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留守番電話

 サークルの飲み会に、その友人は来る予定になっていた。

 前日まで、グループラインでも活発にメッセージを送っていたし、そもそも彼の誕生会を兼ねた飲み会だった。

 だが、当日になって彼とは連絡が取れなくなってしまった。既読は付くが、電話に出ない。

「時間になったら来るでしょ、何せ誕生日だし」

 メンバーの一人が、グループラインで発言をした。みんな、スタンプで適当に返信した。 時間になっても彼は来ず、主役不在のまま飲み会を始めることにした。一応、電話をかけたけれど、やっぱり繋がらなかった。

 会がお開きになっても彼は来なかった。流石に、全員、驚いたが、それでも、スマホを壊したのではとか、寝ブッチではとか、あまり大事に思っていなかった。

 僕も、またセッティングするのは面倒だな、と幹事だから思ったくらいだ。

 一週間、彼から連絡はなかった。

 全員がイライラしだしていた。夏休みだったし、それくらいのスパンなら連絡が途絶えることも普通だが、誕生会をドタキャンしておいて、無視というのは流石にひどい。多少は心配する気持ちもあったが、メッセージをスルーしている相手に、気を遣う気は起きなかった。

 更に一週間が経った、ある日曜日の昼下がり。

 僕も、いい加減、腹が立ち始めていた。

 たびたびメッセージを送ってはいたが、全部、既読スルーなのだ。正直、ブロックしてやりたくもあったが、それはあまりに短気すぎると思ってしないでいた。

 昼食を終えた僕は、諦め半分でスマホを見た。既読スルーのままだった。溜息。そして、最後のチャンスだ、と何度目かの独り言を漏らしながら、また、メッセージを送った。

 その直後、いきなりスマホが大ボリュームで鳴り始めた。驚いて床に落として、声を出した。家じゃなかったから、恥ずかしさで真っ赤になっていたはずだ。

 画面には彼の名前があった。電話だった。

 今更かよ、と思いつつも、まあ、何かあったんだろう、と気を取り直して電話に出た。

「もしもし?」

 返事はない。

「もしもし? おーい、聞こえてる?」

 また、返事はない。電話の向こうでは、金属のぶつかる音がしている。近くで工事でもしているみたいだ。

「おーい! もしもーし!」

 僕はさっきよりも大声で呼びかけた。それが功を奏したんだろう、彼の声が聞こえた。

「うう」

「もしもし? どうしたんだよ、何で連絡しなかったの? 誕生会ブッチしちゃってさあ、みんなカンカンだよ。一緒に謝ってやるからさ、今、どこいんの? てか、何かうるさくない? 工事でもやってる?」

 立て続けに質問したけれど、彼の反応は、

「うう」

という呻き声だけ。何だろう? とても弱っているみたいだ。もしかして、ケガでもしてるのか? そう思った瞬間、僕の心臓が速くなった。

「おい、大丈夫か? どこにいるの? 救急車、呼んだ方がいい?」

 また、沈黙が返ってきた。工事? の音がガンガンと鼓膜を揺らしまくって辟易とする。

「おい、聞こえてるか? おいってば!」

 近所の迷惑なんて考えず、必死で語りかけた。ほとんど、叫ぶ勢いだった。彼の反応は微かで、これはかなり不味いぞ、と直感した。けれど、場所が分からなくては助けにも行けない。何とか、今いるところのヒントでも聞かないと。僕は救急救命ドラマの主人公になった気持ちだった。

「痛いのか、体が痛む? 歩けそうにないくらいか? なあ、どうなんだ? お前、もしかして一週間も身動き取れなかったのか?」

「ああ……」

 彼の吐息が電話越しに耳に吹き付けられた。憐れな声色にゾクリとした。

「ああ、ああ」

 何かを彼は伝えようとしていた。僕は息を殺して発言を待った。最後の体力を振り絞っているのかもしれない。これを聞き逃したら、一巻の終わりだ。心臓の鼓動さえ、耳障りに思えた。

 痛いくらいの静寂と、相変わらずの工事現場の音……。

「ああ……」

「……」

「ああ……」

「……」

「ああ、なあ、お前って、&%&#’())って知ってたか?」

 えっ?

 突然のことに、僕の神経は固まった。彼が何を言っているのか、いや、そもそも何語だったのかさえ、分からなかった。それに、急に声がまともになったのにも驚かされた。虚を突かれた僕は、

 へっ? えっ? あっ?

と呆けた言葉しか発せなかった。その瞬間、

「aaaaaaaAaaaaAaaaaaaaaaaaA!」

と意識を引き剥がすような絶叫が轟き渡った。僕は、眉を顰め、思わずスマホから耳を離した。内臓が破裂するかと思うほどの衝撃だった。

 彼の叫びは、耳に当てなくても十分に聞こえていた。何だか、地の底から訴えかけているような、そんな響きだった。

「な、なんだよ!」

 鳥肌の立った腕を撫でながら、僕は顔をひきつらせた。

 絶叫は三分ほど続いて、いきなり終わった。雪の日のように、急な静けさが訪れた。

 恐る恐るスマホを耳へ運んだ。

「おい……今のって」

「申し訳ありませんが、荷物の御受け取りをお願い致します。本日、配送予定です。万が一にも、受け取り拒否などなさ、れませ、んよーう、誠にぃお、願い、も、ももも申し上げますます。……敬具」

「え……?」

 驚くほど丁寧な、けれども機械的な声がしたかと思うと、電話は切れた。ピロリンと通話終了の合図が虚しく鳴った。

「えっ? はあ? 今の、えっ? 今のって……」

 ただのいたずら? それとも、何か、もっとヤバいもの? 奇々怪々な状況に混乱、錯乱、えっ? どうしたらいい? おい、どうすんだよ! と真っ黒なスマホの画面を見つめるしかできないでいると、

 ピンポーン!

インターホンの音に体をびくつかせた。そこで正気を取り戻し、玄関、そして、その奥にある金属の扉を見つめた。

「すいませーん、佐川ですー」

 若い男の声がした。サガワ、さがわ、ああ、佐川急便……。目元がひくひくと震えた。脳内で、彼の言葉がリピートされる。

 受け取り拒否などなされませんよう……。

 なされませんように、って、それなら、もし受け取らなかったら、一体、どうなってしまうのか。頭の中に変な妄想が浮かんだ。すぐ後ろにレザーフェイスが立っているイメージだ。背中にじっとりした瘴気が感じられて、不意に振り返った。

 何もいない。あるのはカーテンと窓、そしてベランダだ。

 粘液のような溜息を吐いた。すると、また、インターホンが鳴った。

「あ、はい」

 思わず答えてから、しまったと思った。しかし、反応してしまった以上、居留守というのは使えない。それに、彼の言葉も少し、いや、かなり気になっていたのだった。

 サインをして荷物を引き取った。サイズは割と小さいが、かなり重いらしく、配達員も、重いですよ、と注意するくらいだった。実際、腱が剥がれるほどの重さで、その上、骨に染み込むほど冷たい。持った瞬間、思わず配達員を凝視したけれど、相手は何も反応しなかった。下唇を噛みながら、なんとかリビングまで運ぶ。送り主を見たが、当然というか、名前は書いてなかった。

 十分近く逡巡した。そして、結局、好奇心に負けた。テープを剥がし、段ボールを開ける。

「えっ?」

 中にはスマホが一つ入っていた。

 あんなに重かったのに、スマホ一台だけ。

 僕は呆気に取られた。

「なんだ、何が……」

 ぼんやりしていると、箱の中のスマホが鳴った。髪が逆巻く気分になる。無視しようかとも思った。けれど、不思議なことに、スマホの音は段々と大きく、ざらついたものに変わっていったのだった。まるで、咆哮しているように……。

 毒を食らわば皿までと意を決し、その電話を取った。

「もしもし?」

「あー、やっと繋がった。お前、今、どこにいんの?」

 それは彼の声だった。呆れたような、安堵したような、微妙な明るさを持った声だった。

「え? あ? 何?」

 予想外の相手に、脳は機能停止状態だった。え? 何で、彼が電話を……? ここに来て、全てがいたずらだったのだと気が付いた。なんだ、冗談かよ。ホッと胸を撫で下ろすと同時に、メラメラと怒りが湧き上がってくる。ドッキリって仕掛けられるとこんなにムカつくんだな。クレームを入れてやろうと息を吸い込んだ。

「てかさ、何でもいいけど、早く来いよ。お前の誕生会なのに、主役がいないと締まらねえだろ?」

 その言葉で、瞬く間に溜飲は降りた。というより、怖気に変わった。誕生会? 何の話だ? 僕の誕生日は十二月……。

 その時、後ろからじっとりとした瘴気を感じた。レザーフェイスが背後に立っているような、そんな圧迫感。脂汗が掌に、額に、胸に溢れた。

「おい? どうしたんだよ、急に黙っちまって。もしもーし、聞こえてますかあ? なんだ? 電波わりいのかな?」

 スマホの向こうでは彼が暢気に囀っていた。部屋の気温が数度以上、下がった気がした。よく見ると、外が暗くなっている。さっきまで、確かに太陽が……。チェンソーのスターターが引かれた。エンジンがかかり、ブウッと切断の唸りが聞える。

「あああ、ああ!」

 彼に助けを求めたかった。求めたかったが、声帯がマヒして、声にならなかった。僕は空のダンボールをじっと見つめていた。

 何もいない、何もいない。レザーフェイスなんて、架空のキャラクターだ。念仏のように心の中で唱える、唱え続ける。振り向いてはいけない。振り向いたら、全ての夢が本当になる気がする……。唇が渇き、カサカサした。指先まで凍結する。寧ろ、動くべきでない。動いたら、何かに、何かに悟られ……。

「おーい、大丈夫か? どうしたんだよ、もしかして、何かあったのか?」

 声のトーンが落ちている。あまりに反応がないので心配になったらしい。僕の意識は、一縷の希望、蜘蛛の糸を掴んでいた。

 気付け! 気付け! 気付いて! 部屋に、部屋に来て!

 彼の笑顔と筋肉質な腕を思い浮かべ、明王に向かっているかのように祈った。

「……なんか、ヤバそうだな。もしかして、事故にでも遭ったとか? 今どこだ? 家か? 家にいんのか?」

 こくこく頷く。伝わるはずがないのに、こくこくと。だが、そんな無駄な行為も、しないよりはマシだったのかもしれない。

「分かった、とりあえず家に行くから、動かず、そこにいろよ? いいな、絶対だぞ!」

 何故かはわからなかったけど、彼には思いが伝わったらしかった。もうすぐ助けが来る。このよく分からない恐怖から解放される。そう確信した途端、眦から涙がとめどなく流れ始めた。

「うう、うう」

 嗚咽が漏れた。沈んだ青い声が、機械を通して彼に伝わった。

「……すぐ行く! すぐ行くから、安心しろ! 安心していいからな! 電話は切るなよ、切らずにそのままでいろ!」

 ヒーローのようにそう言って、どうやら走り出したらしい。ハッハッと途切れ途切れの呼吸が聞こえた。肩の力が抜ける。心なしか瘴気の気配が遠のいたようだった。

「ああ、そういえば!」

 信号にでも引っかかったみたいだ。車の走行音。遠くでは横断歩道の音楽が流れている。静かに息をしている彼が、僕に問いかけた。

「オマエッテ、&%&#’())ノコトシッテンノ?」

 電話の向こうから、生気のない、一本調子の棒読み。同時に、回転する鋸が耳元の空気を裂いた。


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