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特殊生物研究所

 ぼくの研究所は国内トップクラスの規模で、予算や待遇も他のところとは段違いだった。研究内容はいろいろだけど、主には医薬学と生物学の研究がされていた。倍率もメチャメチャ高くて博士号をとったばかりのぼくが就職できたのも半分くらいは運のおかげだった。このまま実績を積んで、ゆくゆくは主任、いや首班、いやいや所長になるのが夢だった。そのためにはトップジャーナルに死ぬほど論文を載せる必要があるし、IFだって無視できない。業績はあればあるだけいい。いや、むしろないといけない。そういうわけでぼくは、毎日毎日、身を粉にして研究に励んでいたのだった。

 そんなある日、ぼくの研究室のボス、つまりは首班研究員のもとに、大型の未確認生物が運び込まれると連絡があった。なんでも近くの森でみつかったらしく、ドでかい大穴のまんなかで、岩の周りをウロウロしてたのを捕獲されたらしい。人類が地球のあちこちを踏破してもう随分になるから、今じゃ未知の領域なんて海底くらいしか残ってない。ぼくらは長い長い探検の果てに立っていて、節足動物や微生物以外の新種を見つけられる可能性なんてほとんどゼロに近かった。それだから、ボスも同僚も、もちろんぼくも、今回のことには破裂するほど胸がバクバクいっていた。もしかしたら世紀の大発見の見届け人になれるかもしれない。その思いがピカンと脳裏をよぎり、自然と笑顔がこぼれた。

「随分、にやにやしていますね。いいことでもありました?」

 不意にボスに声をかけられて、ぼくはギクリとした。手にしっかりと握ってたはずのスマホをワッと落としそうになったくらいだ。それはチラチラと雪の舞う景色が描かれた、ちょっと和風なスマホカバーに入っていた。ボスはニンマリ顔でぼくを見てて、いつも以上に機嫌がよさそうだった。

「ええ。まさか、こんなすごい瞬間に立ち会えるなんて思ってもみなかったので、つい」

「ははは。そうかそうか。それは確かにそうですね。現状、こんな形で新種が見つかることなんて滅多にありませんから。うんうん、君の気持ちは私もよくわかります」

 ボスはポカポカと穏やかに笑ってから手に持っていたコーヒーを飲み干した。白い紙コップを、ひょいとゴミ箱に捨てると、ゴミ袋の中にピッピッと赤茶色の雫が付いた。ボスは手をひらひらして主任を招き、あれこれ指示を出した。そして、その主任からぼくらにビシッと指示が下る。なんでも運び込まれた動物の記録映像を撮るらしく、メンバーは機材の準備をキビキビと始めた。ぼくは同僚と一緒に、棚の高い所にあるカメラや三脚を、うんとこしょっと取り出して、ストレージを確認した。うん、容量はまだタップリある。同僚とサムズアップすると、それを黒いカバンにかっちりしまった。しばらくしてすっかり準備が整うと、ボスを先頭に、RPGのパーティみたく列を作ってラボを出た。

 白い明りの降り注ぐリノリウムの床。壁は象牙、扉は月白、そしてぼくらは真っ新白衣。つい、こないだ新調したばかりのピカピカで、もう、何着目か分からないくらいダメにしていた。クラクラとめまいがするほど白い研究所は、外の人からすれば病院のようで、少し嫌な感じかもしれない。けど、ここまでキラキラした白い空間に身を置いていると、じっとりした死の予感はどこかに消えてしまって、むしろ、先へ進まなきゃ、どんどん前進しなきゃ、ってひりつくような探求心が湧いてくる。実は、この配色もウチの研究成果で、色を含めた様々な要素で五感刺激をコントロールし、それによって人間のスペックをぐぐーんと効果的に引き出すことができるのだった。詳しくは専門外だけど、要するに色を使った催眠術の一種らしい。そんな「進歩の空間」を、ぼくらは朗らかに笑って、ゆっくりと進んだ。いつも通り、ペタペタ歩きながら作業について確認をしてるけど、みんな、やっぱりどこか声が上ずっている。きゅきゅって感じに。新種の生物という、ギラついた殺し文句が心を離れないんだろう。その気持ちはぼくにもよくわかった。ぼくらはエレベーターで地下の生体サンプル・ルームに移動した。そこは研究用動植物が飼育されている場所だった。階に着くと、白んだ銀色の扉が開いた。動物園のような、いや、それ以上に巨大な空間がドスっと現れる。色んな動物がきちんと分類されて、黒い檻に入れられている。動物たちのダラーンとしただるそうな瞳がぼくらの肌をさらった。

「お待ちしてましたよ。A首班。さあ、こちらです」

 奥から白髪の人間がすたすた近寄ってきた。ニヤッとした胡散臭い笑み。一見すると、ちょっと怪しい、変な人だけど、実験動物なんかの保守を担当するフロアの管理者で、れっきとした所員だ。

「ええ、お待たせしてすみません。ちょっとばかし準備をしていたものだから」

 機材を抱える部下たちを指さしながら、ボスはスッと会釈した。

「いえいえ、そんなそんな……」

 管理者は大仰にグワングワン首を振り、ニコッとまた胡散臭い笑顔を浮かべた。

「いやいや、本当に申し訳ございません。……それで例の動物というのは」

「あ、はい。こちらです」

 管理者に案内されてどんどん奥へ進む。カツカツという品のいい靴音。通り過ぎるぼくらを、飼育係の人たちが複雑な顔でじっと見つめている。その、どこかドロドロした視線に、みんな、多少は優越感に浸ってるみたいだった。ぼくはというと、知り合いを見かけるたびに小さくお辞儀をしていた。広い部屋を縦に突っ切ると、やがてガチガチの強化ガラスで仕切られた、広い空間が現れた。周りには、机とか、椅子とか、あと、電子ホワイトボードなんかがキチっと準備されている。そのガラスの向こうに、お目当ての生物がいた。今までぼやっとしていたボスはソイツを見た瞬間、急に喜色満面となって、目をグワッと見ひらいた。まるで何かの封印が解かれたみたいだ。

「これが、例の……」

 ボスは、ポヤーッと恍惚に溺れ、管理者のダラダラした説明も聞こえてないみたいだった。ソイツは身長二メートルくらいの巨体で、スタスタと二足歩行をしていた。ひび割れた肌は赤黒く、まるで岩石のようにごつごつしている。肩が空に向かってグッと隆起していて首も頭もすっかり飲み込まれていた。全体的なフォルムは長方形。目は切れ長で黒の面積が驚くほど広い。血みたいに真っ赤な唇。ギラーンと尖った牙。肉食動物みたいに獰猛な手足の爪。体から熱気が出ててるらしく、隔離スペースの周りでは額にじんわり汗がにじんだ。ソイツはふらふらと歩き回りながら、こちらをねっとり観察していた。たまに口を開いて、オギャーと赤ん坊みたいな遠吠えを上げる。見た目はカサカサのミイラにしか見えず、活動してなければ、真っ先に博物館行きになっていただろう。管理者によると、雑食性で、バクバク、なんでも食べるけど、なぜか水だけは摂らないらしかった。

ぼくらはその奇態な姿に言葉を失った。心の底がガリっと抉られた気分だった。同僚たちは互いにヒソヒソ感想を言い合っているけど、実のある意見は出ていなかった。なんだか、目をそらすために雑談しているみたいだった。言語化できない戦慄がぼくらを覆っていた。なんだ、なんなんだ、この生物は。ぼくはゾワッとした寒気のようなものを感じていた。よく言えないけど、不安の液体が胸をタプタプに満たしていたし、こんな生物、本当にいていいんだろうか、と雨粒みたいな鳥肌がブツブツと立っていた。

その中でボスだけはじっとソイツを観察し、ブツブツとボスにしかわからないことを呟いていた。しばらくしてから、ボスは夢から覚めたように、顔をパチンと軽くはたいて、繰り返し瞬きをした。白衣のポッケからトマトジュースのパックを取り出し、一気に飲み干す。そして、ぼくらの方を向くと、ニッコリ笑った。

「それじゃあ、記録に移りましょうか。準備をお願いします」

 それを受けてぼくらは水を得たように動き始めた。さっきまでのどんより重たい空気は消え、みんなテキパキと作業に入った。ぼくは同期と一緒に新種生物の正面にビデオカメラをセットし、ギリギリとピントを調節した。それを終えて周りを見ると、気の早い先輩がカメラでパシャパシャ資料写真を撮っていた。ぼくは、暑いなあと思いながら水筒に口を付けた。

ビデオカメラは全部で三台並んだ。これとは別に、隠しカメラが何台か、ひっそり檻の中に忍ばせてある。作業はパパッと終わった。ぼくらの作業の間中、ボスは近くのイスにどっしりと座って動物を見ながら、ときどきタブレットでメモを取っていた。その集中力は人並外れていて、海みたいに深かった。ボスにウッと気圧されつつ、ぼくらも動物の観察を始めた。じろじろと見ながら、気づいたことをメモに取る。この後、全員でミーティングをする予定だった。二十近い瞳が一斉に獣へ注がれる。

 ぼくはそいつの玄武岩みたいな、でこぼこの肌を見ながら、なんで水をとらないのか考えていた。水を必要としない動物というのは少し考えづらい。仮にいたとして、じゃあ、代わりに何が体を巡っているんだろう。うーん、思いつかない。……もしかすると、水を必要としないんじゃなくて、経口摂取する必要がないと考えるほうがいいのかもしれない。空気中から水分をとっている、とか……。肌のひび割れは空気との接触面積を増やして、効率的に水分を摂取できるようにするためのものかもしれない。凝り固まって硬質化してるのも気になるところだ。あれが防水膜のような役目を果たして肌から水分が蒸発するのを防いでるとか? とすると、水を吸収しやすいけど、出しにくい、そんな仕組みなのかもしれない。あるいは、フィルターの機能があって有毒なガスなんかを通さないようにしているのかも。うーむ。なんだか突拍子もない考えだ。そういえば吸収した水はどう保存しているんだろう。経口摂取ができない構造になっているとするなら、アイツのいた生活圏は水が極端に少ないはずだ。むしろ水蒸気くらいしかないような地域なのかも。となれば水を体に蓄えておく機能が必要で、ラクダみたいに脂肪にして保存している可能性もある。いや、むしろ水は体内合成で確保して、一切、摂取はしていないとか。有機物を分解し、水に変える機構。どっちかというとクジラに近い構造、なのかな……。待てよ、水が少ないってことは、乾燥地帯なわけで、砂漠や高山に近い環境なのかもしれない。体が焼け焦げたみたいに黒く、それで岩みたいなのは、もしかしたら擬態の機能もある、のかな……。ぼくはあれこれ考えてみたけど、何だか、どれも決定打に欠けている気がした。なんかもっと、こう、びっくりするような仕組みがある気がしてモヤモヤした。ぼくはほとんどギラっと睨むようにソイツを観察していた。すると、ソイツの口がガバッと大きく開き、汚れた牙があらわになった。と、突然、キイインと甲高い音がした。

「なあ! おい、こら!」

 突然、怒鳴りつけられてぼくはドキリとした。白いタッチペンを止めてバッと振り向いた。けど、誰もぼくのことなんか見ていなかった。みんなアイツにご執心で、目を皿みたいにグワッとしている。

「……」

 ぼくはこめかみに指を押し当て、ぐりぐりとねじった。じんわりとした痛み。それから力をこめて肩をもみほぐす。疲れているんだろうか。まさか幻聴が聞こえるなんて……。ぼくはうーんと天井を仰ぎ、カウンセラーに行ってみようかな、としみじみ考えた。

「おい! お前ら聞こえてるんだろ!」

 また、怒鳴り声がした。それはサルの悲鳴のようだった。キーキーと耳をつんざく唸りで、辛うじて日本語の体をなしていた。ぼくは奥歯をギリッと鳴らしてゆっくり視線を下げた。そこではアイツが威嚇するように歯をむき出しにしていた。ただでさえ細い目がすっかり線みたいになっていた。ソイツはトロトロと緩慢な動作でぐるぐる歩きながら、赤ちゃんの泣き声に似た痛々しい叫びを上げていた。オギャー、オギャー……。大勢の人間に囲まれて興奮しているのかもしれない。サッとぼくはそう思った。そう思った一方でなんだか割り切れない感情もあった。さっきの呼びかけがぼくの心を捉えて離さなかった。ぼくは手を止め、ソイツをじいーっと凝視した。すると、こちらの視線に気づいて足を止め、じろりと見返してきた。ガラス越しに目が合い、ソイツはニヤリと嫌に笑った。闇がざわざわ蠢いたみたいだった。

 ガン。

 プラスチックが床にぶつかり、鈍い音を出した。それを合図にみんながバッとこちらを見る。まるで訓練されたサルだった。変な汗が、脇とか額にじわっと染み出した。ぼくは気まずさと恥ずかしさに顔をカアーと赤くし、急いでタブレットを拾った。幸い画面は割れてなくて、ぼくの、ちょっと不健康な白い顔がきれいに映っていた。ホコリをパッパッと払いながらさっきの声について考える。あれは何だったんだろう。まさか、アイツが喋ったとか? 確かに、声がした瞬間に、シュッと目はあったけど……。何をバカな。そんなことあるはずないじゃんか。ぼくは目頭をギュッと押さえた。はあ、とため息がこぼれる。やっぱり、幻聴か……。嘘でしょ……。でも、まあ、最近、根を詰めすぎていた気もするし……。はあ、いよいよ本格的にヤバいってことなのかな? もしかしたら病院に行ったほうが……。

「それでは一旦、引き上げましょうか」

 ボスの言葉でぼくはハッと我に返り、幻聴を巡る思索から解放された。ぼくはボスを見つめて、次の指示を待った。ボスはとても素敵な笑顔を浮かべていた。


 ミーティングやら報告書作成やら、まあ、いろいろと業務をこなしていると、あっという間に定時がやってきた。一日の仕事を終えて爽やかに帰宅する人もいれば、学会発表や論文の締切が近くてげっそりとした人もいる。ぼくもそのうち、ああなることを思うと博士課程が思い出されて胃がキリキリした。今日も今日とて何人かは残業をするようだった。期日が重なると、それも仕方ない。ホントはいけないけど、仕方ないんだ。そういうぼくも少し残ってやりたいことがあった。ぼくは退勤する人波に乗ってすいーッと研究室を出ると、下のフロアに降りた。実は、昼間の幻聴がまだ納得できないで、その正体を確かめたい気持ちがしていたのだった。あれは本当に幻聴だったんだろうか? そうである気もするし、そうでない気もする。ぼくは胸のモヤモヤを解消するため、もう一回アイツと接触することにした。

 アイツはガラスの向こうであぐらをかいていた。目を閉じ、じっとしている。その姿はどこか受難者を思わせた。黒い岩のような殉教者……。コンコンと分厚いガラスを叩くと、アイツはゆっくりと目を開いてぼくを見つめた。ぼくら二人は透明な壁を挟んで向き合った。暫くの沈黙。そしてアイツは、不意に赤子みたいに笑った。オギャー、オギャー……。

「やっぱり、聞こえてたんだな、無視しやがってよお、たく」

 キンキンと金切り声がする。音の氾濫が交わり、ギリギリ言語の形をなしていた。この感覚。これが果たして幻聴なんだろうか? ぼくの心は、そうに決まってる、と言っていたけど、奥の方ではリアルな事実なのを否定しきれないでいた。

「……」

 ぼくがボケーっとしていると、無視されたと思ったのか、ソイツはブスッと不服な色を浮かべ、

「聞いてるのか? おい!」

とガンガンがなった。ぼくはどう答えていいのか、分からず、迷った末にニコニコと微笑みで応答した。古今東西、微笑みほど他人を和ませるものはないからだ。けど、それも気に食わなかったらしく、コイツはコンクリに爪を立て、ゴリっと音を鳴らした。

「なんだ、お前。なんで黙ってんだよ、おい!」

 話し方がきつくなっている。これ以上、シーンと喋らないでいると、相手がブチギレてしまうかもしれない。そこで少しためらいつつも声を出してみることにした。幻聴だったら、周りに不審に思われちゃうけど、まあ、それくらいのリスクなら取っても問題ない。というか、独り言がひどい人なんて、このラボには何人もいるんだから、気にする必要はない、というのが正しいのかもしれない。

「あの」

 及び腰なのが一目でわかる声だった。気にする必要ないって思ってはいても、ぼくは白い顔が真っ赤になるくらい恥ずかしかった。まだまだ、ぼくも普通の感性を持っているってことなんだろう。ソイツは、ぼくが反応したのがうれしいのか、うってかわってフワフワとした朗らかな表情になった。

「なんだよ、やっぱり聞こえてたんだな。たく、声が小さいかと思って馬鹿みたいに叫んじまったぜ。はあ、よかった。やっと話を聞いてくれる奴に出会えて。他の奴らときたら、全員、俺のこと無視するんだもんな。全くまいっちまうぜ。おかげでこんな辛気臭いところにぶちこまれちまったし、ほんとに、踏んだり蹴ったりだぜ」

 首筋をボリボリかきながらソイツはザラザラしたダミ声で、そう語った。耳が慣れてきたのか、ザーザーというノイズ交じりの声もよく聞こえた。ソイツはぼくの後ろや周りにちらっと視線をやってから、キョトンと不思議そうな顔をした。

「そういや、お前以外の奴は来ないのか? さっきはあんなにたくさんいたのに、今は一人? それとも、お前がここから出してくれるなのか? ああいうのって立会いがいるもんだと思うけど、一人でやっちまって大丈夫なのか?」

「ここから、出す?」

「ああ、そうだ。いくら宇宙帰りだからってこんなとこに閉じ込められるいわれはないからな。あー、勿論、病院に行かないといけないのは分かってる。こんなナリだしな。でも、検査するのはここじゃないだろ? もっとちゃんとした設備のある……」

「え、と、あの」

 ぼくはちらかった頭をノロノロ整理しながらソイツのセリフに待ったをかけた。それでソイツはいたずらが見つかった子供みたいな顔をして、どうぞどうぞと手を差し出すジェスチャーをした。

「ここから、出すってのいうのは、どういうこと?」

「どういうって、おいおい冗談はやめてくれよ。いくらこんな見た目だからって人間を見世物にしていいわけないだろ? それくらい近代の常識ってやつだよ」

「にん、げん……?」

 ソイツの言葉にぼくは肺を撃ち抜かれたようだった。ズバーン……。言葉がドボドボ漏れ出てうまくしゃべれない。人間。確かに、ソイツはそう言った。それはつまり、こいつ自身が人間だってことなんだろうか? いや、そんなまさか。そんなこと、ありえるはずがない。コイツの外見的特徴は明らかに人間のそれから逸脱している。もちろん遺伝子検査をしないと詳しいことは言えないけど、誤差ではすまされないほどに違っているのは火を見るより明らかだった。肌の色なんて可愛いくらいの決定的相違。こんな特徴を持つ個体が人間、だなんて……。そんなこと、ぼくらの常識から言ってありえそうになかった。確かに二足歩行はしているけど、水は摂らないわけだし……。それに……と、ないないと思考を重ねることで、ぼくはソイツの言葉を否定しようとした。けど、その一方で、それならなんでコイツは日本語ペラペラなんだろう、それはコイツの言葉が真実だからじゃないのか、コイツはもしかしたら……とも考えていた。二つの考えは水と油、白と黒のように対立しあい、とても止揚できそうにない。けど、だからといって片方が間違っているようにも思えなかった。ぼくは、ビュンビュンと吹き荒れる嵐のような理性を落ち着かせようと、ゆっくり息を吸い、スーハーと吐いた。そしてニヤニヤとこちらを見つめるソイツにいくつか質問することにした。

「……さっきさ、きみ、自分のことを人間って言ったけど、それって本当なの?」

「ああ、そうだよ。まあ、見た目がこれじゃあ、すぐにはわからないだろうけどな。確かに人間だよ」

「それを証明できるものってある?」

「……証明、かあ。まあ、確かにそうだよな。言われるまで忘れてたけど、近代国家にはそういうもんが必要だよなあ……。そうだなあ、遺伝子を調べてもらえばすぐわかるって言いたいんだけど、ここで今すぐってわけにはいかねえしなあ……」

「……もしかして、何も、ない?」

「うーん、そうだなあ……。あっ、そうだ。あきゅうちかし、って名前で調べてみてくれよ。あは阿藤の阿、きゅうは及ぶ、ちかしは、なんじとか、しかりとかって読む難しい漢字で……」

 コイツの言うことを聞きながら、ぼくは、スマホにトットッと名前を打ち込んだ。阿及爾。たどり着いた三文字を見せると、ソイツはブンブンと体が千切れるくらいに大きくうなずいた。それを受けてネットで検索。ヒット。上から五番目くらいに、日本宇宙開発機構の名前が出てくる。ぼくはゴクリと息をのんだ。リンクをタップすると、白を基調としたホームページが出てくる。……第七次太陽系外探査プロジェクト。これって、確か一時期話題になった宇宙開発計画だよね。へえー、メディアは流さなくなったけど、まだ続いてたんだ……。そこに載っていたプロジェクト・メンバーのリストをずらっと眺めると、阿及爾の名前が見つかった。……本当にいたんだ。しかも、宇宙飛行士。アイツの言う通りのことに、ぼくはなんだかゾクゾクした。それから、公式のプレスリリースやネットニュース、ウェブ百科事典を回覧し、阿及爾の正体を突き止めた。

阿及爾は宇宙飛行士で、十年前、太陽系外探査プロジェクトのメンバーに抜擢されていた。それで、有人ロケットで系外に派遣されたんだけど、暫くしてメンバーと共に行方不明になり、今でも見つかっていなかった。

アイツの与太話が現実と重なって、ぼくの天秤はガンと人間説に傾いた。少なくともコイツが知的生物である可能性は高そうだった。ぼくはスーッと精気が抜けたようにニュース記事を音読した。すると、ソイツは難渋な顔つきになり、その変化がぼくにビシャっと冷や水を浴びせかけた。

「どうしたの? 何か間違ってる?」

「間違ってはないさ。ただ、俺達が地球に帰れなかったのは宇宙船のマシントラブルが原因だったのに、それが書いてなかったからな、嫌な感じになっただけさ」

「マシン、トラブル……」

「新型機だったから、まあ、そういうこともあるだろうさ。それに宇宙開発事業の話もあったしな……」

 鬱々とした表情をソイツは浮かべ、つられてぼくも気分がドンヨリした。だけど、この言葉からでは何があったのかよくわからなかった。細かい話は気になったけど、それ以上に気になることがあった。

「でも、そんなトラブルがあったのに、なんできみだけが助かったの?」

「……簡単な話さ。俺が最後まで生き残って、それで一人だけになった時、偶然助けられたんだよ」

「助けられた? 誰に?」

 ブルブルと、心まで震えるような寒々とした黒を想像しながら、ぼくはそう問いかけた。ソイツはふっと笑いながら答えた。

「バカバカしいと思うかもしんねえけどよ、異星人、あー、つまりは宇宙人に助けられたんだよ」

「……宇宙、人?」

「ああ、そうだ。恐竜によく似た見た目でさ、地球だと確か、レプティリアンって言うんだけっか。そいつらがさ、俺を助けれてくれたんだよ。この姿も、その救助のおかげでな、そいつらは俺を助けるために、体をこんな風に改造してくれたんだ……」

 ボンヤリとした曖昧な表情でソイツはぼやいた。ぼくは返す言葉を持たなかった。何を言うかと思ったら、言うに事かいて宇宙人、レプティリアンだって? ぼくは何だかイライラしてしまった。ここまで、話を聞いて答えが異星人だなんて。そんなバカなことあっていいはずない。第一、仮に異星人がいたとして、直近の地球型惑星がどれだけ離れていると思っているんだ? 三百光年だよ? ワープなんてできない以上、少なくとも三百年はかけて来なくちゃいけない。三百年。三百年だよ? 光の速さで三百年。そんな途方もない時間をかけて、こんなところまで来る宇宙人がいるわけないじゃんか。そもそも、何のために来るわけ? 不合理だよ。……いや、待てよ、もしかしたらワームホールを実用化してるって説も……いや、ないない。あんな空想の理論が現実に……。そんな風に、ぼくはコイツの言い分を胸のうちでグシャグシャに潰して、ポイっとくだらない物入れに投げこんだ。あーあ、時間をムダにしたー。……と考えてはいても、コイツの存在に説明をつけるとしたら、レプティリアンだろうと、なんだろうと、宇宙人っていうのは意外に筋が通っている気もしていた。正直、科学者としては、どうなのって感じだけど、案外、ぼくの中にも宇宙へのロマンがメラメラと燃えていたのかもしれない……。

「……改造。レプティリアン。それで、そんな見た目に」

 ぼくはコイツの言葉を頭から信じ込んだように振舞った。それでコイツは調子をよくして、心なしか、喋るスピードがギュンと速くなった。

「まあな。助けようとして手を尽くしてくれた結果さ。確かに見てくれはこんなんだが、おかげで生き延びられた。本当にありがたい限りだ」

 ソイツはニヤリと笑ったが、どこかペラペラの張り子のような感じだった。ぼくはその顔つきに、なんだかポカリと一発もらったような気分になった。論より表情ってことなのかな。ぼくはトンデモだと納得できないでいながらも、もう少し話を聞きたいと思った。

「君は、レプティリアンのことを恨んでないの?」

「恨む? なんで? なんで、俺が恨む必要がある? 命の恩人なんだぜ? 感謝するってんなら分かるが、恨んだり、怒ったりなんてのはナンセンスな話さ」

 ドドドドドドドドドッとまくし立てるようにソイツは言った。それにウっと気圧されながらも、ぼくは疑問を口にした。

「だって、望まずにそんな姿にされたんでしょ?」

「……ああ、そういうことか。確かに、この見た目はおぞましいかもな」

 その言葉にぼくは生唾をごくりと飲み込んだ。お腹の辺りに抱え込んでいた残酷な赤い物が、不意にプシャーッと噴き出したのをぼくは後悔した。

「そ、そんなことは……」

「いいんだよ。みなまで言うな。この姿が異様だってのは俺もよく分かってるさ。少なくとも地球人の姿ではないからな」

「……」

「まあ、でもあれだぜ? レプティリアンからすると、多少ブサイク程度なんだぜ? あいつらはみんな、岩みたいな肌をしてるからな。これくらい普通なのさ」

「……あの、その、ごめんなさい。そういうつもりはなかったんだけど」

「だから、気にするなって。俺だって、いきなりこんな姿の奴が来たら、驚くし、怪物だと思うさ。人間誰しも、見慣れないモノにはそんな反応するんだよ」

「……」

 頭が下がる思いだった。言い訳をした恥ずかしさに言葉を繋げるのがしんどかった。それを男は察したんだろう。グニャッと笑って話を続けた。

「レプティリアンは本当にいい奴らでな。俺を改造して、助けてくれたのによ、人間の姿に戻せなくて済まないって、しきりに謝るんだぜ。何度も何度も、深々とな。こっちからしたら、助けてくれただけでありがたいって話なのによ。ほら、新型宇宙船がトラブル起きたって言ったろ? あれでな、宇宙船は爆発しちまって、それで、四肢とか顔とか、マトモな形では残ってなかったらしいんだよ。ぶっちゃけ俺も、爆発に巻き込まれた時は終わったって思ったしな。そんな状況だったから、体が残ってたことが奇跡だってのは自分でもよく分かってたよ。それに皮膚もひどい有様だったみたいだしな。たそれで仕方なく、レプティリアンは、アイツらそっくりに治療してくれたってわけ。へっ、さっきは勢い余って改造って言っちまったけどよお、アイツらがしたのはれっきとした治療だったんだ。ショッカーみたいなもんじゃなかったんだよなあ……。ホント、アイツらは道徳の見本みたいな奴らだった……。なのにな、俺はな、ああ、俺もな、お前みたいに、最初はこんな姿を受け入れられなかったんだ。それで、レプティリアンに怒りっていうのか、苛立ちみたいなのをぶつけちまってさ、爬虫類が喋ってるって、最初怖がってたくせに、鏡見た途端に攻撃的になちまってよお、全く、勝手なもんだよ、人間って。でもな、そんなバカやった俺をさ、アイツら、怒ったり、見捨てたりせず、色々付き合ってくれて、それで、俺もやっとこさ、この姿が受け入れられるようになったんだよ。それでも結構かかったんだぜ? 一月、とかかな。だからさ、お前がそんなこと思ってても仕方ねえよ。俺も同じこと思ってたんだから」

「でも、人に言われるのは、自分で思うのとは違うっていうか……」

「一緒さ。結局、同じ穴のムジナなんだから」

 男はひらひら手を振り、オギャーと笑い声を上げた。ぼくはますます恥ずかしくなった。自分では、科学をやっていて、だから進歩的でリベラルだと思っていたのに、心の底には、浅ましい、真っ赤な差別心が残っていた。そのことが何よりショックだった。男はぼくよりずっと達観していて、フツフツとした怒りだって感じているはずなのに、笑って無礼を赦してくれた。そういう人間としての差が、ぼくにはとてもしんどかった。ぼくは男を見つめた。男は見返した。彼の瞳の奥に、紫微の銀河が見えた。

「レプティリアンはさ」

 と彼はスルスルと続けた。

「優しい奴らでさ、俺のことを受け入れてくれて、一緒に星に帰らないか、ってそう言ってくれたんだ。地球ってのがどんな星か知らないが、レプティリアン母星の方が生きやすいんじゃないか、ってな。多分、俺の反応を見て、地球にこの見た目で帰ったら、どうなるかってのを想像してくれたんだろうな。でも、俺は折角の申し出を断っちまった。本当は、ちょっと、レプティリアン星に行ってみたかったんだけどな」

「……何で断ったの?」

「そりゃあ、あれだよ、人間誰しも、故郷には帰りてえだろ?」

「……まあ、そうかもしないんだけど。その、レプティリアン母星に行ってみたいなら、一回くらい行ってみたらよかったのに、って思っちゃったからさ」

「ああ、それは、まあ、そうなんだけどな。でもよ、それより何より、俺には一刻も早く会いたい人がいたんだよ」

「会いたい人?」

「婚約者さ」

「……婚約者」

「そう、婚約者。……まあ、正直、待ってくれてるなんて、思ってなかったけどな。目覚めた時には、一年経ってたし、レプティリアンの宇宙船もそん時には地球から大分離れたところに移ってたしな。そこで、地球に行くのに九年かかるって言われた時は、正直、愕然としたし、まあ、そん時になんか諦めちまった」

「……それならなんで婚約者に」

「……償い、みたいなもんかな。ソイツの性格的にさ、まあ、多分、何年かは俺のことを待っててくれたと思うんだよな。行方不明は死亡じゃないとか言って、俺が帰ってくるのをさ。もしかしたら、まだ待ってるかもしんない……。そん時は、いや、いいんだ、どうせ、別の奴とくっついて、それで結婚してくれてるはずだからな。それで幸せになってくれてるって、俺は信じてる。でもな、それでも、数年の時間を俺はあいつに浪費させちまった。それどころか、ずっと悲しませちまった。それは、俺としても辛いことなんだ。だからよお、もしも待っていなくても、その間の埋め合わせは、謝罪だけはしてえんだよ。そんで安心させてやりたい。待たせ過ぎて悪い。やっと帰って来たぜ。これで、お前も安心だよなって……。まあ、勿論、アイツが……いや、それは流石にアイツに悪い。俺は好きで宇宙に行ったんだから、アイツも好きに生きて、幸せになっててほしい。でもな、せめて、せめて、もう一回だけは、って……。まあ、あれだよ、つまりはな、俺のエゴってことさ。それが理由で、レプティリアンにまた迷惑かけてな、そんで、ここまで送ってもらったんだ。おかげで、この星に、故郷の地球に帰って来れたんだ……」

ぼくは男の心中を察してウルっと来てしまった。同情がザブサブ湧いて紫水の泉になった。彼の言葉が本当だとしたら、それは大変な事実だ。初めて異星人と接触したこともそうだけど、それよりなにより人間の姿を、自分の顔を失ってしまったことはとてもつらいことに違いない。今、ぼくの顔が彼みたいになったらどう感じるだろう? 液体酸素がビシャッと飛び散って、顔中に赤黒い、ミミズがのろのろ這いまわったような痕が残ってしまったら……? 間違いなく、ぼくは仮面を作るに違いなかった。そんな思考実験だけでウッと首が絞まりそうなのに、彼は顔だけでなく……。その上、婚約者だって? メロドラマ的だ、設定の盛り過ぎだよ……。そんなお茶らけたことを思ったのは本当だけど、でも同時に、ぼくは彼のことを思って胸がギュッと苦しくなっていた。地球人のことを思うと、きっと怖かったはずだ。そんな見た目だと、一体どんな目に遭うか。それに、もしかしたら、婚約者にだって……。それでも彼は帰って来た。その勇気に、ぼくは、紫のマントを捧げたい気持ちでいっぱいだった。ああ、なんて悲しいメロスなんだろう。ぼくは、心の中でパチパチと盛大に拍手していた。

ぼくはいつの間にか、彼が人間であることを受け入れ始めていた。まだ、カッチリした、確実なことは言えないけど、それでもこのひらめきが間違っているとは思えなかった。ぼくは彼をここから出さなくてはと激しく感じた。雷がビカッ、ビカッと紫色に煌めくような、そんな激しさだった。人体実験に人権蹂躙、「海と毒薬」の時代じゃあるまいに、そんなものは許されていいはずない。ぼくはボスに事情を話してみることにした。もちろん、話だけでは信じてもらえないだろう。確実に休暇をとらされてしまう。けど、彼の言葉を聞けば、意見は百八十度、グルッと変わるはずだ、ボスは人格者だし、絶対に悪いようにはしない筈。そう決心すると、紫の輝きがキラリと頭を、全身をめぐった。すぐに行動しないといけない気持ちでいっぱいになった。

「ねえ、きみのことぼくからボスに話してみるよ。そうすればボスもきっとわかって、それで……」

「わかるって何の話ですか?」

 不意に、ポンと肩に手を置かれて、ぼくはびくりと驚いた。頭がサーッと真っ白になる。恐る恐る振り向くとそこには噂のボスが立っていた。帰宅途中だったのかスーツ姿だった。漂白したみたいにワイシャツが白く、右手にはいつも飲んでるアセロラジュースの缶があった。

「ボス……」

 見知った顔にホッと胸を撫で下ろす。

「驚かさないでくださいよ」

「いえいえ、すみません。声をかけても反応がなかったものですから」

 照れたようにボスは笑った。その人の好い表情にぼくの決意はさらに固くなる。

「それで、私に話してみる、というのは何のことですか?」

 ボスの質問に答える形でぼくは彼から聞いた話を要約した。はじめはギョッとした、不審な顔をしていたボスも、話が進むと、ウンウンうなずくようになった。すっかり説明が終わると、あの素敵な笑顔を投げかけて、

「わかりました。あなたの話は確かに一考の余地があるようです。明日以降、私の方で何とかしてみましょう」

と約束してくれた。それを聞いた瞬間、パッと匂いが華やいだ気がした。ラベンダーのような落ち着いた香り。ぼくは彼の方を向いて親指を上げた。彼も笑いながら黒の親指をスッと立てた。


 一週間後の昼休みにぼくはボスに呼び出された。会議室で向かい合い、緊張した面持ちでボスの言葉を待った。ガチガチに凝り固まったぼくを見たボスは、

「そんなに緊張しないでください。そうだ、紅茶を持ってきますよ」

と優しく言ってスタッと席を立った。ぼくがやりますと言ったけど、

「いえいえ、大丈夫ですよ。それに、そんな調子だと落としちゃいますよ」

とやんわり断られた。それから十分もしないでボスは帰ってきた。両手にしっかりとティーカップが握られている。

「どうぞ。これでも飲んで少し落ち着いてください。ご心配なさらずとも、あの二十三号のことは悪いようにはしませんから」

「は、はい……」

 ぼくは二十三号という単語に違和感を覚えつつも、勧められるまま紅茶をズズッとすすった。おなかの底があったまり、体中がぽかぽかする。春の陽気に包まれたみたいな心地よい気分。

「そういえば、スマホケース、買い替えたんですね」

「え?」

「ほら、前は雪の絵が描いてあったでしょう? でも最近、別のものに変わっていたじゃないですか」

「ああ、これ、ですか」

 突拍子もない話にドキッとしながら、ぼくはモタモタとスマホを取り出した。藤の絵が描かれた、淡い紫のケースだった。

「白だと汚れが目立っちゃって、それで新しいのを買ったんです」

「なるほど。いいデザインですね。どこで売ってるんですか?」

「え? ええと、ちょっとマイナーなネットショップなんですけど」

 ドキマギしながらサイトを見せると、ボスは興味深そうに商品を眺め始めた。それでぼくは少しホッとしたというか、何だか緊張がほぐれたような感じだった。ボスは一通り商品を見終ると、ぼくにスマホを返し、穏やかに微笑んだ。あっ、とぼくは気がつき、微笑み返した。ボスはコクリとうなずいてから本題に入った。

「それで、二十三号の件ですがね。ここ一週間の検査の結果、彼が人間であることが確認できました。あなたの言う通りにね。どうやら脳を含めた全身の体構造が私達とは一線を画すものに変化しているようです。脳や神経系は確かに人間の遺伝子を持っているのですが、体の複数の箇所で、人間以外のものが発見された。要するにキメラDNAですね。どうやら、彼の体は、人間のものに加え、様々な動物のDNAを織り交ぜて構成されているようですが、人間以外の遺伝子は、ザっと調べた限り、この星のものではない可能性が高いものでした。塩基の種類は私達より四種類多く、その違いが、恐らくは彼の謎を解き明かすカギなのでしょう」

「そ、そうなんですね……」

 ぼくはボスの話を上の空に聞いていた。なんだか頭がふわふわして思考がまとまらなかった。でも、彼が本当に人間だとわかったことは嬉しくて、例えるなら、春の陽気の中、万緑の芝生の上で寝転がったみたいな……。なんて、少し気取ってる。人間って分かれば、彼の待遇はすぐに変わるはずだ。一週間。本人には不本意だった日々がやっと終わると思うと、胸の辺りが、こう、なんだろ、うまく言えないや。なんでかボーっとする。安心したせいなのかな、体がいつもより浮ついてるなあ。

「ええ、そうです。それでですね、彼の正体が人間と分かったことで、今回の発見の重要度が格段に跳ね上がりました。ええ、本当に、これは素晴らしい発見です。私の感覚ですと、新種の生命の発見以上の偉大な事績と言えるでしょう。なにせ、あなたの言う通りなら、レプティリアン、つまりはエイリアンを初めて科学的に観測しうるわけですからね。その上、彼らは極限状態でも生き抜ける特殊な体構造を持っており、それを、自身と全く異なる生物である人間に付与できる。素晴らしい。非常に卓抜したテクノロジーです。彼の解析はレプティリアンの技術水準を測る試金石となるだけでなく、彼らとの意思疎通の道を開く鍵になるかもしれません。また、人体改造技術を洗練させられれば、宇宙船の安全基準を引き下げることもできるでしょう。もしかしたら、特別な装備などなくとも、宇宙や深海を旅できるようにもなるかもしれない。何にしても、夢の広がる素晴らしい発見です。そして、それを私に齎してくれたのは、あなたの勇気だった。改めて、感謝いたします。本当にありがとう」

 ボスは深々と頭を下げた。それにぼくも応じようとしたけど、なんだか体がズシンと重くて、うまくできなかった。ボスの白髪交じりの頭をチラッと見るのが精一杯だ。どうしたんだろう? 寝不足かなあ。指で目を擦る。でも、昨日は早く寝たんだけど……。

「……それでですね、一つ疑問となる点がありまして。あなたの言葉を信用すれば、彼はどうやら言語を話せるようなのですがね、これについては、まあ、何と言いますか、残念ながら、私にはちっとも聞き取れず、ただの鳴き声にしか聞こえないのです。とてもあなたの言ったように日本語を話しているとは思えない。念のため、他のメンバーにも確認しましたが、赤子の泣き声にしか聞こえないと皆が言っています。ですが、調査の結果を照らし合わせると、あなたが嘘を言っているとも思えない。不思議だ。実に不思議なことです。これらは一見すると矛盾しているように見える。無論、あなたが幻聴を聞いていて、それが偶然、真実と重なったという可能性もあります。ですが、それではどうも納得がいかない。偶然だなんて、そんな都合のいいことがあるでしょうか? そこでね、私は考えたのです。彼の発する音が言語だとしたら、それはレプティリアンの言葉を話しているのではないか、とね。更に、もう一つ。あなたの話によれば、レプティリアンというのは大変、善意に満ちた種族のようです。果たして、そのような種族が、人体改造をするだけして、何のフォローもなく地球に放り出すなんて過酷な真似をするものでしょうか? 仮に我々地球人が同じ状況に置かれたとして、どうするでしょう? 答えは簡単です。ガイドをつけますよね? 彼はこんな姿に変わってしまったけど、安心してほしい、怖がらないでほしい。なぜなら、容姿こそ人間離れしているけど、彼はれっきとした人間なのだからと現地の人々に伝えに行きますよね? だって、そうでしょう? もしも、そうしたことをしなければ、どうなると思います? 害獣か何かと勘違いされて、射殺されるのがオチでしょう。その程度のことにレプティリアンの考えが回らないとは思えません。……どうです? この推理、かなりいい線に、いや、正解に行き当たったのではないですか? ははは、分かりますよ、ここまで隠し通した以上、自分の口から言うのは照れくさいですよね。それに危険もあるかもしれない。ええ、分かりますとも。ですから、少しあからさまですが、私の方から答えを言わせていただきましょう。ずばり、あなたが、そのガイド役、つまりはレプティリアンなのではないですか? いえいえ、皆まで言わずとも分かりますよ。姿形が全く違うじゃないか、これのどこが爬虫類型異星人なんだ、とそう仰りたいのでしょう? 分かります。ですが、人間をレプティリアンと同等の生物に改造する技術を持っていることを鑑みるに、擬態技術くらい持っていると考えるのが至当なのではないでしょうか。つまりですね、あなたは、恐怖心の強い、大多数の愚者の危険性をよくご存知だったからこそ、人間の姿をとって、この研究所に現れ、ひっそりと、彼の正体を私に伝えた、とつまりはこういうことなのでしはないですか? 自身の正体がバレないように、慎重に。直截的にではなく、間接的方法で以って。ですが、あなたは一つだけ思い違いをしていらっしゃった。いや、正しくは計算違いか……。それはですね、私があなたの想像している以上に、賢く、勘のいい人間であった、ということです。私は、ほら、この通り僅かなヒントからあなたの正体に辿り着いてしまった。あなたがレプティリアン、異星人だという真実にね。さて、謎解きが終わったところで、いよいよ本題に入らせていただきましょう。まずは、初めまして、レプティリアン殿。あなたは我々と初めて接する異星の知的生命でございます。きっと、我々人類文明の後進性に、あなたは大変驚かれたことでしょう。誠に恥ずかしい限りですが、我々人類というのは、御覧の通り、あなた方に比して、遥かに劣った文明しか持ち合わせておりません。挙句に、科学批判が蔓延する、非常にカルト的な種族でして、未だに科学研究に反対し、その予算を削ろう、削ろうとする、愚かな反知性、いえ、反人類主義的な悪党どもがのさばっている星でございます。いやあ、本当に恥辱の極みです。これについては私も憂慮しているのですが、如何せん、あなた方レプティリアンとは違い、人類は個体間の知能のバラツキが大きすぎ、まともに思考できる、いわゆる真のインテリと呼べる個体は、ごくごく僅かにしかいないのです。そうですね、私の印象で申し訳ないのですが、全人口の0.5%ほどでしょうか。あるいは、もっと少ないかもしれません。学者でさえ、その大半が愚者であるのですから。そのような状況では、自力でレプティリアン母星を来訪できるようになるまで、一体、何百年かかることか、想像したくもありません。そこで、ですね。大変申し訳にくいのですが、レプティリアン殿。私は、地球の科学者を代表しまして、あなたに技術供与をご依頼いたしたく存じます。要するに、あなたの持っている技術、知識、そしてもちろん、その特殊な体構造について、その全てを我々人類にお教え頂きたいのでございます。無論、これが矜持の欠片もない、無様な、しかも図々しいお願いであることは重々承知しておりますが、何卒ご慈悲を頂ければ……。もちろん、言うまでもないことですが、我々はあなたに最大限の敬意を払わせていただきます。あなたはまさしく、イエスの如く尊い贄。人類を発展させる救世主なのです。その神聖なる犠牲精神は我々とレプティリアンの懸け橋となり、あなたの献身は二種族の歴史に未来永劫刻まれることでしょう。言うまでもなく、記念碑が立ち、毎年式典が催されるに違いありません。我らを結びつけたる偉大なるレプティリアン、第二の故郷、地球に眠る、とね。レプティリアン殿。実験に快く協力していただく貴方様のことです。至らぬところは多く、愚昧で拙劣な我々ではございますが、出来うる範囲で、御身のご生命に最大限の配慮させていただきます。なにせ、貴重な、貴重な技術供与者だ。いつまでも、いつまでもこの星にいてほしい。我が地球を母なる大地だと思ってほしい。手前勝手な理屈ではございますが、我々はこのように心底考えておるのです。ですから、あなたも遠慮などなさらないで、いつまでも、その身朽ち果てるまで、この星にいらっしゃってください。勿論、あなたの心配も分かります。人類は、その多くが野蛮で、狂暴な輩です。あなたを見かければ何を言い出し、どんな行動をとるか、想像するさえ悍ましい。ですが、ご安心ください。私が責任を持ってあなたを保護し、あれら下劣な人々の目に晒されないよう保護して差し上げます。シェルターなり、何なりを用意し、そこから出ずとも不自由なく生きられるようにして差し上げます。ご遠慮などなさる必要はございません。私と貴殿の仲ではございませんか。この程度、貴公の恩恵に比すれば、塵芥にも等しい。ですから、どうか、レプティリアン殿。この星に、我が国に、どうか末永く……。レプティリアン殿。貴殿も、このあまりに低レベルな最新鋭研究施設を見ただけで、既にご理解なさっているかと思われますが、我々が、御身の文明に近づくことには非常な困難が伴っております。独力では未来永劫到達しえないかもしれない。ですから、どうか、どうか我々のためにご助力いただきたい。御身の献身を、我らが科学の発展のためにはやむなしなのだと、どうかご理解いただきたい。願わくは、その知識も遺伝子も、何もかもを我等に下賜されたい。おお、偉大なるレプティリアン、素晴らしきレプティリアン殿!」

 ボスが何を言っているのか全くわからなかった。レプティリアン? 僕が? 何のこと? 一体全体、どういう……。ああ、わからない。それよりも頭が重い。すごく重い。あれ、風邪でも引いたかな。からだあついや。それにおもたい、ほねもきんにくもおもたい。あれ? あれ? なんでかな、なんでかすごくまぶたが、めのまえくろ……。

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