楽園実験・1a
第二部「楽園実験」編
アメリカの動物行動学者、ジョン・B・カルフーンが楽園実験とも呼ばれる「ユニバース25」実験を行ったのは、一九六〇年代から一九七〇年代にかけてのことだ。
メリーランド州プールズビル郊外の農村に建てられた大規模な実験場には、つがいのマウス四組(合計八匹)が放たれた。そこは、餌や水が常に不足なく供給され、巣を作るための材料やプライベートを守る空間も確保でき、恐ろしい外敵や天候の変動もない、絶対の安全が約束された、まさに楽園だった。
普通に考えるなら、このような恵まれた環境であれば、マウスはどこまでも無限に増え続けていくと誰もが想像するだろう。しかし、実際のその結末はあまりにも恐ろしく、後味の悪いものだった。
実験が始まると、最初のうちは混乱が見られたものの、次第に慣れてきた四組のマウスは百日目を超えた辺りでようやく最初の子を産んだ。それから五十五日ごとに倍増し、三百十五日目には六百二十匹に達した。ここまでは順調だった。
しかし、この日から六百日目にかけて、マウスたちは異常な行動をとるようになり、楽園は崩壊へと向かう。
閉じられた環境の中で、マウスの社会には格差が生まれた。三分の一のオスは「アルファオス」と名付けられ、餌とメスを独占し、他の弱いオスを攻撃した。
三分の二を占める弱いオスたちは社会から離れ、競争を辞退し、ただ生活に必要な最低限の行動だけをとるようになった。食べて、飲んで、寝て、毛づくろいをする。そうして誰とも争わず、メスにも会わず、引きこもり続けた弱いオスたちはひたすら毛の手入れをし続けたので、彼らの毛並みは美しかった。カルフーンは彼らを「ビューティフル・ワン」と名付けた。
メスたちは二つの階級に分かれた。アルファオスに守られて安全に子育てができる上位のメスたちと、そこから外れて弱いオスたちとつがいにならざるを得なかった下位のメスたちだ。弱いオスとつがいになったメスたちは安全に子育てをすることができず、次第に子供の世話をしなくなる。
しかし、アルファオスたちにとってもすべてが安泰というわけにはいかない。繰り返される激しい競争によって彼らは疲弊していく。その攻撃性は際限がなく、ついにはメスにも向けられ、これまで安全だったはずの上位のメスたちも安心して子育てができなくなる。
そうして社会は崩壊し、最大で二千二百匹まで増えていたマウスたちは急速に減り始める。
六百日目を超えた頃から、マウスの減少は歯止めが利かなくなり、ついには絶滅してしまう。そのとき生き残ったのは、皮肉にも競争から逃避して隠れ続けていたビューティフル・ワンのオスだった。彼は当然ながら子孫を残すことができず、そのオスの死によって、楽園は滅亡する。
その恐ろしい実験は、当時のアメリカ社会に大きな衝撃を与えた。その時代に活躍したニュー・ジャーナリズムの提唱者トム・ウルフは、「嗚呼、この腐りきったゴッサム! 滑り落ちていく行動的衰退」というタイトルの文章で、都市の過密による人間行動の衰退を論じている。
この「行動的衰退」とは、カルフーンがサイエンティフィック・アメリカン誌に寄稿した論文で初めて用いた言葉だ。
密集した環境でひしめき合う者たちは、それがマウスであれ、人間であれ、やがてはまともな社会的行動から逸脱し、己の快楽だけを求め、孤立していく――
当時、楽園実験はあまりにも人間社会への無理なこじつけが多いと攻撃され、その実験の信憑性も疑われることとなる。
その楽園実験からちょうど百年後となる二〇七一年九月、ガラパゴス上空三万六千キロメートルに浮かぶ空中都市クロノ・シティを舞台に、新たな楽園実験が始まろうとしていた。
今度の実験体は、人間だ。




