の身体が破壊されない重力加速度(G)で減速しようとするなら、およそ七秒の時間が必要になる。そのとき、人間や貨物には地球の八倍の重力が掛かる。
その一連の過程を完璧な形で遂行することは、一万時間以上の飛行時間を経験したパイロットでさえ危険が伴う。だから、必ず水先船が先導して飛ぶことになっている。それは人間と人工知能が相互チェックで運用している魔法の船だ。宇宙船はすべての操縦権をこの魔法の船に委ねることによって、安全にクロノ・シティの中心まで辿り着くことができる。
すべては安全だと、みんなは信じていた。これまで、水先船が事故を起こしたことなど一度もなかったからだ。あのケスラー・シンドロームの只中でさえ、そうだったのだから、その安全が絶対視されるのは当然に思えた。
その水先船の頭脳が何者かに乗っ取られなければ、事故が起こることは絶対になかった。それには何重ものセキュリティが施されているために、事実上不可能なことだった。
だが、人間はいつか不可能を可能にする生き物だ。今回の出来事は、それを全世界に知らしめることになった。




