博覧強記
ヴィスワ河の淵から、煤けた灰色の夜明けが訪れる。絡みつく油膜のようにクラクフ全体が朝で覆われ、全ての輪郭は曖昧なものに移ろっていく。今日も、粘っこい霧の時が始まる。黄金の日差しは、茫漠とした、不確かな光と変わり、重たい湿気が中央広間の石畳へ張り付いた。声高く響くはずの教会のラッパも、薄白い層に濾され、淀んだ音響へと減衰している。
私――マテウシュは、退屈で、粘着質な日常の中にいた。朝、いつも通りにカフェへ行くと、水気を吸った木製のテーブルに肘をつき、灰褐色の新聞を捲った。聖マリア教会が鈍い音を吐き、冬の清々しさを切って捨てる。止めどない金管の書割。古都の時を告げるありふれた音の震えは、中世から連綿と続くこの町の日常で、物憂く鑑賞する耳を滑らかに通り抜けた。
今思うと、この倦怠には替えの効かない幸福があった。誰もが抜け出したいと願う、ありきたりな日々。肌触りさえ霞み、全てが朧に消えて行った、倦厭なる季節。しかし、その停滞にこそ何よりも懐かしい安寧が横たわっていたのだ。
異変は、寒い二月の夕べに書斎で起こった。その時の私は、父が遺した古い手帳を読んでいた。父は病院で亡くなった。最後の方は認知症のため、まともに話すことはできなかった。そんな父が臨終まで握っていたのが、この手帳だった。黒革製の、なかなか優れた一品だが、時の重なりに揉まれ、捻られ、すっかり古ぼけていた。こびりついた老父の残像。錆びた、血のような匂いだ。一週間前に葬儀を終えた私は、死にまつわる一般的な騒ぎから解放され、ようやく一息つけていた。椅子に腰掛け、父のことを思い出す内、ふと、手帳を開く気になった。遺書ではないと知っていたが、詳しい中身は知らなかった。
紙の上には、微に入り細を穿つ、記述の荒瘠が広がっていた。クラクフの数々の風景を、沈滞とした筆致で綴っている。それも一時の気まぐれではない。日付を見るに、死の間際まで続けられたようだ。この文字の意図を、私は図りかねた。父はクラクフにどのような思いを持っていたのか……。これほどの細密画、少なくとも愛なくしてはできないはずだが……。段々とたどたどしくなる筆跡をなぞりつつ、私は父の過去を巡った。その手からは、腐乱していく脳髄の小さな振動と、袋小路へ変性する時間の崩れとが濃密に感じられた。
指先が最後のページを滑った瞬間、万年筆の擦れる音が、突如として、私の聴覚、いや、精神に、不穏な硫黄の悪臭を伴い突き刺さった。酸化したインク、その色の奥々に、書き手の呼吸が極色彩を伴って律動し、人生の吐息が今、頬の表層へと吹き付けられた。昔日より訪れる痙攣した息遣い、父の死の香りは、私の肺へ感染していくように感じられた。記憶の遺伝……それは、セピアと化した古い質量が時を跨いで侵食し始めた瞬間であり、今思えば、父の病的な因子が、私の脊髄へ注入された瞬間でもあった。
耳の奥で骨が軋んだ。世界全体が無限に細分化し、増殖する。プラナリアのように爆発的だ。恐るべき細密画の時代。記憶とは忘却である。そのことが如実に実感される日々……。だが、原初の時、私は、次第次第に細かくなる世界へ、新鮮な豊潤さを感じていたのだった。
日記を読んでからというもの、地球のカンバスは、目を見張るほど細部を増大させた。まるでヤン・ファン・エイクの絵画のように、微小なるものは、その小ささのために輝きを放った。聖フロリアンスカ門は、もはや一つの集合体ではなかった。赤と白が混ざり合う煉瓦の微妙な風合い、顕微鏡を要する石の割れ目、風に揺られる堅牢な表面が、日毎、時間毎に異なる神話的模様として、私の網膜に静かな熱を帯びて焼き付いた。フロリアンスカの表情は生きているように転変し、礼拝堂の磔刑象が命の移ろいを感じさせる。観光客が蠢く。使い古した帽子の白い毛羽立ち、赤んぼうの福音に似た笑い声、露店に犇めく絵画の匂い……。往古来今の石の想念は、無限の層へと切り分けられ、その幻灯は優美となって神経を高め、燃やした。
聖マリアのラッパが持つ、多元に重なり合った音の精妙。小雨が醸す石の奏では、霧雨、豪雨のそれとは本質的に異なり、同じ小雨であっても、一分一秒の間に目まぐるしく音彩は変わった。車輪の雑踏にさえ限りない個性。全ての微差は、この蝸牛の中で独自の座標を獲得し、天上の幾何とも呼ぶべき複雑な紋様を描いた。丁度、天動の惑星運動のように。従前、私は音楽に疎く、演奏というものに大して興味を持ってなかったが、そんな私が、音の奥行き、その果てない美の瞬きに感じ入ってしまっていた。
カフェに置かれた、あの木製のテーブル、飴色の椅子。色は流砂のように移ろい、混じり、ほんの刹那の眩さを見せる。置かれたナプキン、その折り目のどれもが、寸刻前とは完全に異なる、新しい紙の建築として立ち現れた。銀色のスプーンとフォーク、そして、白いカップ。僅か数分の肉体的触れ合い。指紋が付き、それがフラクタルのような回帰的装飾を形作る。たった一点の汚れが、それも辛うじて目に映るだけの汚れ、乱数が、今この時に、誰も見たことない姿と生まれ、繁茂し、流れる時間の中で溶解していく。過去に同じ過去はなく、昨日は、瞬間は、常に更新され続ける。世界に怠惰のありえないことを、揺蕩う粒子に実感した。
物言わぬ静物だけではない。人間も、生命も、止まることなく動き続けている。恰も赤の女王のようだ。中央広場に控える馬達の、かしこまった、けれども荒々しい嘶き、そして蹄。毛並みは空気の飛翔を受け、万華鏡のように姿を変える。通りすがる学生達の帽子の傾き、歩調の鼓動、声の高さの、あの、わずかな金属質の変化。それら全ては刻み込まれた記憶となって、次に彼らに会った時、最早、同一の人とは思えなくなっている。異なる皮膚と骨の集合体として、新しく、そしてアダム的に創造されるのだ。
この神秘なる過剰、その素晴らしさを、私は友人達に嬉々として語ったが、彼らは呆れたように、あるいは心配そうに笑うだけだった。
「随分と鋭敏な観察だね。もしかして、神経がまいっているのかい?」
世界の旺盛さを分かち合えない、その寂しい事実に一抹の不満を抱いた。だが、仕方のないことだ。弾指に宿る遥けき美麗。それを知るのはあまりに難しい。ほとんどの人は、宇宙を間引いてしか見られないのだから。私は密やかな優越感を抱き、濃淡移ろう空を凝視した。
ある晩、友人のピオトルとバーで向き合っていた時のこと。私たちは、くだらない噂話や政治家のゴシップで盛り上がり、一頻り笑い合った。だが、ある時を境に、その一場面は、忽ち氷片へと変わった。氷河の鋭さが、こめかみに深く食い込む。ペトルは、市の新しい条例について熱弁を振るっていた。彼の口から発せられる「移民」「教育」「ポレクジット」といった言葉が、爆ぜるように飛び交う度、私の眉は弓形に歪曲した。同じ単語を彼は繰り返し用いている。辞書的には恐らく同一である語彙。だが、彼の吐息、発音、アクセントは、一秒経つ度に、先刻までとはまるで異なる音階を刻み、とても同じ単語には聞こえない。初めは酔いのせいかと思ったが、どうにも違う。喉仏の上下運動、舌先の角度、唇から抜けるアルコールの息吹。それら全てが、毎回、ひどく独特な響きを生み出し、彼の言葉を、音韻を、意味なるものから切り離していた。それは、無数の断片的な音、痙攣、シナプスの微電流でしかなく、単語ではなかった。百足が背を這ったようだった。いつの間にか、彼の言葉を認識できなくなっていた。それどころか、彼を彼と把握することさえ不可能になりつつある。絶え間ない情報処理の熱に、その綿密さに、認知が融解していくようだった。ペトルの雄弁らしきものが終わり、末尾に空気の塊が添えられた。恐らく、何かしらの意味を持っていたのだろう。だが、今の私にとってそれは、他の追随を許さぬ唯一無二の音波でしかない。居酒屋で飛び交う声の群れが、鼓膜に先鋭な印象を響かせた。ライトの揺らめき、チーズの発酵臭、味蕾を包むワインの味わい。一瞬間、那由多をも超えるデータが湧出する。ぺトルと思われる男は、ひどく怪訝なような顔をしているらしいのだが、私には、口腔内でのたうつ粘膜の微細な動き、粘度、質感を、寸暇惜しまず知覚することしかできなかった。私には分からないのだ、この男が記憶の中のペトルと同じなのか否かが。ただ、状況証拠的に、これが人間であり、男であり、知人であり、ペトルであると判断し得るというだけだ。そう思った途端、全てのものが複雑怪奇な、未知の物象に見え始める。周りにあるのは、倦まぬ変化の運動であり、あまりに個性的な、留まることなき何かだった。私は、暗黒に、情報のエレボスに叩き落とされた。何もかもが鮮明ということは、逆説的に、何もかもが不分明ということなのである。私は、はたと思い至る。これは感覚の破綻であると。存在の過剰は、世界を、宇宙を、古い事物から脱皮させ、より豊穣で、より過密な新しい皮膚に上書きする。そこに安寧の場所はなく、普く事象が親しみから解き放たれている……。
翌朝、目覚めると、世界の鋭敏さは多少なりとも減衰していた。少なくとも、あの居酒屋よりは大分マシになっていた。私は安堵した。いくら記憶力がよくなると言っても、あそこまで行ってもらっては困ってしまう。恐らくは飲み過ぎが原因だろう。現に、槌を振られたように頭が痛んだ。私は、気晴らしにクラクフの街中を散歩することにした。
中央市場広場に出ると、鳩の羽音が、青空を切り裂く薄い刃物のように、頭上の天蓋へ反響した。聖マリア教会の尖塔は、朝日に照らされて、燃え上がる朱を吐くと、地獄のラッパを鬱々と吹き鳴らした。風に煽られる露店の屋根布が、まるでマルシュアスの皮のように、じっとり波打ち、神の下した血みどろの暴虐を連想させる。馬の跑足が悲しみの集積として周囲を旋回し、石畳の溝に、何か赤い粘液を溢していった。
眼前の風景は、見覚えのある、あの日、あの時のリフレインなどではなく、無限に層をなす記録のペトログリフで、風雨の襲来にも決して朽ちることなく、かけがえのない瞬間を留め続ける。まるで、凝集した永遠のように、一瞬の閃光は、巨匠の手で塗りつけられるのだ。一秒前とは僅かに異なる、光の角度、影の濃度、色調の変化、それが齎す、ロールシャッハのような絵模様に、私は、最早、感銘を受けることなどできなかった。居酒屋の記憶が、たった今の事柄のように脳裏ではためいた。ミノス王の両手のように、知覚は金と固まり、正確に記憶へ刻まれる。街の表情は、病むことなく分裂を続け、無限に、そう、無限に印象を切り刻み、仕分け、脳髄の迷宮へ配置していく。同じものは二度と現れない。一つのものは、ほんの一時、明滅しては、あっという間に流れ去ってしまう。
たちどころに、現在はグロテスクな混色の嵐、怪物の楽園と化した。まさしく、ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」である。私の足取りはよろけ、ふらつき、やがて、地面どころか、重力さえ捉えることができなくなっていた。吐き気、頭痛、熱に苦しめられ、藁にもすがる思いで、何やら四角形の塊へ腰かけた。冷たさが波のように寄せては返し、複雑な温度の戯れが皮膚を貫いた。目を閉じ、耳を塞ぐ。体を丸め、鼻や口にも蓋をした。これでもまるで足りないが、さっきほどよりは大分良くなっており、脳に雪崩れ込む情報の量が目に見えて減少していた。感覚を失った安息の中、私は、この奇怪な賜物を愛し、重宝していた頃、大学の講義で建築史について語っていた時のことを思い出していた。聖アンドリュース教会に見られる、ロマネスク様式柱頭彫刻の、血管のように細く、可憐に伝播する大理石の亀裂、文様。ヴァヴェル城の、赤煉瓦、青銅色の鐘楼に、複雑多彩なタペストリーの群れ。そして、中央広場で嫋やかに時を奏でる、あの聖マリア教会……。クラクフ建築の粋を集めた美の円卓を、まるで眼前に眺望しているかの如く、仔細に、そして稠密に黒板へ書き写す……。それは、恰も神秘的な召喚術で、天の黄金より、熾天使の煌めきを呼び出したようだった。学生達は驚嘆した。その時以来、私は「生きた博物館」となったのだ。
深い闇にいるようで、ここは依然、私が向かい合っている現実なのだった。茫漠とした意識が見せる、在りし日の美しいひと時は、鳥の鳴き声、風の冷たさ、否応なく鼻腔に入り込む人間達の俗臭に、容赦なく蹂躙された。「生きた博物館」のパフォーマンスは、脳の中で見ている儚い夢は、感覚の鋭敏と記憶の山積によって、一挙に蝕まれた。私は、空想の中でさえ、何かを何かと判断できなくなっていた。講義で話す言葉が、差異を生産し続け、自分の発話も、生徒の発話も、一切、掌握することは叶わない。学生と思われるモノの瞳孔、細長い、恐らくはペンであると推測される事物の小さな揺れ動きから、服に似ているが、どう見ても異なる物の上に横たわる、皺と言うのが正しいように感じられる奇妙な陰影や、未だ名を持たない珍奇な色で染められた、ひどく複雑な形象の、細い、繊維らしき物の絡まりまで、何もかもが分別なく、雑多に、海馬へ吸い込まれていった。世界の瓦解、原初への回帰。日本神話において、宇宙はドロドロとした乱雑な海より生まれたという。私の世界は、生れる前の始まりへ戻りかけているようだった。深呼吸をした。しまった、また一つ記憶が増えてしまう。舌打ち。まさか、空想に逃げることさえできないとは……。
体を伸ばし、感覚器を開いて、私は再び外の数多を知覚し始めた。終わることなき切り分け、分析、その記録。それら全てを一切破棄し、もう一度、あの時へ、何もかもが鈍重で、虚ろで、それゆえに統一感を持っていたあの時へ帰ろうとした。意識を集中し、微細なる膨張に拮抗しようとする。細部を抑え、抽象化し、世界を「集合体」として捉え直そうとした。神経は目まぐるしく機能し続けた。だが、変遷が穏やかになることはなかった。孔雀の羽の驚くほど精巧な模様を、一つ一つ数えるような、果てのない感知と記憶。私は、嘔吐した。不愉快な酸味や、灼けるような喉の感触、病原菌を連想させるまがまがしい黄色、滝の音、そして、忘れることのできない厭な芳香……。再びベンチと判断するのが妥当な代物に座った。ブルー、スカイブルー、インディゴ、シリアン、アクアマリン。そのどれとも違うが、それでもブルー系統に最も近いと言える不明瞭な色がぶちまけられた、広大で平板な空間、きっと上にあるから空なのだろう。私はそれを見上げ、溜息に似たものをついた。ああ、滑稽な闘いだ……。
それから数日後、私は、カジミエシュ地区の裏通りにある古い街の、赤煉瓦と黒い苔に覆われた古びたアパート、と綴る他ない物の内に閉じこもった。認識の乱れゆえに契約に難儀したが、その事実こそ、私が世界から隔絶しつつある陳腐な証であった。部屋の全てを布で覆い、空間を黒で、絶対的なる闇で満たした。街、人、音楽、そして美術。そのどれもが、最早必要ない。私が求めるのは、煩わされることない静寂と平穏。何も記憶しないことなのだ。黒い繭は体を柔らかく包んでくれた。全ての色が黒を作るのなら、その中には全てがあり、同時に何もないのだ。誰も黒から七色を再現できない……。私は横になると、何も感じられない世界の、その素晴らしさを実感した。時空は同一性を失い、それに伴って私は、私以外の何もかもを失った。大学を辞めた。知人の訪問を断ち、電話を河に放った。今の私は亡霊に過ぎなかった。極力、記憶から逃れようと、過剰なる奔流から身を隠したのである。ベンチによく似た物に座っていた時以上に、徹底的に。
だが、宇宙は、このちっぽけな命の儚い願いでさえ、決して成就させてはくれなかった。建造物の中に身を潜めていても、匂いや音はとめどなく私的な場所へと闖入した。布も時が経てば汚れ、鼠に穴をあけられる。停止した世界、全てが無の空間。そんなものは単なる寝言、夢物語に過ぎなかった。地球上、そのどこであっても座標を持ち続ける限り、育たぬもの、朽ちぬものはないのである。無常。そんな簡単なことにさえ、私は気が付いていなかった。ミニマルな座に閉じこもっていても、ここが世界の内である限り、記憶は増殖の手を止めない……。
ある日のことだ。私は、クラクフのシンボルとも言うべきヴァヴェル城へ向かっていた。こうなる前の私が何より好きな場所、光景だった。深夜だった。人の気配もない、人工灯に賑やかしく照らされる城以外に何一つ存在しないように思われる、そんな夜。勿論、私の五感に、無の一文字は存在しない。どれほどの静謐であっても、両手に抱えきれないほどの情報、印象が、間髪入れずに脳細胞へ吶喊し続けている。私は、もう出歩くことさえままならなかった。日の光、鳥のさえずり、パターの匂い。世界に生きていること、それ自体が拷問だった。ここが『神曲』なのだろうか……。懊悩は尽きず、それゆえに、全てを片付けてしまいたかった。私は、珍しく誰一人として観光客のいない道を進み、開放されていた門をくぐった。誰かが開けておいてくれたのだろうか。あるいは、私自身がそうしたのかもしれない。記憶の鮮明さが逆に混乱を齎すとは実に皮肉だった。迷うことなく、寧ろ迷うことさえできずに、私は城の中を進んだ。鍵は一つもかかっていない。警備員もいない。いや、本当はいたのかもしれない。私が、それだと判別できなかっただけで。思い起こせば、いくつもの不思議、不可解はあった。だが、それがどうしたというのだろう。私にとっては道端の小石でさえ、驚異、驚嘆の代物なのだ。今更、筋の通らない、超自然的な何事が起きていたところで、気にならなかった。
城の内部を辿り、かつて竜が君臨したという洞窟へ降りて行った。それは深く、深く、あまりにも深く、私は記憶の迷宮を彷徨しているような、奇妙な浮遊感に襲われていた。果たしてこれほどまでに深い場所だっただろうか……。違和感があった。だが、すぐにそれはどうでもよくなった。その深淵を何にも替え難いほど心地よく感じていたのだ。洞窟を潜る程に、何もかもが闇の中に解け、崩れていく。ここには何もない。ただ、不動だけが、静かに充溢しているのだ。数多の岩が待ち受ける、険しい道を進んだ。足場は悪いが、転ぶことはない。闇の内には全てがある。そう、全てが。ならば、光を見つけられないわけがないではないか。私は歩きながら、一人呟いた。
「記憶は、命は、世界を、絶え間なく腐敗させる」
とうとう、私は洞窟の底に辿り着いた。暗かった。終りの昏さだった。そこで、遂に冷たい涅槃を感じた。視覚も聴覚もない世界。嗅覚は消え、味覚は塗り潰される。触覚を刺激するのは、透明な、ゼロという不在だけ。細部は凍り付き、記憶は拡張を止める。氷の創世記、あるいは黙示録……。
魂の内より轟く、霊妙なる沈黙。私は怜悧、冷血な意識を以て、世界に訣別の辞を告げた。
「世界よ、お前はもう私を蝕めない。記憶は、この密室で永遠に停止する」
意識は、ゆっくりと内側へ、自己という名の閉ざされた霊廟へと沈降していった。我が手が首に巻きつき、ああ、なんて静かなんだろう……、指先に力が込められる。世界の慈しみ、優しさ、穏やかさ……。美しき凪を知悉した瞬間、目の前に、完璧なクラクフが広がった。
ヴィスワ河は霧に包まれ、聖マリア教会のトランペットは、退屈な、いつも通りの音色を響かせる。石畳は定まった模様を描き、馬車の振動は、明日も、明後日も変わらないまま。ああ、素晴らしいコーヒーの味。こここそが、かの愛すべきヴァヴェル城……。
私は記憶の街を孤独に、誰にも邪魔されないという贅沢を携えて歩いた。
記憶の街――それこそが、宇宙の最果てにして終の住処だった。末期の息を吐く。この甘美な味わいを私は決して忘れないだろう。二度と賞玩することのない、この素晴らしい空気を。




