怪我
火山噴火のシーンがあります。
「クルックルッキュッ!クルックルッキュルルルル~」
「こんにちはシエ。ご機嫌であるな」
「わあ!せっ、星霊さん」
いつもの遊び場で小躍りしているところを、薔薇の星霊に見られてしまった。なんたって水の色と火の色を自由につくれるようになったのである。気分は画家だ。とは言っても、さすがに絵が描けるほどではない。グラデーションやマーブル模様が表現できるようになっただけだが、わたしからすれば多大なる進歩である。
「どうしたの?何か用?」
「温泉にちょうどよさそうな場所があった」
「ほ、本当!?」
え!え!え!場所が見つかったの!?温泉計画一歩前進か!?詰め寄ると星霊は少し下がって花びらの部分を一回転させた。勢いが強すぎたかも。竜みたいな巨体が突進してきたら驚くよね。ごめんなさい。
「ここから少し遠いが、枯れかけの湖がある。水がなくなって周囲の生物も減ってきている。もう少し待てば……そこを、温泉にしても……問題ない…………うむ、シエよ。落ち着きなさい。絡まってしまいそうだ」
ソワソワのボルテージが徐々に上がって最後まで聞いてられなくて空中でぐるんぐるん回転しているところを注意される。実際竜が絡まることなんて滅多にないけど、端から見たら豪快に振り回される紐みたいだもんね。一旦止まって大人しくするが、ソワソワは止まない。そんなわたしの様子を見て星霊は肩を落とすみたいな仕草で花びらを動かした。呆れられた気がする。
「このままでは、お主が先走るのが目に見える。場所を教えるのは、確定してからにするとしよう」
「わ、わかった。探してくれてありがとう、星霊さん」
「何、ついでである。ではな」
報告だけしていって星霊は帰っていった。わたしも池を後にして山上まで上昇する。ルンルンで両親に報告しようとしたけど、湖には動物たちしかいない。そういえば両親は今日は出かけているのだった。両親が帰ってくるまで待つしかないのか……いや!この感情を抑えきれねェ!ちょっくらひとっ走りしてくるぜ!!!!
暗くなる前に帰ってくれば怒られないはず。ラテルのところに遊びに行って以降、近所であれば一人で遊びに行くことも許されるようになったのだ。
好き勝手に飛び回りつつ、大盤振る舞いで回復のシャワーを四方八方に降らせる。もちろん環境に配慮してシャワーの温度は温い、というかほぼ常温といってもいいほどには低くしている。わたしの回復の魔法は精度が上がって水だけでも動物たちの怪我ならすぐ治せるぐらいにはなった。ただ癒し効果は火属性も使って温水にしないと効果はないみたい。竜の怪我も完璧に治せるようになったかは……よくわからない。竜は頑丈過ぎて滅多に怪我しないので。
小雨を引き連れるように飛んでいるとやがて半島に辿り着く。この辺は人の国が近く、無駄に怖がらせて攻撃されるのも面倒なので、いつも通り過ぎてばかりだ。今日は浮かれているのもあって少しゆっくりと景色を眺めてみる。そうして火山の上を通り過ぎたとき、火口に溜まるマグマに違和感を感じた。引き返して火口の淵に降り立つ。
――これ、なんだろう?
煮えたぎるマグマの中に『何か』が混ざっている。マグマではない『何か』はドロリドロリと流動的なのにも関わらず、灼熱の色に混ざることなくそこに留まり続けていた。その異質な様子に少しだけ体が震える。コワッ!え、さっきシャワーが入っちゃったせい?一瞬の小雨程度の量だったけど、ダメだった?内心焦っていると聞き慣れた声が聞こえてきた。
「……――に魔力をぶつければいいのか?お?シエ!ここにいたのか!遊ぼーぜ」
「あれ、二人が一緒にいるの珍しいね」
特に久しぶりでもないトキトニ兄ちゃんの頭の上に、本日二度目の薔薇の星霊が刺さっていた。トキトニ兄ちゃんはまたうちに遊びに来ていたようだ。湖に誰もいないから適当にうろついていたところを星霊に捕まったのだろうか。星霊はたまに湖に来て父とか母を連れてどこかに行くことがあるけど、トキトニ兄ちゃんを連れて行くのはだいたいフレーツお姉さんか晨獣様だから、この組み合わせを見たのは初めてかもしれない。
「シエよ、ここは危ない。すぐに離れ――」
星霊が話しかけてきたときだった。沸々していたマグマは激しく波打ち、勢いよく上空に吹き上がる。爆発音に熱風、舞い散る灰、雨のように降り注ぐ石。噴火である。マグマはやがて不気味な『何か』と共に火口から溢れ出し山肌を滑っていく。
やばい、しでかした。マグマが吹きあがった瞬間に宙に逃げていたわたしは、焦る気持ちもそのままに、冷静な部分が素早く周囲に目を走らせる。空の黄色い線はトキトニ兄ちゃん。彼らは離れたところを飛んでいて無事。火山に棲む数少ない動物たちは走って逃げている。この子たちはたぶん火属性の子だし、思った以上に粘度があるのか、マグマの流れは遅いから問題ないだろう。
どうしよう。雨を、降らせてもいいのだろうか。雨が原因で噴火しているかもしれないのに。星霊に聞いてみようと上空の黄色に体を向けたそのとき、視界の端に影を捉えた。
滑り落ちるように山を下りる三人の人間。大きさからして子どもか。一番小さい一人が降ってきた石に当たって転び、二人が抱え起こそうとしていた。小さい一人は支えられながら懸命に足を動かしているが進みが遅い。のろまなマグマは、のろまながらも確実に彼らを追い詰めている。考える前に体が動いた。気が付けばわたしは、三人とマグマの間に体を割り込ませてマグマを体でせき止めていた。
「グアウウゥッ!!」
急な竜の出現に驚いたのか、ポカンとして動かない人の子たち。早く逃げて!言葉が通じるとは思えないが警告するように声を荒げればハッとして逃げ出す。大丈夫。ここでせき止めていれば彼らは助かるはず、そう、安心したいところだが。
「ゥゥ……」
「シエっ!何してんだ!早くそこから離れろ!!」
痛い痛い痛い痛い!バチバチと弾けていくような痛みに襲われる。マグマの中を泳いだって竜は平気なのに。せいぜい鱗が焦げるぐらい頑丈なのに。
痛みの原因はマグマじゃない。きっと例の不気味な『何か』だ。そろそろここから離れたいが体が思うように動かない。トキトニ兄ちゃんの声がすぐそこから聞こえた。星霊もすぐそこにいると踏んで話しかける。
「星霊さん、マグマに、雨をかけ……も、だいじょう……」
「噴火はもう収まっている。あとはマグマが冷えるのを待つだけだ。トキトニ、シエを運んでくれ」
「ああ!」
体が地面から持ち上がって、表面が黒ずんだマグマがぼたりと落ちた。星霊が魔法で土を操り、わたしを浮かせてくれたらしい。素早く下に潜り込んだトキトニ兄ちゃんが背中にわたしを乗せて火山から離れる。
「まだ寝るなシエ!俺が兄さん姉さんのとこに連れて行くからっ」
そう叫ばれたが瞼は重いし、頭がぐらぐらしている。昔、夜更かしをして寝落ちしたときもこんな感覚だったが、あのときより更にひどい酩酊感。
「いかん。体が固まり始めている。安全なところで下ろそう」
見知らぬ森の中で、地面に下ろされた。体を撫でる風の感じからしてトキトニ兄ちゃんは気を使ってゆっくりと飛んでいたので、火山からさほど離れていない森だろう。体が勝手に丸まって眠る体勢になっていく。
「くそっ、まだこんなに小さいのに、眠っちまうのかよ」
「わ、たしが……噴火、させちゃ……。火口に水、かけ……た、から……」
「違う。お主のせいではない。たまたまタイミングよく噴火しただけだ。あの火山は元々魔力が不安定で――」
星霊さんがなにやら説明してくれているが、眠すぎてほとんど聞き取れなかった。ただ、シャワシャワと川の音と葉が揺れる音に安心感を得ていた。ホッと息を吐くと僅かに残っていた力が抜けた。
「こんな大怪我、いつ治るんだよ。ちゃんと目覚めるのか……」
「無論。竜の怪我は必ず癒える、そういう風になっておる。あまり思い詰めるでない」
怪我。そうか、わたしは怪我をしているのか。勝手に出かけた先で怪我だなんて、父と母に心配をかけてしまうな……。
「ごめ……なさ……」
「大丈夫、大丈夫だ、今はとにかくゆっくり休みなさい」
星霊さんの優しい声を最後に、わたしの意識は完全に閉ざされた。
◆
シャッ、シャッ、シャッ。
懐かしい音が聞こえる。箒で地面を掃く音。家で、学校で、こうやって掃除をしていた。秋の外掃除は掃いても掃いても葉っぱが落ちていて、キリがないとうんざりしたっけ。でも、枯れ葉の山で焼き芋つくって食べるの好きだったな。あれ、本当に焼き芋の匂いがする……他にもいろんな匂いが感じ取れるようになってきた。草の匂い、割れた石の匂い、生き物の匂い。棲み処の匂いじゃない。そうだ、ここは森の中じゃなかったか。
ゆっくりと、石のように堅い瞼を持ち上げる。久しく感じる光の眩しさに目を細めると、正しく人の子が箒を手に葉っぱを集めているところだった。
たぶん一〇歳ぐらいの、おそらく少年。こんな近くでまじまじとこの世界の人間をみたのは初めてなのでちょっと自信がない。火山ではそんな暇なかったし。
少年は古代ギリシャ人のような服装をしていて、肩に掛けている薄い青紫の布と長く伸びた紫紺の髪につけている髪飾りは、おしゃれというよりなんらかの階級を表している感じがする。少年の向こうには石造りの建造物。明らかな人工物だ。焼き芋の匂いは建物のある方から香っている。眠る前はここは森だったけど、近くに人の国ができたようだ。
カサリ。身じろぎをするとわたしの体に乗っかっていた枯れ葉が落ちた。その音に反応した少年と目が合う。わあ、この子、目の色がわたしたちと同じ金色だ。
零れ落ちそうなほど目を見開いて、肩に目一杯力を入れて固まっている少年を遠慮なく観察する。ほとんど前世の人間と変わらないけど、耳が豚みたいな折れ耳だし、指の又に膜がある。これがこの世界の人間なんだ。いや、異世界ファンタジーものには、エルフとか獣人とか定番だ。そういう、人によく似てるけど違う種族かもしれない。まあ大まかなシルエットが一緒だから、便宜上ヒトってことでいいか。
攻撃するでもなさそうな雰囲気に乗じて、少年のほうに首を伸ばす。体がバキバキだけど何事もなく動いてくれてよかった。せっかく怪我から回復したのに、またどこかを痛めるなんてしたくない。
あ、くるぶしの上に突起が二つある。ぱっと見だとくるぶしが三つあるみたいだ。
秋の風が紫紺の髪を巻き上げる。頭上から、地面から、枯れ葉も舞い散る。わたしを凝視して目が乾いたのかだんだんと目を潤ませていた少年は、舞い上がった葉に視界を遮られて正気を取り戻してワタワタと箒を放り出して目元を拭うと、両手を胸において伏目がちに浅く跪くような仕草をした。お辞儀かな。一応わたしも頭を下げてお辞儀を返したのだけど、そのときには少年はすでにすぐそこの建物のほうに走り去っていた。怖がらせただろうか。別に取って食いはしないんだけどな。
とりあえず少年のことは忘れて、凝り固まった体を伸ばす。首を回すと後ろのほうは森のままだったが、わたしが横たわっていた周囲だけお花畑になっていた。人間がやったのかな。ずっと動かないでいたから石像かなんかだと思われていたのかもしれない。
寿命カウンターは……二五〇年ほど減っている。フレーツお姉さんが三〇〇年寝ていたのと比べると早めに覚醒できたようだ。あの噴火から二五〇年も経てば人間の国だってできるか。
しかし起き上がることはできたけど、飛ぶことはまだできなさそう。フレーツお姉さんも目が覚めてからしばらくは飛べないようだったし、怪我による眠りから目が覚めることが治癒の終了と同義というわけではないみたい。
自分が怪我をしたことで、フレーツお姉さんにわたしの回復があまり効いてなかった理由がやっとわかった。竜の怪我とは、体に傷ができることだけじゃない。
魔力の傷も指している。
この世界では魔力も傷つくらしい。肉体を癒すことしか考えていなかったために、魔力は癒えず効果が薄かったのだ。あの得体の知れない『何か』はわたしの魔力を傷つけていた。竜の体のほとんどは魔力でできているのだから魔力が傷つけば大怪我になる。そのせいであらゆる機能を停止して治癒に専念しなければならないため、長いこと眠る羽目になる。
仕組みがわかったのだから、次からは回復の効果をあげられる!と、息を巻いたはいいけど、回復の練習はできない。まだ魔力が癒えてないので、魔法が使えないのだ。無念~~~!