2-1 ロザリア大聖堂
5月50日ゼロの日、休日である。ウェルフトー新教ロザリア神殿大聖堂では月末ゼロの日の大礼拝が日の出から行われていた。
大礼拝、教皇などロザリア神殿の高級神官たちが一堂に会する月1度の礼拝であり参列者も多い。教皇でもあるジェイナス・マレンコフ神殿長の法話が終わりウェルフトー神に祈りを捧げようと参列者全員が、大聖堂に入りきらないほどの人数がその場に跪き手を組んだのは朝日が昇ってから1時間が経過した6時半頃だった。朝の礼拝は照明を用いず天を覆うかのような巨大な天井画、その脇に設けられた天窓から差し込む自然光に頼っている。始まる頃は薄暗かった大聖堂の中も次第に明るくなってきていた。
(ん?)
ジェイナスは目を細め大聖堂を埋め尽くした参列者たちの後方、神官席と一般席との境目辺りを凝視した。
(ほう、良い神聖力を持っている者がいるな)
ここからではそれが誰かは判別できない。だがとてつもない神聖力を伴った祈りを感じる。柔らかな白い光がそこだけに射しているかのようにジェイナスには見えていたのだ。神聖力を見分けることに長けた者ならば同様に気付いたかもしれないと、努めて自然に祭壇脇に居並ぶ上級神官たちを見やる。枢機卿や大司教の何人かもそれに気付いた様子だった。数人がその辺りを注視している。ジェイナスの視線に気づいた女性の枢機卿が一瞬だけ視線を合わせ小さく頷く。そして何食わぬ顔で高級神官の列から下がり、その光が見えた参列者席後方へと向かって行った。
*****
大礼拝が終わって1時間ほど経った。レアニールは大聖堂の壁に沿って置かれたベンチに座り巨大な天井画を見上げていた。
纏っている見習い神官を示す水色の簡素な法衣、大礼拝の間は深く被っていたフードを上げて背もたれに身体を預けている。このベンチの背もたれ、天井画を眺めるのに適度な傾斜が付けられていた。士官学校在学時はロザリアに住んでいたものの、月末ゼロの日開催の大礼拝に参列できたのは今日が初めてだった。
神父見習いであるレアニールはこの日のために見習い神官の法衣、そしてそれ用に黒革で作られたストラップシューズを新たに用意して参列していた。
(うん、思っていた以上に大礼拝は心地良かったな)
先ほどまでの祈りに包まれた大聖堂の空気を思い出してレアニールは心地よさそうに目を細める。
配属間違い騒動から始まった神官騎士団での勤務、ロザリアへ戻ってからはその周辺での任務ばかりだった。上官からの適切な命令と指導の下、自分ではそつなくこなしてきたと思っている。そして5月1日、少尉に任官してから通算1年と4カ月が経過したということで、この国の軍での通例どおり同日付けで中尉に昇進していた。
こうしてみるとムーサでの数日が本当に嘘のようだった。5月1日付けでかねてから廃止を取り沙汰されていたムーサ分駐所は廃止された。ホイスは隣のグロップ分駐所の副所長に補され、アンガレクは少尉に降格の上で元所属である陸軍へ転属となったと聞いている。自分が関わったことで彼の人生を変えたのかもと思った。だけれど青隊隊長ファビオ・ペラルージ中佐から・・・
「アンガレクは処分保留の執行猶予中みたいなものだった。それなのにやらかしたのはあいつだ。だから気にする必要は無い」
・・・などと言われている。そう言われたものの、何処か釈然としないものがあった。だけれどそれから1カ月も経つと彼らの事はほぼ忘れていた。
不意にそれを思い出し、その時は気に病んだというのに薄情なものだなと自嘲の笑みがこぼれる。
少しだけ首を動かし大聖堂の最奥、巨大な祭壇の方を見る。
ウェルフトー神の像の御前で祈りを捧げようとする人の待ち列はまだ減っていない。もう暫く時間を潰すかと再び天井画を見上げるレアニール。その天井画はウェルフトー教の教典の冒頭にある世界の創造から始まり旧教からの独立戦争を描いたものなど、何枚かの絵に分かれていた。
この大聖堂が出来たのが約970年前だ。それらの天井画はその時に描かれたものである。レアニールはその中の1枚、独立戦争を描いたものを見つめていた。天井画の中で一番大きいその絵では神官騎士団が本当の騎士団だった頃も描かれている。白い鎧甲冑を纏った勇壮な姿、それと戦う旧教側の騎士の姿も同様に描かれている。相手も勇壮に描くことで独立戦争が困難であった事、また強大な敵に立ち向かい独立を勝ち取ったと描く事によって、新教の権威を高める事を狙った絵だと一般的には評価、解釈されている。
それら天井画はフィオラーノ連邦の前身であるロザリア法国、その最後の法王の指示で描かれたものだと現代に伝わっている。
最後の法王とは女法王であるレアニール・エイバッハだ。この世界では割とポピュラーな「レアニール」という名前。その由来の1つである。
(私には作者やエイバッハ様の意図は違うものだと思えるのよね・・・)
その絵に対しレアニールは違った見方をしていた。誰かとそれについて議論したわけではなかったが、自分の見解は極少数の意見として分類されるものだろうと理解はしていた。
レアニールは視線を大聖堂壁面へと下げる。そこにはロザリア法国歴代の法王や、フィオラーノ連邦移行後にその地位を継いだ歴代の教皇たる神殿長たち、そして聖人として列せられた者たちの肖像画が幾多も掲げられている。その中にレアニール・エイバッハ法王の肖像画は無い。別に歴史から抹消されたとか、そういった深い事情があるわけではなく、彼女の遺志により大聖堂内に掲げられなかったと伝わっている。実際、彼女の肖像画は数多く存在している。一番多く残されているのはエイバッハが40代の頃、長い黒髪に慈悲深き神像が如く微笑みをたたえた物だ。
(エイバッハ様に大変失礼だけれど、あの絵ってお母様そっくりなのよね・・・)
ロザリアに来て初めてその肖像画、天井画を描いた画家の作品と伝わるそれを見た時、レアニールはすこぶる機嫌が悪い時の母エレナと相対している気持ちになった。写真にも似たその肖像画、確かに慈悲深き神像の如きなのだけれど、この顔はどう見ても・・・と。
実際、母エレナとエイバッハ法王が似ているか?と問われれば似ていないのだが、あの表情だけは似ているどころではなく、全く同じものだと思う。
本当、失礼な事考えているなとレアニールは苦笑した。
レアニールは再び天井画へ視線を戻す。そう、あの慈悲深き神像が如き微笑みの方の事だ、本当の意図するところは別なのだろうと思いながら。
「隣に座ってよろしいかな?」
その時突然声を掛けられた。ぼーっと天井画を見ていたレアニールは声を掛けられるまで誰かがやって来たことに気が付いていなかった。
「構いません、どうぞ。って、あ!?」
身体を起こし半ば反射的に返事をしたレアニールだったがその声の主を見て驚きの声を漏らす。その声の主はジェイナス・マレンコフ神殿長だった。数人の高級神官たちを従えた彼だったが、先ほどまでの荘厳な祭礼用の法衣から簡易な物に着替えている。レアニールは慌てて立ち上がろうとした。だがジェイナスは微笑みを浮かべ軽く手を振ってそれを制する。そしてレアニールの隣に少し間隔を空けて座った。
「熱心に見ていたようだけれど君はあの絵が好きかね?」
柔らかな声で尋ねるジェイナスに対しレアニールは緊張が隠しきれない、僅かに震える声で答える。
「はい、大好きです」
「ふむ、どの辺りが好きか教えてもらっても良いかな?」
ジェイナスはウェルフトーの神像というより東方の神像のようだと表現した方がしっくりくる慈悲に溢れた微笑みを、皺が出始めたふくよかな顔に浮かべ尋ねてくる。確か神殿長様はお父様と同い年だったかな・・・とレアニールは思いつつ答える。
「独立戦争を描いたものですが勇壮な戦いの絵だけではなく、犠牲になった者たち、我らの祖だけではなく、己が信仰を貫いた旧教の方々にも敬意を現しているところです。尊い犠牲であったと一言で片付けられるかもしれませんが、それで良しとしない気持ちを感じます・・・信仰を深めることよりも過ちを繰り返さぬよう後世へ伝えようとしていると思っています。だから好きなのです」
幾分か緊張が抜けたもののレアニールは早口で答えてしまった。それどころか神殿があまり望まないであろう絵の解釈をつい口にしてしまった。やってしまったと気が付いたのはジェイナスが話の終わり頃に少しだけ首を傾げたからだった。
「なるほど、私も同感だよ。・・・あの戦争で一体何人の者たちが倒れたことか。歴史の彼方の話だ、千人、万人の勘定でしか今は語られないが、それぞれに無事の帰りを祈った者たちがいただろうね。1人1人の名を上げて祈る事は叶わないが、名も無き犠牲者たちを思い共に祈ろうではないか」
レアニールの話を聞いた彼は優しい笑顔を崩さなかった。そればかりか同感だと言いレアニールに一緒に祈ろうとも言ってくれた。ジェイナスはベンチから立ち上がる。レアニールは感激に震える思いを胸に、即座にそれに従うかのように立ち上がると法衣のフードを被り直す。そしてジェイナスと同時に跪き手を組み合わせ祈った。
ジェイナスは天井画の片隅に描かれた犠牲者たちの姿を思い浮かべ魂の安らぎを心から祈った。その隣、レアニールも同様に祈っているのだろう。暖かな、そして力強い祈りの力が溢れ出しているのを感じた。
(なんとも心地よい祈りだ)
ジェイナスはその柔らかな力に身を委ねた。これほどの心地よい祈りに触れたのはいつぶりだろうか・・・と。そうだ、ニコラ・ニューロスの祈りだ、あれ以来か・・・ああそうだ、あの絵の感想を言い合い同じ意見となったのは彼だったな。
しばらく後、祈りを終えた2人は立ち上がった。
「邪魔をして悪かったね。見習い神官さん、お名前をお聞かせいただけるかな?」
「リチェロ東教会で神父見習いを務めておりましたレアニール・ニューロスと申します。神殿長様、ありがとうございました。今日の出来事は生涯忘れません」
レアニールの返答に何故か笑みを大きくして頷いたジェイナスは、光あるようにと型通りの挨拶を残し高級神官たちを引き連れ去って行った。それをレアニールは深々と頭を下げて見送った。
(びっくりした・・・まさか神殿長様から話しかけられるばかりか、お隣でお祈りすることが出来るなんて。やっぱり神殿長様の祈りって凄いな!・・・ふふっ、今日は何か良い事がありそうだね!)
レアニールはフードを外すと再びベンチに座る。そして目を閉じるとウェルフトー神に感謝の言葉を口にした。
*****
(まさかニコラの娘だったとはなぁ・・・そう言えば娘が神官騎士団に入ったとエレナからの手紙に書いてあったな。ふふふ、まさかあれほどの者とは思っていなかった。ニコラも気が付いてないわけがないだろうに・・・全く人が悪い。いや、何も言ってこないあたりいつもどおりのニコラだな)
神殿長室へと向かう廊下、ジェイナスは古い友人を思い出しニコニコと笑いながら上機嫌で歩いていた。先頭を歩く彼がそんな表情をしているとは後に従う高級神官の一団は思っていないだろう。だが彼らは神殿長がいつになく上機嫌だということだけは分かっていた。
「レアニール・ニューロス、彼女を司教にする」
神殿長室に戻ったジェイナス、執務机に座ると居並ぶ高級神官たちにそう告げた。彼の言葉に枢機卿や大司教たちは異を唱えることなく頷く。元よりウェルフトー新教ロザリア大神殿における司教への任用方法の一つに神殿長が認めた場合というものがある。彼らに異を唱える事は余程の事が無い限りは出来なかった。それに先ほどのレアニールの祈りを彼らも見ていた。その力は計りきれていないが司教たるに相応しいものであると彼らも感じていた。それくらい感じ取れなければウェルフトー新教ロザリア大神殿の高級神官にはなれないのだ。
「猊下、レアニール・ニューロスは神官騎士団員でしたね」
1人の女性枢機卿が、先ほどジェイナスの意を汲んで確認に向かった彼女がその言葉を口にした瞬間、彼らはレアニールが司教となる意味に気が付いた。女性神官騎士にして司教、それは『戦巫女』の称号を得ることになるのだ。その称号を与えるのは大神殿の役目であり、大神殿にとっても名誉であることに間違いない。高級神官たちの顔には喜びの色が浮かんできた。
「うむ、そのとおりだ。というわけで神官騎士団長に面会の申込をしてくれたまえ」
高級神官たちの様子を満足げに見渡したジェイナスは秘書たる司祭にそう告げた。
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見習い神官用の神官着は本来こんな色。本文中と異なり下に神官騎士団の制服を着ています。
今回も読んで頂きありがとうございました。
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