竜にうまれかわり
「――おやおや、こんなところに迷子の魂が。君どうやってここに来たの?なんか引っ張られた?ええー、まだどっかに隙間が開いてたのかな……あ!ここだ!うわ~イヤになるなあ、もう……」
「……これでよし。隙間は塞いだけど、ごめんね。ちょっと遠すぎて元の世界には返してあげられなさそうだ。この周辺の世界で転生してもらうしかないんだけど……」
「ん?私?君の言う神様とは違うかなあ……。そうだなあ、この世界の設計士?デザイナー?製造者?う~ん……なんて言えばいいかな」
「創造主かあ。それも違うような気もするけど……。みんなからはアルジリンドって呼ばれてるよ。本当はもっと長い名前なんだけどね。へえ、君のとこの文字だと”主”で”アルジ”って言うんだ!あっはは!覚えやすくていいね!是非アルジって呼んで!」
「ふふ、姿が見えないのが気になる?私は君たちの言うところの上位世界の存在だからね。おおよそ想像が付かないような姿かもね?やだな~神様じゃないってば!」
「ねえ、せっかくだから君の記憶を覗いてもいいかい?デザインの参考にしたいんだよね……ほんと!?ありがとう!」
「……君のとこの竜もすごくいいなあ!ああ、全身ふわふわ、鱗のない竜もいい……なるほど創造物と組み合わせる、夢があるな……ん?ふふふ、幻想生物なのは知ってるよ。ウチにはいるけど!私、竜が好きなんだよね。そうだ!こうなったら何かの縁だ、君も竜になってみない?もし不都合があっても竜だったらお願いを聞いてあげられるよ」
「竜は私が手ずから創ったからね。私の子どもみたいなものさ。人間?人間は生き物の種キット植えればそのうちできるからなあ。んー、君にわかりやすく言うと人間はミントみたいなものかな?環境があえば割と繁殖しやすい種だよ」
「竜の仕事は魔力を均すこと。息を吸って吐くだけ。ただ設定された寿命まで死ねないけど……人間だった君には辛いかな?でもウチ、人間が暮らすにはまだちょっと厳しい世界なんだよね。最近文明ができたところで」
「魔法?もちろん使えるとも!生まれ持った属性以外は使えないけど、多少のことは想像力でカバーできるよ。それに竜は他種族への模倣ができるようにしてあるから、他の生き物に姿を変えることも可能!じゃないと動きづらいこともあるだろう?ね、どう?竜になってみない?」
「そうかい!そうかい!ちょうど子どもを欲しがってた子たちがいるからそこに送ってあげよう!じゃあちょっと眠っててね、準備するから」
「……さあて、どんなデザインにしよかな~!あの子たちは青と赤だから――……」
目を開く。長い夢を見ていた。海の上で夏の日差しを受けながら浮き輪に身を預けて揺蕩う夢。まだ目がしょぼしょぼしているけど、今までよりもはっきりとした意識にその時が来たと自覚する。首が動く、足が動く、尾は……勝手に動いていた。よし。
――殻を割ってここから出なければ。
目の前にあるぼんやりと光る白い壁を鼻先でつつく。硬い。ぐるりとひっくり返って爪を思いっきり叩きつければ、殻にひびが入った。ひびの隙間から感じる匂いと音に外への興味が膨らんで気が逸る。もう一度爪を振るって体勢を戻し、せっせと口でひびに穴を開けて一気に顔を出した。
草の匂い、土の匂い、風の音、水の音、何かの鳴き声――植物がある、水がある、風が吹いてる、動物がたくさんいるみたい。あの人が創造した世界はどんなだろう。竜は、どんな姿なんだろう!
「――きゅっ」
突然の色鮮やかな世界に驚いて声が出た。瞬間、わっと周囲が騒がしくなる。
「生まれた!」
「三番目の赤ちゃんが生まれた!」
「ちっちゃ!かわいい!」
「紫色の竜だ。綺麗だねえ」
「赤ちゃんってこんなに小さいのか」
卵を囲んで覗き込んでいたのは、いろんな色の竜だった。みんなわたしより何倍も大きい。手前の青い竜と赤い竜が自分の両親だと本能でわかる。竜に刷り込みはないようだ。
穴からするりと這い出て両親のほうに覚束ない足取りで歩いていくと、二人はすぐに頭を下げてわたしを潰さないようにそっと顔を擦りつけた。両親の頭ほどもない体がぐらんぐらん揺れてひっくり返りそうになる。
「きゅうう」
「卵のときも愛しかったのに」
「こうして姿を見るともっと愛しいね」
こうしてわたしは大歓迎を受けて、この世界に竜として生まれたのだった。
「父~!母~!お湯つくれるようになったよ、見て!」
ところどころに雪の残る湖のほとりでまったりしていた両親に走り寄って一歩手前で止まる。じゃないと二人の体にしまわれて身動きできなくなるからだ。竜の大人は、そのでっかい体で子どもを囲む傾向にあるようだ。こういうところは鳥っぽい。
魔力を練り上げて、二人の頭上にあたたかいお湯をシャワー状に降り注いだ。
竜は一つの属性の魔法しか扱えない。わたしが二属性の魔法を使えるのは、水竜の父と火竜の母から受け継いだからこそできる芸当だ。魔力でつくった火や水を、望んだ位置に望んだ形で出現させるのはさほど難しくはなかったけど、二つ同時に扱えるようになるのに三年、無駄なく一発で程よい温度のお湯をつくり出せるようになるのに一年かかった。
「これがシエがつくりたがっていた温かい水かい?温かいのも案外気持ちいいね」
「ふふん、そうでしょ」
顔を空に向けシャワーを堪能している父は東洋の竜の彷彿とさせる細長い体に頭から首にかけて二列にならんだ角と白い鬣がある水竜だ。深い青の鱗が光を反射しているさまはまさしく水面のよう。
わたしは父に胸を張ってから、地面に横たわっている母の体によじ登る。
「母、どう?物足りないかな」
「このくらいの温度の水も好きだよ」
寝っ転がっていたのは全身でシャワーを楽しもうとしたかららしい。母は狼のシルエットに西洋の竜っぽく形を整えたような姿だ。真紅の鱗に顔と首を囲む鬣と尾の先の毛が炎のように揺らめいていて、しなやかな脚先だけが白い。
「セイラークのひんやりした水も、この間シエがつくった熱い水も好き」
「熱いのは失敗だったんだけどな」
竜に生まれ変わったわたしは、生まれてすぐにアルジ様から紫映という名前をもらった。アルジ様がわたしの記憶を覗いたときに漢字も読み取っていたらしく、わざわざ漢字で名前をつけてくれた。父に似た細長い体に四枚の羽が背にあり、先端に向けて白くなっていく尾に、名前の通り紫色の鱗を持った竜だ。
「ムルヒヤは火竜だけど水が好きだよね」
「ぐえ、父重いっ」
「シエはまだまだ小さいなあ」
のしっと、母のお腹の上に乗っているわたしに父が頭を乗せてきた。
竜になって六〇年。両親の頭より小さかった体は、頭五個分の大きさになった。
アルジ様の言っていた設定された寿命はきっかり一万年もあった。何故きっかり一万年とわかるのかというと意識の中にカウンターらしきものがあるからだ。これのおかげで年単位ならどのくらい時間が経ったのかがわかる。
「いつか竜の怪我も治せるような温泉をつくれるようになりたいな」
父の顎の下から抜け出してシャワーを止めるとその頭に寝そべった。父の二列に並んだ角の間はわたしのお気に入りスポットである。
「そっか、シエは温泉がつくりたかったのか」
「回復ができる温泉に浸かってみんなでゆっくりしたいの」
「そりゃあいい」
水が好きな母がすかさず賛同してくれた。竜は属性魔法しか使えないけど、ある程度はアルジ様が想像力でカバーできると言っていたし、いつか回復の温泉がつくれるはずだ。普通に回復の泉でもいいが、せっかく二属性使えるのだし温泉がいい。
「もっと魔法の練習しなくっちゃ」
「よし、そろそろ魔法の特殊な使い方を教えよう。セイラーク、水を出して」
「はいはい、これでいいかい」
体を起こした母に合わせて頭をあげた父がボール状に丸くした水を浮かべる。太陽に透かされた水の球が波模様みたいな影が自分に掛かり、水中にいる気分にさせる。父の水は普通の水より青みがかっているところが好きだ。
「いいかい、シエ。アタシは火竜だから、アタシの魔法は火にしかならない」
そう言って母は水の球よりもずっと小さい火を数個つくり出し、一つを水の中に入れた。小さな火はあっという間に消えてしまう。
「水の中に火を入れたら普通は消える。これは魔力でつくった水と火でも同じ。でも自分の魔力でつくったものなら――」
母が残りの火を魚の形にすると、水の球の中に入れる。火の魚は消えることなく、水中の中をゆらゆらと漂った。
「水に消えない火をつくることだってできる」
「わあ、綺麗……」
水の中の火は魚の動きはしていなかったが、プラスチックやシリコン製のおもちゃとは違って炎のように揺らめいている。思わず父の角の間から飛び上がって幻想的な金魚鉢を間近で眺めた。
「しっかり想像すればこういうこともできる。と言っても限界はあるけどね」
「ムルヒヤはこうやって魔力を化かすのが得意なんだ」
「シエは火も水もつくれるから、きっともっと幅広い使い方ができるよ。温泉楽しみにしてる」
「うん!」
「……ん?じゃあ父はお湯もつくろうと思えばつくれる?」
金魚鉢から目を離せば、にやりと笑った父にバシャッと熱いお湯をかけられた。
……やられた!
「二属性使わなくてもお湯がつくれるならはやく教えて欲しかった!」
「あはは、ごめんごめん。シエが「火と水が使えるなら温かい水がつくれるよね!」って目をキラキラさせて練習してるのがかわいかったんだ」
「も~~っ、くらえっ」
「む」
父の楽しそうな様子に空中でぐるぐる飛び回ってしまう。悔しいので、わたしも父に水の球をお見舞いした。顔に掛かった水を払った父も負けじとやり返してきた。
「やったな」
わいわいと水の掛け合いであがる水飛沫を浴びていた母がわたしにさりげなく声をかける。
「シエ、セイラークは魔力を化かすのが下手だから、教えるのには向いてないよ。細かい温度調節なんてできないもの」
「……ぐ」
「と、父ーっ!」
ぱしゃん……。
母の容赦ない言葉に撃ち抜かれたように父は静かに湖に沈んでいった。