宇宙へお引越し・1b
地上に戻ってから、まずやらなければならなかったのは、引越しのための荷造りだった。森崎和馬たち新人宇宙消防士は、クロノ・シティに赴任するために、寮にある荷物をすべて運び出さなければならなかった。明日からはもう、次の消防学校の生徒たちがこの部屋を使い始めるのだ。
年度初めの出初式は、いつの間にか中止になっていた。あれほど大きな犠牲の出た事故の後だから、華やかなセレモニーを全世界に向けて披露できるような状況ではないのは当然だった。
江戸時代からの長い歴史のある消防隊の出初式は、二十一世紀の半ばからは世界基準の九月に行われるようになった。それまではお正月の風物詩だったのだが、現在は新人消防士たちを激励するイベントになっている。世界中の新人たちが、この日を境に本物の消防士として現場へと繰り出していくのだ。
和馬ほか十人の新人たちは、そうした儀式を執り行う暇もなく現場へと駆り出された。そして、無事に帰ってきた今になって、あのときいかに自分たちが大変な現場にいたのかということを、あらためて知らされることになったのだった。
テレビでは、クロノ・シティの周辺で巻き起こったケスラー・シンドロームの恐ろしさについて、いくつもの特集番組が作られた。かつてのディビッド・リップマンのような信頼性や切れ味こそないが、新しい時代の報道マンたちはなかなか良い仕事をしているようだ。
ピッコロ・モンド・カフェという、フリーランスのジャーナリストのために作られた新しいプラットフォームが、次々と斬新なニュースを送り出しているらしい。それは、新人宇宙消防士たちの間でも大きな話題になっていた。
「桃井先輩の妹さんが、本名で活動しているらしいよ」
誰よりも情報に聡い通信士の浅倉晴香が、そんなことを言いながらいきなりぎゅっと手を握ってきたときには、和馬は驚きのあまりソファーから転げ落ちそうになった。
「こら、お前たち、何やってんだ!」
そんな怒鳴り声を上げたのは、すぐ横でその様子を見ていた海野沙織リーダーだった。沙織は地上へ戻ってきてからは、なぜだか和馬のそばからかたときも離れず、甲斐甲斐しく身の回りの世話をやってくれている。
そんな沙織が、今日もわざわざ男子寮に乗り込んできてまで和馬の引っ越しを手伝いに来てくれていた。通信士の晴香はそのお供としてくっついてきたのだ。晴香曰く、間違いを起こさないためのお目付け役ということらしい。
「あんたが邪魔したら、和馬くんがお仕事できないでしょ!」
しかし、怒鳴られたくらいで怯む晴香ではない。突拍子もない行動力とお調子者な性格は、女子の通信士の伝統のようなものだ。
晴香の手から和馬の手へと流れ込んでくる膨大な情報は、桃井華の妹の桃井翼に関するものだった。さすが晴香は通信士らしく、長い報道記録をぎゅっと短くまとめてある。
桃井翼は、クロノ・シティの周辺で始まったケスラー・シンドロームの最前線を取材していた。彼女行くところ、すべて安全の保障されないホット・ゾーンの範囲内だ。彼女は肉襦袢のような分厚い防護服を身にまとい、ただでさえ頑丈なヘルメットの上に何重もの覆いをマトリョーシカのように被っている。そこから双眼鏡のように突き出たゴーグルを通して、彼女は人類の宇宙進出始まって以来の大事故を余すところなく記録したのだった。
クロノ・シティの周辺にはおびただしい数の宇宙船の残骸が浮かび、次々と大爆発を起こして衝突を繰り返している。そのデブリはクロノ・シティの球体の表面に大量のクレーターをうがち、多くの要救助者たちが避難もできずにただただ身を隠している様子が生々しく映し出されている。
そんな様子に怯むことなく、一人の若いジャーナリストは自分の考えを語り始めた。
「この事故の原因を一言で言うならば、人間の欲望に基づく社会システムはすでに限界を超えてしまっているということです」
桃井翼はホット・ゾーンの宇宙空間に浮かび、デブリの飛来の真っただ中でその破片を全身に浴びながら、カメラに向かってよどみなく語った。「ここ、クロノ・シティには地球の、そして全太陽系の人間の欲望が集まっています。すべての欲望はこの宇宙エレベーターという結節点を通して繋がっているのです。
富の流れは地球に生命が誕生して以来、ずっと一方向にのみ進んできました。四十億年もの長きにわたり、生命は同じ歴史を繰り返してきたのです。太陽から注がれたエネルギーは大地に植物を育て、その植物を餌にする動物たちを育てます。さらにその動物たちを餌にする動物たちがいて、それらの頂点に私たち人類がいるのです。その捕食のサイクルは四十億年もの間、閉じた環境で繰り返されてきました。
今、私たちは宇宙に足を踏み出しています。そこでも同じ事が繰り返されようとしていることは、みなさんもお気づきかと思います。この宇宙には、これまでほとんど手をつけられてこなかった資源がはるか彼方まで広がっています。
人間の欲望には限りがありません。欲しいものが手に入るとわかったら、それを手に入れずにはいられないのが人間です。核融合や機械細胞といった新たな技術は、人間の欲望を焚きつけてやみません。そうやって、我先にと慌てふためいて宇宙に飛び出していった結果がこの有様です。管制によるコントロールの限界を超えた宇宙船の発着が行われた挙句に、このような大惨事を迎えることになったのです。
みなさん、一度考えてみてください。本当にこのままでいいのでしょうか?
私たち人類は、宇宙の資源をこれまでのようにただ貪るだけでいいのでしょうか?
私たちに他の道はないのでしょうか?」
「おい、手が止まってるぞ」
突然に声を掛けられ、和馬は驚いて目を開いた。そこには大先輩の三国龍之介が、ネクタイとワイシャツ姿で立っていた。
「引っ越しの準備が終わったら呼びに来いと言ったはずだが、いつまでも来ないからこっちから来てやったぞ」
「すみません」
恐縮して縮み上がる和馬の手は、まだ通信士の晴香の手と繋がっていた。
「お前たち、何をやっているんだ?」
龍之介は、立場上厳しく言わなければならないという気持ちはありながら、あまりにオープンな男女関係に圧倒されてしまっていた。
「違うんです、龍之介さん、これは、そういうことじゃないんです」
和馬は急いで手を引っ込めようとしたが、晴香の握力はそれを許さなかった。彼女は宇宙消防士の中では比較的小柄で華奢なほうではあるが、それでもみんなと負けず劣らず鍛え抜かれた宇宙消防士の端くれではあった。
「ちょっと、いい加減にしなさい!」
沙織が二人の間に割り込んで手を引き剥がそうとしても、がっちりと握り合わせた手はけっして離れなかった。
「いいじゃない、和馬くんはすごく興味があるみたいだよ」晴香は涼しい顔をしている。
和馬は、ほんの数秒前までのめり込むように聞き入っていた桃井翼の言葉を、何度も胸の中で繰り返していた。
「龍之介さん、ひとつ訊いてもよろしいですか?」
和馬の口から、思わずこんな言葉が漏れた。「俺たち人間は、ずっとこのままでいいんでしょうか? それが四十億年以上も続いてきた自然の形なら、それに従うべきなんでしょうか?」
それに対する龍之介の返事は力強かった。
「そんなわけがないだろ。四十億年だろうが百億年だろうが、過去に未来のお手本があるわけじゃない。未来は自分たちで作るんだ」
和馬はそれが聞けただけで満足だった。




