桃井翼、ジャーナリストになります!(前編)・1a
セミの声がわんわんと周りを取り巻いている。
縁側の障子を明け放した座敷に、桃井翼は両手両足をぴんと伸ばして寝転んでいた。Tシャツとショートパンツは汗でぐっしょり濡れて、焼けるように熱い畳の上には湯気が立っていた。
外の気温は四十度近い。部屋の中は、それよりさらに暑い。
夏の太陽は、磨き抜かれた縁側の床板をじりじりと焼いている。床板があまりにもつやつやに磨かれているために、そこから反射した日差しが座敷の天井を明るく照らしていた。
タイヤが砂利を踏むじゃりじゃりという音が近づいてきた。おばあちゃんのミニカーが帰ってきたらしい。
「こら、翼、そんなところで寝ていたら干物になるよ」
小百合おばあちゃんは買い物袋を床にどさどさと置いてから、縁側の障子を全部閉めた。そして冷房のスイッチを入れると、があがあとやかましい音を立てて冷たい風が吹き下ろしてきた。今どきこんな年代物のエアコンを使っているのは、翼のおじいちゃんとおばあちゃんくらいなものだろう。
このエアコンは年代物なだけに細かい温度調節はできないが、一度動き出したらすべてが凍りつくまで冷やすのをやめない無骨さはなかなかに頼もしい。
翼は相も変わらず畳に寝転がっている。
おばあちゃんは特にやかましく言うこともなく、ゆっくりとお茶など飲みながらテレビを眺めていた。
「ほら、翼、あんたたちの事故の特集やってるよ」
おばあちゃんが「あんたたちの事故」と呼んでいるのは、翼が十一歳のときに、姉や両親と一緒に巻き込まれたグラス・リング崩壊の事故のことだ。
三つ違いの姉の華は、そのとき自分たちを救助してくれた宇宙消防士に憧れて自らも宇宙消防士になり、その救い主の男性と見事に結ばれて、今は二人の子供を育てている。
テレビに映っているのは、すべてが透明なガラスで作られた異様な建造物だ。ドーナツ状の透明なリングと、その真ん中の穴を貫く長い棒状の構造物が組み合わさっている。リングはその棒を中心として、独楽のように回転するのだ。
衝撃的な映像が繰り返し流れている。グラス・リングの化学プラントが爆発して、その爆発に巻き込まれた宇宙船が制御を失い、次々とリングに衝突していく。砕けたガラスがデブリとなって宇宙空間に散らばる。それがまた事故を誘発する。最悪な偶然の繰り返しが、災厄をさらに拡大していく。
おばあちゃんはせんべいをぼりぼりかじりながらテレビに見入っている。その特別編集されたドキュメンタリーは、突如として表舞台から姿を消した、ジャーナリストのディビッド・リップマンを追慕することを目的として製作されていた。リップマンが残した数々の映像やインタビューはどれも迫力と見応えがあって、簡単に視聴率が稼げることから、何度も再編集を繰り返して放送されている。
三つ揃いのスーツにぴったり撫でつけた黒髪、ウイングチップの革靴を履いて、手には黒革の手帳とシャープペンシルを握っている――そんなリップマンの気品たっぷりの姿をいつの間にか見なくなってから、ずいぶん久しい。
華は汗びっしょりの身体を起き上がらせ、ちゃぶ台のそばへ這いずり寄った。おばあちゃんが淹れてくれたお茶を、ふうふう言いながらすする。冷たい飲み物はお腹を壊すからと、桃井家では真夏でも熱いお茶を飲むのが習わしだった。親友の白石智香は、その習わしにだけは同意できないと言って、ここに来るときはいつも自分用の水筒を持参していた。
そこにおじいちゃんがやって来た。その手には紙の新聞を携えている。哲志おじいちゃんは元哲学教授という立派な経歴の持ち主だが、最近はだんだんと頭が鈍ってきていた。
「あなた、またそんな古新聞読んでるんですか?」
おばあちゃんに呆れられても、おじいちゃんは意に介さない。四十年ほど前の古新聞を丁寧に開きながら、おじいちゃんは食い入るように記事に目を走らせていた。まるで今日のニュースを読むように、おじいちゃんの目は真剣だった。
テレビには崩壊して大気圏に突入しようとしているグラス・リングと、そこから脱出しようとしている何十個もの救命カプセルとが映し出されている。あの救命カプセルは実は規格に違反していて、耐熱性がはるかに劣る粗末な材料で作られており、あのまま地球に飛び込むとたちまち燃え尽きてしまうといういわくつきの代物だった。命を救うはずのカプセルが、ただの棺桶だったというわけだ。
翼と両親も、あのカプセルに乗り込んで脱出を試みるところだった。それを、すんでのところで姉に救われた。姉はそのときみんなとはぐれて一人で逃げていたのだが、そこで出会った若い宇宙消防士と協力して、みんなにハリボテのカプセルから出るようにと声を掛けて回ったのだ。
姉は、そのときをきっかけに宇宙消防士になった。そのとき知り合った男性の宇宙消防士と結婚さえした。ある意味、姉の人生は単純だ。一度決めたら、あとはまっすぐ突き進むだけ――そうやって、姉はいくつもの危機を乗り越えてきた。翼には、そんな生き方はできる気がしない。
ジャーナリストのリップマンの肖像が、まるですでに何十年も昔に死亡した人物のように、モノトーンの色彩で紹介されていた。
彼は本当に過去の人になってしまったのだろうか。今はもう、彼のような信頼できるジャーナリストはどこにもいない。彼は一度狙いをつけた獲物はけっして逃さず、それを丸裸にして真実をさらけ出すまでは絶対に取材を諦めなかった。彼は必ず現場まで足を運び、自分の目と耳で取材することを常に心がけてきた。そこまでの気概を持ったジャーナリストは、今はもう一人もいない。自分を犠牲にすることも厭わず真実のために働くジャーナリストは、今はもう一人もいない。
今はただ、ひたすら注目を集めることを目的としたセンセーショナルでどぎついニュースばかりが蔓延っている。どこから拾ってきたのかわからないような怪しいニュースを、素上も定かでない連中がまき散らしているだけだ。リップマンがいなくなってからというもの、巷は嘘で溢れている。
翼の中に、何かがむくむくと起き上がる気配があった。彼女自身、まだそれに気づいてはいないが、心の奥で何かが確実に動き出していた。




