シンギュラリティ宣言(後編)・4c
地獄の抽象画のような、波紋を描いた花火が宇宙空間を満たしている。その閃光は窓を通して消防衛星の中まで届き、強烈な光と影のコントラストを生み出している。
円筒形の大広間には、世界各国の宇宙消防士たちがごった返して休憩を取っている。背もたれのない黒い長椅子はそのままベッドにもなりテーブルにもなった。長椅子は二人が並んで横になれる幅があるので、好きな体勢でくつろぐことができる。そんな長椅子が、広間を何十と埋め尽くしていた。遠くのほうではせり上がった床がそのまま天井のようになって、そこに椅子と人間たちがへばりついている。それらが落ちてこないのは円筒が回転して遠心力を生み出しているからだ。
第十七小隊アルファ・チームに新しく入った宇宙船技師の坂本充樹は、長椅子の上で片膝を立てて座り、目の前に整列している新人たちと向かい合っている。彼は宇宙消防士歴七年のベテランだが、ここにいる仲間たちとは初めて会ったばかりだった。
第十七・第十八小隊をまとめる総リーダーの三国龍之介が横に立ち、新しい仲間をみんなに紹介した。
「お前たちは初めて会うことになると思うが、今日から一緒に隊のメンバーになる坂本だ。よく顔を見て、その名前と声を記憶してくれ」
「どうぞ、よろしく。坂本充樹です」
片膝で座ったままペコリと頭を下げた充樹は、まだ眠そうに目をシパシパさせている。彼は長い髪を頭の後ろで束ね、広いおでこを露わにしている。背は高いが、全体的に細く、華奢な印象だ。前任の宇宙船技師の菊池源吾が大柄でがっしりした体型だったので、まったく正反対のタイプだ。
第十八小隊リーダーの桃井華が、さらに補足した。
「前任の西郷さん(源吾のあだ名)は、今は龍之介さんの妹さんの樹雨さんの旦那さんになられて、火星で消防士をやってるんだよ」
「華、そんな補足はどうでもいい」
龍之介は固い表情ですかさず遮った。彼は妹と源吾の話が出ると冷静でいられないのだ。
華はムッとして言い返した。
「龍之介さん、まだそのことにこだわってるんですか? いい加減、許してあげましょうよ」
「理屈ではわかってるんだが、俺の深い部分の本音が納得していないんだ」
妹の樹雨と菊池源吾が龍之介の承諾もなしに結婚話を進めていたことに、彼は強い怒りを感じていた。実際に取っ組み合いを演じたこともあり、そのときは一応和解したのだが、まだわだかまりは消えていない(※パート1第五十話を参照)。
龍之介は気を取り直して紹介を続けた。
「とにかくそういうことで、坂本が後任となった。この男は船のことなら世界中で五本の指に入るエキスパートだと自称しているから、何か困ったことがあったらなんでも相談するといい」
坂本充樹はようやく椅子から立ち上がると、オレンジの防護服の埃を払って、あらためて挨拶した。
「いつか宇宙を股にかけた海運事業を起こそうと考えている坂本です。船のことならなんでも知っていますから、気軽に声を掛けてください」
すると、その言葉を挑発と受け取ったのか、同じく宇宙船技師のしのぶが一歩前に出た。その手には好物の抹茶アイスのカップが握られている。
「へえ、あんた、船のことならなんでも知ってるって?」
「君は?」と、充樹。
「私は千堂しのぶ。今年で四年目の宇宙船技師だよ」
「そうか、よろしく」
充樹は堂々とした態度で右手を差し出した。しのぶも怯むことなくそれを握り返す。二人の目の間にバチバチと火花が散るのを、周りにいる全員が感じていた。
特におろおろしているのは、パイロットのロジャーこと山田健太郎だ。
「会ったばかりでケンカはよしてくれよ、しのぶ君」
「ケンカなんかするかよ、私はこの人に訊きたいことがあるんだ」
しのぶは充樹に向き直ると、その短い黒髪を掻きつつ、ちょっと言いにくそうに言った。「私は、古い船から最新の船まで一応知っているつもりではあるんだけどさ、機械細胞についてだけ、ちょっと疎いんだよね。自己修復機能とかわけわかんなくてさ。あんたはそこらへん、詳しいの?」
すると充樹は満面の笑顔になった。彼は自分の胸をどんと叩き、自信満々に言った。
「俺は開発課で二年間も機械細胞の応用を研究してきた専門家だよ。その分野こそ一番得意なんだ」
しのぶはパッと顔を輝かせた。
「そうなんだ! じゃあ、ちょっと教えてほしいことがあるんだけど……」
坂本充樹の紹介が終わったので、第十七・十八小隊の面々はそれぞれの休憩に戻った。
しのぶと充樹は長椅子に並んで宇宙船談義を繰り広げている。
そこから先の話は専門的過ぎて素人にはまったく理解できない内容だった。しのぶと充樹はぴったりと肩を寄せ合うようにして、夢中で語り合った。次第に熱量が増していく二人の会話を、横で寂しそうに聞いているのは、しのぶの恋人ポジションを不安定ながらも維持しているつもりの山田健太郎だった。
彼は溶けかけたストロベリーアイスのカップを片手に持って、何をするでもなく虚空を見つめていた。
そこにやって来たのは夏木コウジだ。
「おい、色男、ずいぶん黄昏ているな」
健太郎は、死んだ魚のような目で見つめ返した。
「俺の苦労がわかったかい?」
「お前も一途な奴だな」と、コウジは真顔で言った。
「その言葉、そっくりお返しするよ」
片や鬼を妻に持つ男、片やつかみどころのない女を追い続けている男、その二人が、なぜだか不思議な友情をお互いに感じていた。
「ところでまだ、十分にセリフをもらえていない子はいるかい?」
健太郎は優しい気遣いを見せた。「せっかくの機会だから、新人たちとお話ししてみたいな」
「じゃあ、ちょっくら呼んでみるか」
コウジが一声掛けると、新人の男女十名がその場に集まってきた。若くて初々しい顔がずらりと並ぶと、なかなかに壮観だった。
健太郎とコウジは長椅子に座ったまま、彼らを見上げた。
第十七小隊ブラボー・チームからは、海野沙織、桜井美穂、暁しずく、黒川スバル、浅倉晴香の五人、第十八小隊ブラボー・チームからは、森崎和馬、足立俊作、桐野十三、檜山拓也、落合茂雄の五人がやって来た。
健太郎と女子たちはすでに面識はあるので、どこにも堅苦しい様子はない。一方の男子たちはまだ緊張が抜けていなかった。
「桐野君は、どのくらい宇宙船に詳しいの?」
唐突に話しかけられた桐野十三は、おどおどと小声で答えた。
「いちおう、自分も船のことなら誰にも負けない自信があります……」
というわりには、ずいぶん自信なさそうな小さな声だ。彼は知的でちょっと垂れた目と、立派な鼻、がっしりした顎が特徴だ。もう少し自信ありげに振る舞えば、十分に貫禄が出せそうな素質はある。
健太郎は、十三に向けてまっすぐ手を伸ばした。
「よろしく、俺はパイロットのロジャーだ。パイロットと宇宙船技師はコインの裏と表みたいなもんだから、仲良くしてくれよな。君は今日から『ジュウザ』と名乗って、もっと飄々と振る舞うといいよ。きっと、俺に負けないハンサムガイとして君臨できるはずだ」
「精進いたします」
ありがたいあだ名を賜ったジュウザは、嬉しそうに先輩の手を握り返した。
「ときに、美穂さんとしずくさん」
健太郎は、二人の女子にまとめて話しかけた。「この機会に、君たちの意気込みを聞いておきたいんだけど」
「なんですか? 急にかしこまって」
救命医の桜井美穂は、語尾を弾ませて訊き返した。彼女の手には山盛りのアイスクリームが握られている。それは何種類ものアイスが重ねられ、今にもカップから溢れ出しそうだ。
健太郎は言った。
「そんなに過剰な糖分を取ったりして、救命医としてどういう了見なのか訊いてみたいね」
「いいじゃないですか、好きなんだから。変に我慢するほうが身体に毒ですよ」
美穂はきっぱりと言い切った。そう言いながら、スプーンで掬ったアイスクリームをぺろりと口に運んだ。「脳に一番必要なのは甘いものなんです。良い仕事には甘いものが欠かせません」
なるほど、確かに美穂はスリムな体型を維持している。それは必要なときには十分な糖分を取り、必要ないときには節制するという適切な自己コントロールの賜物なのだろう。
「ところでしずくさんは、何か言いたいことはあるかい?」
コウジは気を使って、宇宙船技師の暁しずくに語りかけた。
「なんですか? 私は余り物ですか?」
「そういうこっちゃないんだけどね」
しずくは強い口調でにじり寄ったが、その顔は笑っていた。
「私、しのぶさんにずーっと憧れていたんです。私も、しのぶさんみたいに自作の宇宙船を作るのが夢で、いろいろ勉強しているんです。でも、最近は技術の進歩が早すぎて、ついていくのが大変なんですよ」
コウジは記憶をたぐり寄せた。しのぶが作った自作の宇宙船と言えば、あの悪名高い垂直離着陸高速無蓋飛行機がすぐに思い浮かぶ。まさかあれに憧れる若者がいるとは、世界は広いものだと彼は感心した。
「それじゃあ、その憧れの先輩の話に加えてもらうがいいよ。すぐそこにいるから」
コウジは横で夢中に話し合っているしのぶと充樹の二人を指差した。
しかし、暁しずくは遠慮がちに首を横に振った。
「でも、私なんか邪魔になるだけだから……」
コウジは、いつになく真顔になって言った。
「そんな遠慮は無用だよ。常に全力でチャンスをつかみに行くのが宇宙消防士の基本的な心構えさ。俺たちはいつ死ぬかわからないんだからね。死んでから後悔しても遅いんだ」
そうして、コウジはしずくの手を引っ張って、二人のベテラン宇宙船技師の会話に参加させた。そのついでにジュウザも呼んで、宇宙船技師四人の技術談義が始まった。もはや技師以外にはちんぷんかんぷんな内容だ。
次第に時間は過ぎていく。様々な国の言語が飛び交う消防衛星では、飲み食いする者、眠る者、おしゃべりする者が混在し、心地よい混沌が形成されていた。こういった騒がしい場所のほうが、変に静まり返った場所よりもよく眠れる。
総リーダーの三国龍之介は疲れの泥沼の底に沈んでいた。束の間の休息を、彼は全力で貪っていた。いつの間にか彼の頭を、妻の華が膝の上に乗せてくれていたことに、彼は途中まで気がつかないほどだった。それに気づいた後は、ますます深く眠りの底に沈んでいった。
その心地よさが突然に中断させられた。
それは不思議なアナウンスがみんなのネビュラに届けられたからだ。ノイズ一つない、これほど明瞭な声を聞くのは、その場にいるみんなにとってあまりにも久しぶりのことだった。
いつしか花火はやんでいた。
ようやく光の洪水が収まり、漆黒の宇宙が戻ってきた。それは太陽と地球の照り返しによって細かい星々が闇の奥に沈んでいるがゆえに、さらに濃い暗闇として広がっている。
その暗闇の中に、赤ん坊を胸に抱く一人の女性の姿が映し出された。
その女性はピクシーカットと呼ばれる極めて短いショートヘアで、警官の制服を着ていた。その胸には、琥珀色の目をしたやけに迫力のある顔つきの赤ん坊が収まっている。その髪は見事なゴールドで、王の冠を被ったような威厳があった。
「みなさん、ごきげんよう。おそらくほとんどの方が、私を見るのは初めてだと思います」
その女性の澄んだ声が、この映像を観ている全員のネビュラに届いた。それは、このクロノ・シティの周囲だけでなく、地球を遠く離れた火星や木星や、さらにその外側の星々へも向けられていた。
龍之介は長椅子から起き上がった。華が、彼の背中を支えた。
これから何か重要な発表が行われることを、誰もが予感していた。
思えば三年前に太陽系に暮らす人々全員に向けられた、「機械細胞を受け入れるか否か」を問う呼びかけのときも、こんな感じだった。
龍之介は、無意識に華の肩を抱いた。
クロノ・シティの内部でも、この様子が全員のネビュラに伝わっていた。保育所で宇宙消防士の子供たちの世話をしている冬樹冴子も、空に浮かぶ女性と赤ん坊の映像を観ていた。そのそばには、華の子供の纏や幟、ユズの双子の娘の蜜柑と檸檬、妙子の息子の天野・フリードリヒ・遊星・ハイネマンの姿もあった。みんなは庭で楽しく遊んでいたところだった。
広報官の桃井翼は、床にはめ込まれた大きなガラス窓に身体を寄せて、この様子を最高画質でネビュラに記録した。これは歴史的瞬間だという興奮が、彼女の全身を襲っていた。
ピクシーカットの女性は言った。
「私の名はマーガレット・フーリエ。そして、この子の名はアリア・ヴィア。これから重要な発表を行いますので、お忙しい方もお手を休めて、この話に耳を傾けてください。ここには立会人としてハリー・グラハム警部補とハロルド・フォークナー巡査部長もいらっしゃいます」
カメラが引くと、かしこまって直立不動の二人の警官が居心地悪そうにしている様子が映し出された。その背景からは、その場所が極めて裕福な人の住処であることがうかがわれた。
マーガレットが促すと、彼女の胸に抱かれたアリア・ヴィアと呼ばれた赤ん坊が、なんとみずから語り始めた。
その声は、どう聞いても成熟した女性のものだった。その奥に男性のような深い低音が混じり、倍音の響きとなって厳かに響く。
「これから私は、クロノ・シティをお借りして、一つの大きな実験を行いたいと思います」
その言葉に、人々は真剣に耳を傾けた。そうさせるだけの威厳が、この不思議な赤ん坊にはあったからだ。
「これを『楽園実験』と名付けます。二十世紀の半ばには、マウスを使って似たような実験が行われたという記録がありますが、私はそれを人間を使って行いたいのです」
それは、かつてジョン・B・カルフーンという動物行動学者が、大規模な実験設備で行ったある実験のことを指していた。
アリア・ヴィアは言った。
「これより、クロノ・シティを隔離し、ここに暮らす人たちを被験者として、ある実験を行います。この閉ざされた場所で、新しい能力を持った人間たちが、どのようにして新しい社会を作り上げていくのか、それを私は実験を通して観察したいのです。新しい能力とは、すなわち……」
アリアは思わせぶりに長い間を開けてから、こう言った。
「私たち機械細胞と、人類とが、共にその中に太陽を燃やす能力のことを指します。これはきっと、これまで誰も見たことのない社会を作り出すことになるでしょう」
アリアはそう言い切ると、慈しみを込めた微笑みを全人類に向けた。
第一部「クロノ・シティの住人たち」編完結。
次回から第二部「楽園実験」編が始まります。




