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楽園実験(前編)・4a

「晴香はどこに行ったの?」

 沙織がきょろきょろと辺りを見回すと、キッチンの端の大型冷蔵庫のほうから声が聞こえた。見れば扉が開けっぱなしだ。


「ここにいるよ」

「あらいたの」

 沙織がそばまで行くと、晴香は冷蔵庫の中身を整理しているところだった。肉類と魚介類は温度の低いチルド、野菜は温度と湿度を高めに保つ野菜室へと、晴香は几帳面に分けていた。六人分の食材が入るように、容積はたっぷりしている。


「あんた、意外としっかりしてるのね」と沙織。

「こういうのはちゃんとしとかないと、美味しいものを気持ちよく楽しめないでしょ」

 晴香は遊びも仕事も全力で楽しむタイプだ。「とりあえず、今日使うやつは、こいつとこいつとこいつとこいつだね」


 晴香はそう言いながら、ちゃんこ鍋に使う野菜をぽんぽんと取り出して、沙織の手に渡していった。それは白菜、長ネギ、しめじ、しいたけ、ニンジン、小松菜、春菊、そして豆腐だ。

「ちょっとちょっとちょっと、無理無理無理無理」沙織の両手はたちまち野菜で溢れた。

「さっさとテーブルに置く」


 沙織と晴香とで食材を運ぶと、テーブルの上はものでいっぱいになった。

「ちょっとこれ、邪魔なんだけど」

 両手をひき肉まみれにしているスバルが文句を言った。鳥団子を乗せるためのバットの上に、白菜の葉が覆いかぶさっている。

「スバル殿、汚れた手で触らないで。すぐ行くから待っていて」と、晴香は遠くから言った。


「なんか、鼻がムズムズしてきた」

 こちらも同じく両手をひき肉まみれにしている翼が、小鼻をひくひくさせた。手が汚れているので、顔を触るわけにもいかない。

 それに気づいた美穂が慌てた。彼女は鶏ガラを煮て出汁を取っているところだった。

「翼ちゃん、もしかして、クシャミ出そう?」

「でほう(出そう)」


 美穂は大急ぎで手を洗うと、ティッシュペーパーを両手にめいっぱい引っ張り出して、それを後ろから翼の鼻にあてがった。その手際の良さは、さすが救命医といったところだ。

「はい、翼ちゃん、横向いて」

「ふわい」

 と言った瞬間に、翼は力いっぱい鼻でクシャミした。美穂がしっかり押さえてくれていたおかげで、外への被害は皆無だ。


 周りにいるみんなの口から、さまざまなトーンの「ブレスユー」が発せられた。沙織としずくは明るく、晴香は遠くから弾むように、スバルは小声で控えめに、そして、美穂は優しく包むように。


「はい、そのままチーン」

 翼は、あてがわれたティッシュの中で思いっきり鼻を噛んだ。

「すっきりしたでしょ?」

 美穂が微笑みかけると、鼻を赤くした翼も笑顔で答えた。

「すっきりした」

 えへへ、と二人は笑いあった。美穂は、きゅっと丸めたティッシュをゴミ箱に放り込んだ。


 それを横で見ている暁しずくも、良いものを見せてもらったとばかりに満足そうな顔をしている。彼女はガラパゴス・グルーパーをさばき終えたので、その次の作業に取り掛かろうとしていた。

「ねえ、美穂、味付けはどうするの? 醤油? 味噌?」と、しずくは訊いた。


 手を洗って出汁作りに戻った美穂は答えた。

「どっちも使わないよ。今日は水炊き風にするんだ。鶏ガラの出汁に、ポン酢と大根おろしでいただくの」

「そいつぁ、いいね」

 しずくは江戸っ子のように言った。「じゃあ、私は野菜をどんどん切っていくか」


 大皿に、切った野菜が次々と盛られていった。白菜、長ネギ、小松菜、春菊などの葉物の横に、千切り分けたしめじ、山盛りの木綿豆腐、そして、飾り切りしたしいたけとニンジンが添えられている。しいたけには星の形の切込みが入り、ニンジンは桜の花のようにかわいらしく整えてある。


「あら、ずいぶん凝ったことしてるじゃない」

 しいたけとニンジンを見た沙織が、嬉しそうな声を上げた。「誰がこれやったの?」

「私だよ」

 と、小声で答えたのはスバルだった。彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめている。「なんとなく、やってみたくなっちゃったんだ」


 赤いジャージを着てボサボサ頭の、わんぱく少年みたいな見た目に似合わない、繊細な趣味をスバルは併せ持っているようだった。

「あら、意外」と沙織。


「別にいいだろ、人にはいろんな面があるんだよ」

 そう口を挟んだのはしずくだ。「私だって、『しずく』なんていう儚げな名前のくせに、全然そんな感じじゃないだろ」

 その場にいたみんなは、一斉に感心した。確かに、暁しずくはその名に似合わず、薄暗くもなければ(暁は夜明け前の時間帯を指す)、「しずく」というほどちんまりした感じでもなかった。どちらかと言えば、真昼間に突然土砂降りが降ったかと思うと、次の瞬間にはからっと晴れわたる真夏の空みたいな性格だった。つまりは豪快で元気いっぱいなのだ。


 なるほど、と、翼は強く興味を惹かれた。知れば知るほど、チームの仲間たちは様々な特徴を持っている。きつい性格だというイメージを持っていた沙織は意外と良い奴だったし、ただのお調子者かと思った晴香は几帳面な部分も持っていた。美穂は救命医なのに初日からちゃんこ鍋を大量に作るし、しずくは見ての通りのどこかの若い衆みたいな男ぶりだし、スバルは見た目と内面のギャップの奥にまだまだ計り知れない可能性を持っている。


 翼だって、あどけない外見に似合わず、普段から誰も考えないような深いことをたくさん考え、一人で悩んだりしている。

 今回の機械細胞(マシン・セル)の楽園実験について、誰もそれを表だって話題には出さないが、それぞれの中でいろんなことを考えているだろうことは想像できる。


 つい昨日のことなのだ。アリア・ヴィアは、実験の開始を宣言した。しかし、その内容について多くを語ることはなかった。

 クロノ・シティは隔離されてはいるものの、必要な物資の補給は滞りなく行われていた。それらの事業を請け負っているのは、慈善団体のミリオナリオス財団だ。まだ謎の多いこの団体は、アリア・ヴィアをクロノ・シティに運び込む段階から、今にして思えば不可解な動きを繰り返していたようだ。


 クロノ・シティの人々は、緩やかな軟禁状態にある。昨日のうちに、ある程度の復旧ができたので、大気の状態は安定し、安全に外を出歩けるようになった。

 街には人が溢れ、いつもの日常が戻ってきている。経済活動もこれまでと同様だ。


 いったいなにが「楽園実験」なのか? それそのものが、未だ謎のままに残されている。翼は、それを知らなければならないと思った。

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