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ガラパゴス・ガーディアンズ2 あるいは航空宇宙消防本部第十八小隊  作者: 霧山純
第二話「桃井翼、ジャーナリストになります!(後編)」
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桃井翼、ジャーナリストになります!(後編)・4c

 ディビッド・リップマンは皿の上のフレンチフライをすべて食べ尽くすと、店の隅で退屈そうにしていたウエイターのほうをちらりと見た。すぐにウエイターは駆けつけてきて、リップマンからの注文を聞いた。


 新しいハンバーガーが運ばれてくるまでの間に、リップマンはこれまでずっと語りたかったが相手がいなかったためにずっと胸に秘めていた思いを、堰を切ったように一気に語り始めた。

「ジャーナリズムには権力を監視するという役割がある。しかし、ときにジャーナリズムは権力を強化する方向にも働く。その場合のジャーナリズムはプロパガンダとなんら違いはない」

 それから一呼吸おいて、彼は言った。「私は大きくなり過ぎた。私という存在が権力そのものになってしまったがために、私が権力を監視するジャーナリストを標榜することはたんなる欺瞞でしかなくなったのさ」


 翼はすでに食べるのを中断して、食べかけのクロノ・スペシャルをフォークの先に突き刺したまま、彼に問いかけた。もちろん、彼の通称の「ダビデ」で呼ぶことは忘れない。

「ダビデさんは、だから引退を考えられたんですか?」


「引退することは考えていないさ。私はいつまでもジャーナリストでありたい。ただ、私自身はもうこんなにも肥え太ってしまったがために、その役割を正しく果たすことができなくなった。だから、形を変える必要がある」


 リップマンは実際に肥え太ってしまった自分の身体を見下ろした。現場を駆け回っていた頃にはほとんど筋肉しかなくて引き締まっていた太ももが、今では溶けたアイスクリームのように力なく椅子の上に広がっている。


「これは私の名声がもたらした当然の結末さ。私は自分の王国を持て余している。二年前までの私は、何か一言言葉を発するだけで全太陽系の人々が注目してくれた。私が言うことはすべてが正しいと、人々は何の疑いもなく信じてくれた。私がもしも権力側を批判するならば、権力側は常に即時の改善を求められた。全太陽系が注目しているのだから、彼らはそうするしかなかった」


「だけど、どうして辞めなければならなかったんですか? ――すいません、まだ辞めてはいらっしゃらないでしょうけど、どうしてお仕事をなさらなくなったのか、どうして表舞台に出てこられなくなったのか、その理由はいったい、何なんでしょうか?」


 翼は身を乗り出して問いかけた。幸子と智香は、黙々と食事を続けながら、邪魔をしないように気配を消している。あの幸子にこのような配慮ができるなんて、幸子本人も思っていなかったらしく、彼女は目を丸くして自分に驚いていた。

 それほどまでに、ディビッド・リップマンが表舞台から姿を消したという出来事の真実は、彼女の好奇心を刺激してやまないものだった。


「私が権力の側に立ってしまったからさ……」

 リップマンは声を抑えた。ランチタイムの混雑を避けて食事をしにやって来た客が、辺りの席を二つか三つ、埋め始めていたからだ。ウエイターに注文を告げる客の声が横から聞こえる中で、リップマンは言った。

「私を利用することで、富と名声を我が身に集めようとする連中が大勢群がってきた。それは年を追うごとに指数関数的に増えていったんだ。私はそれらのしがらみを振りほどくことに多くのエネルギーを費やさざるを得なかった。もはや権力の監視どころか、中立を保つことさえも難しかった。私自身がその腐敗の只中に呑み込まれて、腐っていく未来しか見えなくなってしまった」


 新しいハンバーガーが届いた。潰したゆで卵をマヨネーズで和えたペーストが、パテの上にたっぷりと挟んである。リップマンはそれに器用にかぶりつきながら言った。

「この世には『収穫逓増(しゅうかくていぞう)』というものがある。富める者はさらに富み、肥え太る者はさらに肥え太る法則さ。名の知られた者には、その人気にあやかろうという人々が自然と集まってくる。名の知られた商品は誰もが自然と手に取ろうとする。名の知られた人物や商品はただ名が知られているというだけの理由できっと優れたものであると人が勝手に思ってくれる。だから一度名が知られさえすれば、富は勝手に集まってくる。それを収穫逓増と呼ぶ。バンドワゴン効果ともいうがね」


 今の彼の体型は、それを語るのにあまりにも説得力があり過ぎた。「だが、大きくなり過ぎた王国はやがて崩壊する運命にある。小さな王国ならばすぐに建て直せばよいが、あまりにも大きくなりすぎた王国は世界に与える悪影響もまた大きくなる。それはそれで自然の摂理として受け止めて、放っておけばよいという考えもまた一理あるとは言える。王国は人工物だからやがて壊れるが、この自然界はちょっとしたことでは壊れないからね」


 そこでリップマンが次の一口にかぶりついたので、翼は質問を発することができた。

「ダビデさんの王国は、もう崩壊してしまったんですか?」

「そうなる前に自分からそれを畳んだのさ」

 リップマンは言った。「そして、新しいプラットフォームを立ち上げることにしたんだ」


「新しいプラットフォームですか?」

「そうだ。そこに私の名は冠さない。私は資金とマネジメントだけを提供するつもりだ。そこではたくさんのフリーのジャーナリストたちがおのおのの取材活動を行うことになる。私はそれに陰から力を貸すわけさ」


 翼は、このときはまだそれが自分と関わりのあることだとは感じられなかった。ジャーナリストたちという存在が、自分の住む世界から遠く離れたところで活動している人々だという印象しか持っていなかったからだ。それに加えて、あまりにも過去のディビッド・リップマンの印象が強すぎて、どこか歴史上の偉人が成し遂げる仕事のような感じもしていた。その他大勢はその陰に隠れてしまっていた。


 リップマンは言った。

「私は今まで、フリーのジャーナリストたちの活動の場を奪ってきた。私がすべての注目を独占し、ニュースというニュースを私という発信源にひとまとめにしてしまっていた。だから、それを解放するのさ。これからは私の代わりに、若くて情熱を持ったジャーナリストたちにチャンスを与えるんだ」


「でも、そんなの誰が興味を持つのさ」

 と、ここで急に口を挟んだのは天野幸子だった。彼女は大富豪のクリスチャン・バラードのパートナーとして、「富が富を呼ぶ自然のシステム」の恩恵を一番にその身に受けている立場でもあった。だからリップマンの置かれている状況もよく理解できた。


 幸子は言った。

「ダビちゃんが作る番組は面白かったし、あなたが喋る姿を観たくてニュースを観ていた人たちも大勢いたと思うよ。あなたがいなくなったら、人はニュースを観ないで他の娯楽に興味を持つだけだと思うな。新人さんたちがそのくらい人気が出ればいいけど、人気が出たら出たで、また王国が崩壊する前に自分で畳むとか言いだすわけ?」


 その挑発のような発言にリップマンが怒りだすのではないかと翼はハラハラした。しかし、彼は十分に余裕を持った眼差しを返しただけだった。

「そうならないシステムを私は考えたんだ。それが新しいジャーナリズムというものでね。これまで私がやってきた古いジャーナリズムとは一線を画すものだ。だが、新しいとはいっても、それは実は百年前にはすでに始められていたものではあるのさ。かつて『ニュー・ジャーナリズム』と呼ばれていたものでね、客観性よりも取材対象と濃密に関わることを重視するやり方だ。客観性をうたってもどこか嘘が混じることが避けられないなら、最初から客観性を度外視することもまた取材の方法としてはありかと思う」


 彼はそう言いながら、クラシックとモダンが混じり合ったようないかにもニューヨークらしいこのカフェの店内を見回した。そこには様々な人種や文化が混ざり合い、自信に満ちたライフスタイルが演じられている。それが表面的なものである可能性があるにしても、なにがしかの理想を求めて人々がここに集まって来ていることは間違いない。その吸引力に、彼はあやかることにした。


「私が立ち上げたプラットフォームの名を『ピッコロ・モンド・カフェ』と呼ぶことにしたんだ。ネビュラ上で運営される仮想のカフェさ。まさにこの店のように、若きジャーナリストたちが集い、それぞれの取材の成果を持ち寄る場所だ。私はこれを使って、この世界の光の当たらなかった部分に光を当て、隠された真実を暴き、滅びに向かう収穫逓増に終止符を打つつもりだ。そして、それは肥え太って死を待つばかりの我が人生をもう一度やり直すためでもある」


 翼はただ黙っていた。滔々と語るリップマンに、彼女はただただ圧倒されていた。それは彼の作った番組を一視聴者として観るときと同じ感覚だった。自分には関係ない、どこか遠くの出来事を、安全圏から眺めているときの感覚だ。


 そのとき、親友の白石智香が初めて口を開いた。

「お師匠、どうされますか?」

 親友の真剣なまなざしが自分に注がれたとき、翼は初めて、これは自分のことなのだと気づいた。ニューヨークまでわざわざやって来て、長いこと人前に姿を現さなかったディビッド・リップマンをこんなところに引っ張り出したのは、すべて自分の将来への悩みを解消するためだった。幸子がどういうとりなしをしてくれたのかはわからないが、リップマンがこんな自分に会うために来てくれたのは紛れもない事実だ。


 そして、自分がリップマンに会いたいと思っていたこともまた事実だ。


 それは彼の名声にあやかろうとしていたからではない。彼の生き方に憧れていたからだ。自分も彼のようになりたかった。自信をもって世の中の真実を暴き、それを堂々と人前で披露する生き方がしたかった。

 自分が目指している哲学者という職業は、人間や、この世界の真実を暴き、何らかの形で定義づける仕事に他ならない。それはジャーナリズムの延長上にもあるのではないかと思った。


 翼の口から自然とこんな言葉が漏れるのは必然だった。

「ダビデさん、私……」

 リップマンはその先を促すように、微笑みを向けてきた。翼はそれに勇気づけられた。

「私、ジャーナリストになってみようと思います。ピッコロ・モンド・カフェに、記事を届けてもいいですか?」


 とつとつと言葉を発する翼に、リップマンは立ち上がると、きれいに拭いた右手を伸ばした。

「ようこそ、若者よ。ここは君たちの居場所だ」

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