桃井翼、ジャーナリストになります!(前編)・2b
翼は学習机の一番大きな引き出しを開けると、中のものを机の上にぶちまけた。何年も前の日記帳やら、ラジオ体操の出席カードやら、魔法少女のシールのコレクションやら、ウーパールーパーのキーホルダーやら、編みかけて途中で放り出した手袋やら、ボーイフレンドの麟太郎と一緒に撮った写真やらがあちらこちらに散乱した。
「お師匠……、もうちょっと整理整頓しませんと……」
「智ちゃん、この写真いる?」
翼は、麟太郎と一緒に笑顔で映っている写真を、汚いものでも扱うように、指でつまんでヒラヒラさせた。ひと頃は額に入れて一番目立つ場所に飾っていたこともあるような大事な写真だったはずだが、今や折り目や皴だらけで見る影もない。麟太郎の顔には、赤ペンでバツ印さえ書かれている。
「こいつは藁人形に貼り付けて釘を打つのにちょうどいいかもしれませんね」
智香は恐ろしいことを言った。「こやつは己の欲望に負けて人としての道を踏み外した大罪人ですよ。この世にお師匠以上の女などいるはずがないのに、何を血迷ったんでしょうね、こいつは」
「智ちゃんが代わりに処分してくれる?」
「ええ、喜んで」
智香は麟太郎の写真をぐちゃぐちゃに握りつぶして、ズボンのポケットに仕舞い込んだ。
目当てのブツを見つけ出すまでに、机の上のガラクタはことごとく床にばらまかれた。そうやっていらないものを一つずつ排除していかないと、見つけたいものまで辿り着ける気がしなかった。
そうしてようやく、その封筒が姿を現した。それはゴールドの色調の紙で作られたゴージャスな封筒で、綴じ目には女神アテナの横顔を象った赤い封蝋が押されている。表面を見ると、流れるような筆記体でこんな英文が書かれていた。
迷える子羊よ、これを開けよ
「これをお姉さんがくださったんですか?」
「そうだよ」
智香は封筒を受け取ると、その表裏をひっくり返したりなどして熱心に観察した。あんなガラクタに紛れ込んでいたわりには、思いのほかきれいだ。「こいつは大したものですよ。なんだかずっしりしたものが入っているみたいですね」
中にはカードのようなものが入っていて、振ると中でかさかさと動いた。
翼は学習机の椅子に腰かけた。机の上のガラクタを端に寄せて、ちょっとした作業スペースを作った。
畳に胡坐をかいている智香は、その様子をワクワクして見守っている。
「じゃあ、開封してみるよ」
翼は、小学生の頃から使っているピンクの丸っこいハサミで、その封筒の端を細く切り落とした。
何が出てくるのやらと、智香はキラキラ輝く目で見上げている。
翼は、これが自分の将来のなんらかの助けになることを祈った。あやふやな自分の未来に、なんでもいいからヒントを与えてほしかった。これが姉の悪ふざけのいたずらでも、それはそれで構わないとさえ思った。これでもう他に頼るものがないとなれば、それがかえって前に進む後押しにもなるからだ。
封筒の中から、予想通りに二枚のカードが出てきた。封筒と同じく、金色の高級感のある紙でできている。
その一枚目に、見覚えのある姉の丸っこい字で、びっしりとメッセージが書かれていた。翼はそれを声に出して読んだ。
「翼、あなたがこれを読んでいるということは、いろいろ悩みに悩んだ挙句、ついに切羽詰まってどうしようもなくなったということですね。それがどんな悩み事なのかはわかりませんが、どんな悩み事でもたちどころに解決できる魔法の言葉を同封しておきます。
それは二枚目のカードに書いてありますが、まだそれを声に出して読んだりしてはいけませんよ。
もし、覚悟が決まったなら、封筒の綴じ目に押されている赤い封蝋に触れながら、その言葉を唱えてください。そうすればあなたのネビュラが魔法を起動します。
一つ、注意しておきますが、本当に本当にどうしようもなく切羽詰まっているのでなければ、その言葉を口にするのはおやめなさい。それはもしかしたら、あなたにとっての『滅びの言葉』になるかもしれないから。
最後にもう一度考えて、やっぱりどうしても助けが必要なのだと思ったら、そのときは迷うことなく魔法の言葉を唱えてください。きっと期待通りに道が開けるはずです。
あなたのただ一人の姉であり世界で一番の理解者、桃井華より」
その大げさな文面に、読んでいる翼のほうが恥ずかしくなってしまった。その肝心の「魔法の言葉」とやらは、確かにカードの二枚目に書かれていた。
「智ちゃん、ちょっとこれを読んでみてくれる?」
翼は、二枚目のカードを智香に渡した。自分で読むとその瞬間に魔法が起動してしまいそうで怖いので、智香に代わりに読んでもらうのだ。
「じゃあ、読みますね。なんか、アルファベットみたいですけど」
「そのまま読んじゃダメだよ、一文字ずつね」
「ええ、わかりました。一つ目はSです」
「うん」
「二つ目はA」
「うん」
「三つ目はC」
「うん」
「四つ目はHです」
「うん」
「五つ目はI」
「ちょっと待って」
翼は急に手を振って止めた。「あと何文字?」
「あと二文字ですね」と智香は指先でそれらを交互に差した。
翼は、なんだか嫌な予感がしていた。
「もしかして、その最後から二番目の文字はKだったりしない?」
「よくわかりましたね、そうです、Kです」
「なるほど、わかったよ……」
何が書かれているのか把握できたので、翼は智香からカードを受け取った。
翼は姿勢を正し、椅子にきちんと座り直した。そして、はっきり聞こえる音で、唾をごくりと呑み込んだ。ああ、本当にこれは、自分にとっての『滅びの言葉』になるかもしれないという予感が、真夏の夕立雲のように頭の中に渦巻いた。
しかし、もう背に腹は代えられない。
畳に座る智香は、「お師匠、しっかり」と口パクで声援を送った。
「じゃあ、今から、私がそれを唱えてみるね」
翼は、赤い封蝋に指先を当てて、深呼吸した。




