桃井翼、ジャーナリストになります!(後編)・3b
人工的に作られた星空の下を、数えきれないほどたくさんのゴンドラが行き交っている。ゴンドラには衝突を防ぐための安全装置が備わっているので、どんなに無茶な操縦をしても事故が起こることはない。
とはいえ、ここは学術研究や教育を目的とした施設なので、遊園地とはき違えて羽目を外し過ぎた利用者は強制的に退場させられることになる。
翼は不思議に思っていた。あの天真爛漫天衣無縫明朗快活自由闊達で、遊ぶことに関してはそこらへんの子供よりもはるかに子供らしい天野幸子が、一向に「レースをしよう」と言い出さない。そんなことはあってはならないことのような気が、逆にしてくる。これは天変地異の前触れなのか、あるいはたんにお腹が空いて元気がないのか、確認しておかなければとても安心できないような状況だ。
「ねえ、幸子さん」
翼が恐る恐る後ろの座席に声を掛けると、よそ見をしていた幸子はびっくりしたように、
「え、なに?」と答えた。
ますますおかしい。
「幸子さん、具合が悪いの?」
「ううん、そんなことないよ」
幸子は首を横に振って否定するが、その否定の仕方があまりにも普通過ぎるので、翼はますます疑いを深めた。こんな素敵なアトラクションの中にあって、宙を自由自在に動き回れるゴンドラに乗ってはしゃぐでも騒ぐでもなく、ただ淡々と静かに席に座り続けるなんて、そんな大人な行動をあの幸子が取るはずがない!
「幸子さん、何か隠してるでしょ」
翼は確信を込めた声で言った。「さっきリップマンさんのアパートからおとなしく退散したときも変だと思ったけど、幸子さん、ここに来てからほとんどしゃべらないし、何か企んでいるとしか思えないよ」
「ううん、隠してないよ」
「声がうわずってるもん」
「隠してません」
「何をつまらないことで言い合っているんですか、二人とも」
宇宙開発の歴史を夢中になって辿っていた智香が、集中を乱されたことで腹を立てた。「こういうときに真面目にできない人はろくな大人になれませんよ」
「だって、幸子さんが全然暴れないんだもん」翼は口をとがらせて言い返した。
「それが当たり前じゃないですか」
「あの幸子さんが、私たちと一緒に宇宙について真面目に勉強すると思う?」
「おいおい、それは言い過ぎじゃないのか」
いくらなんでもそこまでバカにされたのでは、さすがの幸子も黙ってはいられない。「私だって、たまには人類の未来について思いを馳せることくらいあるよ」
「噓おっしゃい」翼はぴしゃりと言った。
「嘘じゃありません」
「いいえ、嘘です」
「君たち、いい加減にしないか。関係ないおしゃべりはみなさんの迷惑になるだろ」
とうとう隣りのゴンドラから注意する声が飛んできた。中年の男性らしき、格式ばった英語だ。
「きゃあ、ごめんなさい」
翼はとっさに日本語で謝ると、ほとんど反射的に操縦桿を傾けて、その注意してきた男性から逃れようとした。
ところが、そのとき幸子が後ろから手を伸ばしてきた。彼女は、翼の両手ごと操縦桿をがっちり握ってしまった。操縦桿には捻って動かすスロットルが備わっていて、それで速度を調整するのだが、幸子はそれも一緒にぎゅっと握りしめて動かなくした。その力はとても強かったし、翼はびっくりしすぎて抵抗することもできなかった。
幸子は、翼の耳元に息を吹きかけながら、こうささやいた。
「翼ちゃん、あなたが会いたがっていた人が来てくれたんだよ」
その後ろで、さっき注意してきた中年男性の静かな笑い声が聞こえた。翼は、その声に聞き覚えがあった。




