楽園実験・3a
「うーっす」と言って玄関をくぐり、大きなコメの袋を担いできたのは、宇宙船技師の暁しずくだった。彼女の髪は透明感のある紫で、それを頭の曲線に沿って滑らかに刈り込んでいる。尊敬する千堂しのぶに倣って、彼女も白いタンクトップにブルージーンズという、シンプルかつ動きやすい服装だ。鍛えられた肩の筋肉が、コメ袋の下で若さと力強さをみなぎらせている。まるで米屋の若いお兄さんのような威勢のよさだ。
「あら、一人?」
玄関ホールまで迎えに出た沙織は拍子抜けして立ちすくんだ。「みんなで一緒に帰ってきたかと思ったのに」
「一人なわけないでしょ」
と、しずくは後ろを振り返った。「ちょうど配送ロボットが追いついてきたから、美穂と晴香が荷物を受け取りに引き返していったよ」
「晴香も一緒なんだね」と沙織。
「晴香のやつ、カフェで近所の人たちとおしゃべりしていたから、ちょうどいいと思って捕まえたんだ。知らんぷりして逃げようなんて、そうはさせないよ」
「あら、かわいそ」
沙織は口に手を当てて笑った。その「かわいそ」は、かわいそうに思っていないときに使う言葉だ。
廊下の向こうから、わいわい言い争いをしている声が近づいてきた。不満げな浅倉晴香の声が、遠くからもはっきり聞こえてくる。
「私は別に遊んでいたわけじゃなくて、通信士として地域住民たちと意見交換をしていただけだよ」
「まだグズグズ文句を言って……、口を動かす前に足を動かしたまへよ」
桜井美穂は、いい加減愚痴は聞き飽きたとばかりに辟易している。
晴香と美穂は、二人並んでコンテナケースを運んでいる。それぞれが持つケースの中には、チームの六人が一週間はお腹いっぱい飲み食いできるだけの食材が品目ごとに分けて入れられていた。美穂の持つケースの中には肉や魚や卵の類、晴香の持つケースの中には野菜と乳製品の類が詰め込まれている。そして、二人の後を追って、二足歩行する配送ロボットが残りのコンテナを二段重ねにして運んできた。その中には重くてかさばる飲み物類と、油や調味料といった細かいものがたっぷり入っている。
先に部屋の中へコメを運び込んだしずくが、身軽になって玄関から出てきた。出迎えの沙織も一緒になって、ロボットが持ってきてくれたコンテナを受け取った。
沙織は荷物を玄関に運び込むなり、奥にいるメンバーに声を掛けた。
「ねえ、翼とスバル、荷物を仕舞うのを手伝ってよ。コンテナを空にしてすぐ返さなきゃいけないから」
そのときまだソファーで呆然としていた翼は、ようやく正気を取り戻した。テレビから聞こえるクロノス・フットボールの応援歌が、妙にはっきりと耳に響いた。
さっきのキスが何を意味するのか、それを直接訊くためには、もっと沙織との距離を縮めなければいけない。翼は、それを当面の目標とすることに決めた。それと同時に、もっとチームメイトのことも知ろうと思った。
「はーい」
と明るく返事をして、翼は玄関へと向かった。
そのとき、ちょうど個室のドアが開いて、中から黒川スバルが真っ赤なジャージ姿で現れた。赤毛のショートヘアはぼさぼさだ。彼女のその格好は、地球の消防学校で訓練を受けていたときのままだった。他のメンバーは社会人になったことをきっかけにそれぞれ個性を出す服装を始めたのに対して、スバルは未だマイペースを貫いている。
「黒川さん……」
と言いかけて、翼はとっさに言い直した。「スバル、おはよう」
「あ、うん、おはよう」と、スバルは小声で答えた。彼女は別に孤独を愛しているわけではないし、不愛想なわけでもないのだが、そのあまりのマイペースぶりに、どこか一匹狼の風格が漂っている。見事な赤毛と澄んだ青い瞳も日本人離れしていて、それが特別感をいや増していた。
「どっこらしょ」
と声をそろえて、晴香と美穂は一緒にコンテナを玄関に置いた。黒髪ショートヘアの晴香はなんともなかったのだが、ピンクのふわふわなロングヘアの美穂は、荷物に髪が絡んでのっぴきならない状況に追い込まれていた。
「痛い痛い痛い、誰か髪をほどいて」
美穂の髪の毛は玉ねぎとジャガイモの袋の下に入り込んでしまっている。
「あらあら、美穂センセともあろうお方が……」
沙織は笑いをこらえるそぶりを見せながらも微塵もこらえきれずに大笑いしている。
「痛い痛い! 笑ってんなよ、お前」
言葉が荒くなってくる美穂のそばに、さっと駆け寄ったのは翼だった。彼女はたくさん予備を持っているヘアバンドの一つ(それはブレスレットがわりに手首に巻いてあったりする)を、美穂の長いピンク髪の中へ滑り込ませた。たちまち髪がカメレオンの舌のようにくるくると輪を描いてまとまり始めた。
「痛い痛い! 引っ張ってる! 引っ張ってる!」
「落ち着いて、美穂!」
翼は大急ぎでコンテナの中に両手を突っ込むと、ピンク髪を絡めとっていた犯人の玉ねぎとジャガイモの袋を取り出した。
途端に美穂のピンク髪がきれいにまとまって、まるで宮中晩餐会に招待された王族の貴婦人のような美しいアップスタイルが完成した。ヘアバンドはまとまった髪の中に潜り込んで、外からは見えない。スタイリング剤でも含ませてあるのか、なぜか髪はつやつやに光り輝いている。
「あら、まあ」
と、笑っていた沙織もぱくりと口を閉じた。「なにこれ、素敵」
「機械細胞を中に仕込んだヘアー・タイ・バンドだよ」
翼は、自分の頭の上のお団子を撫でながら言った。彼女の濃いめの栗色の髪は、このバンドがないともうどうすることもできないくらいに頼り切っている。
「へえ、すごい」
みんなは感心して、美穂のピンクのアップヘアに見とれた。この便利な髪バンドは一年近く前に発売されたものなのだが、宇宙消防士の訓練に明け暮れていたみんなにとっては縁の薄いものだったようだ。
「他にもまだあるから、欲しい人がいたらどうぞ」
とは言っても、このチームで髪が長いのは翼と美穂の他には沙織一人だけだった。しずくとスバルと晴香は、それぞれカラフルなショートヘアだ。
この時代、みんなの髪や瞳の色がバラエティに富んでいるのは、宇宙への進出を始めた人類の宿命とも呼べるものだった。宇宙空間を飛び交う放射線を微量ながら浴びることによって、ヒトの遺伝子は少しずつ変化し、三十年の間に二つの世代を経ることで、その特徴ははっきりと目に見える形で現れるようになった。
「私にも貸して」
その沙織が、大きく手を伸ばしてバンドをせがんだ。翼は快く一つをその手に握らせた。
「ネビュラにアレンジのメニューが出てくるから、どれかを選ぶといいよ」と翼。
沙織が長い黒髪を頭の後ろに束ねると、その手に持っていたバンドがくるくると動いて、たちまち複雑な三つ編みを含んだポニーテールが出来上がった。ウォーターフォールという、波打つ滝のように見えるスタイルだ。ゴージャスに振る舞う彼女には一番のお似合いだろう。
「きゃあ、素敵」
と、沙織はバスルームに駆け込んで鏡を見ながら大はしゃぎした。「コンテナを空に」とみんなを急かしていたことはすっかり忘れている。他のみんなもその後について行って、わあわあきゃあきゃあ言っている。
その仲間に参加しないのは、翼と、相変わらずマイペースなスバルだけだった。
スバルは興味なさそうに大あくびした。
「さっさとやっちまおうよ、翼」
何気ない一言だったが、彼女が翼のことを名前で呼んでくれたのは、これが初めてだった。翼は胸をドキドキさせた。今日はドキドキすることばっかりだ。
「うん」と言って、翼とスバルはコンテナの中身をとりあえず床の上に出した。それから、畳んだコンテナ四つを配送ロボットに返却した。
「毎度ありがとうございます。またのご利用をお待ちしております」
「支払いは署にツケといてね」とスバル。
「かしこまりましてございます」
配送ロボットはのっぺりとした無機質な顔で丁寧に頭を下げると、滑らかな足取りで廊下を去っていった。
バスルームではしゃいでいた連中が玄関ホールに戻ってきた。
「ごめんごめん、翼」
沙織が弾けるような笑顔で言った。「すぐご飯を作るから、座ってゆっくり待っていて」
そのやりとりには、もはやわだかまりは少しもなかった。




