003 城下町を散策
ぐてぇ~ん……長卓の端で魔王さまが突っ伏している。
くうくうくっ……魔王さまのペットの火蜥蜴は、その椅子の背もたれにつかまり、お休み中である。
「魔王さま、しゃっきりとなさいませ。そんなにだらけていたら身体にキノコが生えてきますよ」
女官長のアクア・スのその言葉に魔王さまは顔を上げずに、右手を長卓の端から出すと、手の平からキノコをノコノコと生やし、床にキノコの山を作っていく。食べ盛りである。
その態度にアクア・スは手で額を押さえて、頭を振る。白と黒の定番のメイド服に身を包んでいる彼女であるが、エルダー・リッチである彼女の場合はその白と黒という色の組み合わせのせいか、少し禍々しさが漂う。
「魔王しゃま、掃除の邪魔~」
そう言いつつ、手に持つモップで魔王さまの座る椅子の脚を突く。身体が小柄で、その姿に見合った舌足らずな口調で、見合わない辛辣な言葉を吐くのは、魔王さまの身の回りの世話をする宮女の一人で人狼族のループス・カである。獣耳を邪魔しないようにか、カチューシャの代わりにヘアバンドを付けている。オシャレに一つ捩じったそれが元気娘の彼女には、鉢巻きに見えなくもない。
こう見えて彼女は部族の、いや、魔王さまの配下の中で通常の移動速度においては最速を誇る。
「た・い・く・つ……だ」
「でしたら、街の皆々に顔を見せに行くのはいかがですか。街の皆も喜びますよ」
だらけた魔王になんとか興味をもってもらおうと、アクア・スはフォッセッタ湖を望む窓を開けるが、湖は大きく、また、湖面と街との高低差もあり、かなりランダブバスの街は遠く見える。
「で、でしたら、わたっくしが、お、お供をっ」
ちょうど何かの連絡に来たのか姿を見せた主席報道官のレヴィアが鼻息も荒く申し出る。
「はぁ~、そう言うのとは、違う」
魔王さまがくぐもった声を出す。
窓から戻ってきた女官長のアクア・スは、魔王さまに生み出された床のキノコの山に手を伸ばして、それを口に運ぼうとする宮女を見て、その手を叩く。
焦げ茶色の肌の顔を女官長に向けて、ぷぅ~と口を膨らます彼女は、エルダー・スライムのテケリ・リ。
彼女は無限の胃袋を持っている。
無限と言っても、どこぞの異空間に繋がっているとかではなく、彼女の身体は食べるもの全てを純粋なエネルギーの塊に圧縮変換してしまうことが、外からはそのように見えるのである。
懲りずに再び手を伸ばすテケリ・リの手は、再び、アクア・スに「めっ!」と言われながら打ち落される。
キノコは、ループス・カの手にあったモップによって、ズリズリと退場していく。テケリ・リは、それを指をくわえて見送った。
連絡事項があったのではとアクア・スに促されて、はっとばかりに魔王さまへ報告する主席報道官のレヴィア。
「ソッジョルノの森近くの源人の村の長が、魔王さまの傘下に加わりたいと嘆願に参っておりますがいかがいたしましょうか」
「却下!」
魔王さま、即断。
ちなみに“却下”とは「内容を検討される前に退けられること」を言い、「内容が審査された上で退けられること」を“棄却”と言う。
「暇を持て余しているのであれば、何かを為さってみてはいかがですか。興味を持てるものかも知れませんよ」
アクア・スは、ダメな大人にやさしく諭すように言葉を投げかける。
「そう言うのとは、違う……めんどい」
「はぁ~」
「魔王しゃま、掃除の邪魔~」
「ま、魔王さま、外に出て、デ、デ、デートなぞ」
「魔王さま、先日の防衛戦の……」
そこに、さらに、総務部長官のアガレスがなんぞ書類を見ながら入室してくる。
「んがぁ~、うるさい!」
突っ伏していた魔王さまが、急に身体を起こす。
「んぐぎゃっ」
それに驚いた、背もたれに止まっていた黄金の火蜥蜴が翼をばたつかせて慌てふためく。
魔王さまは、顔を翼でばちばちと叩かれつつも火蜥蜴をなだめに掛かった。
「おうおう、びっくりさせたな。落ち着け。驚いたのか、皆、騒がしいからな。ほんと、ダメな大人たちでちゅね~」
「ぐるるるっ」
火蜥蜴は目をぐるぐるさせて興奮を示している。
「「「(魔王さま)……」」」
皆の半開きの目線が魔王さまの元に集中した。
◆
結局、気分転換に出かけなさいと女官長のアクア・スに魔王城を追い出された魔王さまは城下町とも言えるカペッリ・ルンギ川沿いの街ランダブバスを歩いていた。
お供は、先程まで部屋に居た主席報道官のレヴィアと宮女のテケリ・リ。さらに、同じく宮女のジェミニ・ンが加わっている。何故か、彼女は目をつむりながら皆の後ろを静々と歩いている。彼女は、パラ・クリーチャー。その目に見た者の姿を映すと言われている。
街は人通りも多く、喧騒に満ちている。
建物は全体的に白い外壁のものが多い。外装の仕上げとしての漆喰に貝殻を粉にしたのを混ぜ込んでいるからであろう。貝殻入りの漆喰には消臭効果もあるらしい。
フォッセッタ湖から流れ出るペッティネの滝に平行して陸上に設置された昇降回廊――6畳ほどの床大のエスカレータ――から降りてきた魔王さまたちが目にするのは、この街のシンボルとも言える両川岸に塔を備えた斜張橋である。石造りの塔からケーブルで吊られた橋は、滝からたなびく水煙もあって、美しいたたずまいを見せる。
橋の両端は石門となり、デフォルメされた竜といった感じの火蜥蜴の浮彫が刻まれている。そして、その意匠の元となった彼女は定位置の魔王さまの肩の上を足場に、あちらこちらに視線を向けたり首を傾げたりと忙しない。人の多さや音、匂い、いろいろな情報に落ち着きが得られないでいる。
その瞳に映る下流では小振りの漁船が川面をにぎわしている。少し大きめの船は、河口から海の幸を運んできた船であろうか。
そして、市場まで行かずとも、水揚げされた水産物が川岸の石畳の街道沿いで朝市のように売り買いされていた。
「魔王さま、人通りが多いので、手を、いや、う、腕をく、くっ、くみ……」
「おや、魔王さま、上がったばかりの海鮮を味見していかんかねっ」
顔を赤くしながらのレヴィアの必死のアピールは、魚介の塩焼きの元気なおばちゃんの声に打ち消される。
魔王さまもここまで足を延ばして来れば、目を輝かせてあたりを見回る。別に外に出るのは嫌いではないのだ。ただ、出掛けるまでが面倒なだけで。
どれどれと、差し出された貝柱が数個突き刺された焼き串を口に運ぶ。
「ほう、うまい!」
一口、食べて、残りは無限の胃袋を持つテケリ・リに下賜される。
それを嬉しそうに頬張るテケリ・リに、目を瞑ったままの後ろのジェミニ・ンから「竹串は食べるんじゃありません」と注意が与えられる。
次は、腹を開いて塩を振っただけの焼き魚である。
それも背中を一口かじり、うまいと一言の後にテケリ・リに渡される。後ろからは「骨は~」と再びの忠告である。
その様子を見て、おばちゃんも満足気である。魔王さまは嘘はつかない。一口で止めるのも、いろいろ勧められるものに対して出来るだけ応えるための気配りであるとわかっている。
魔王さまの肩につかまる黄金の火蜥蜴が魔王さまの頭を口先でちょいちょいとつつく。肩から前腕に移動させると、魔王さまと目線を合わせ首をクイっとかしげながら、つぶらな瞳を向けて見上げる。
「ん、どうした?」
どうやら、おばちゃんが薦める魚の切り身を食べていいか伺っているようだ。おばちゃんから、切り身を受け取って、その口元に運んでやる。
この火蜥蜴は知的ではないものの彼女を見た者が自然に感じる気高さのようなものを備えている。何しろ、彼女は火蜥蜴の女王なのだ。その証拠が黄金の肌である。そして、彼女もそれをわかっているのか気位も高く、基本的に魔王さまの手からしか食餌を食べない。一噛み、二噛みで飲み込んでしまうので、その味を判別できているのか見る者からすれば微妙に思うのだが、その目のぐるぐる具合を見ると満足のようだ。
その後も横合いから差し出されるモノを、魔王さまは片っ端から口にしていく。毒などを気にする素振りはない。そこに不純な動機はないと思っているのであろうか。
「魔王さま、この子の頭を撫でてやってください」
生まれて間もない子供を抱っこしたお母さんが魔王さまに近づく。
「ほう、元気に育てよ」
差し出された子供の頭を優しく撫でる。
「ま、魔王さまとの子供……」
その横で何かの妄想にふけるレヴィアが頬に手を添えて腰をくねくねさせる。通常運転である。
「魔王さま、布の織り方を工夫してみました」
織物職人が表地と裏地の感触の異なる布地を魔王さまに手渡す。
「丈夫さと肌触りの両立を目指してみました」
「ほう、悪くない」
その手触りから、感嘆に目を見開くと城まで採寸にくるように伝える。その言葉に努力が報われたかのように、拳を握りしめ喜びの感情を職人が露わにする。
「ありがとうございます。その布は(火蜥蜴の)女王さまの肌拭きにでもお使いくださいませ」
柔らかいほうの裏地を火蜥蜴に当ててみると、「リュルルルゥ~」とご機嫌な顫動音を奏でてくれる。
「魔王さま、うちにも寄ってくだせえ。うまい酒が入ったんでさぁ」
酒場の主人が声を掛ける。
「ほう、では少し休憩とするか」
ここに住まう者たちの厚意や愛情の発露であるとしても、さすがにこう次から次へと来られると気疲れもする。
魔王さまは少し足を休めることにした。