自分自身を素直に表す方法
話すこと、書くこと、態度であらわすこと、お礼をすること、…。
自分の気持ちを人に伝えるには、色んな仕方がある。
我儘に見えて、家庭を省みず、自分の勝手にやっているようにみえて、学生時代は反発して近寄らないようにしていた父親が年老いて、自分も良い年齢になった時、ああ、親父は一人で全てを背負い、一人で悩み、体を張って頑張ってきたのだということが分かるようになって、親父の凄さと愛情がようやく理解できて、後悔後に立たずという言葉を嫌というほど味わった。
親父は自分の言葉では、上手く表現できなかったし、そういうことをするのが格好悪いというメンタリティーだった。
お袋は言葉で伝える人だった。
いつも人を褒めるし、失敗しても笑ってもう一回がんばれという風に大らかに振舞っていた。相当悪いことをしなければ人を責めず、誰もが失敗を恐れて仕事をするという事はなかったから、従業員の皆からは結構慕われていたし、顔も広く、お袋を悪く言う人は、一部の妬みを持った遠い親戚くらいのものだった。
色んな人と付き合えば、付き合うほど思う。
お袋は、努めて明るくしていた人であり、いつも笑いを誘い、暗い雰囲気を無意識に払ってしまうような、天性の明るさを持った人だった。
僕はといえば、どういう風に人に何かを伝える人間なのだろう?
こうして文章を書くことは、自分の表現の中ではとてもやりやすい方法なのだとは思う。親や親戚、友達やお世話になった人には、節目には手紙を書いたりもしていた。緊張しやすいから、熱く言葉で伝える熱気が暴走してしまって言いたいことを言えなくなるよりも、冷静に、でも文章の中で自分の熱い思いを伝えることの方が自分にとって表現しやすいものなのかもしれない。
SNSなどが当たり前のコミュニケーションツールとなり、以前では考えられない繋がりが途絶えた人との交流も出来る時代になった。自分の思いを大切にするには、容易に色んな人と繋がれることが良いのか悪いのかはわからない。自分の心の中でじっと想い、大切にすることは尊い気持ちであり、人生を生きていく糧ともなるものなのだと思う。
しかし、僕はどうしても大切な人に、本当に大切だということを伝えたくなってしまった。自分がその気持ちを伝えられずに、このままこの世を去るときを想像したら、どうしても後悔したくない一心で、その気持ちを伝えたくなってしまった。
20年前に生まれた気持ちを、10数年もお会いしていない人に、今更伝えることには抵抗もあった。自分の気持ちを伝えるのは良いが、伝えられる側にとっては突然の思いもよらない告白のように思えるだろう。そのギャップをどうにか上手く埋めるためにも、自分の気持ちを素直に、そして、すべてが伝わるように文章を考えた。
とても喜んでいただけた。
久し振りの交流を喜び、自分の気持ちを理解し、その人もまた、同じように自分を大切に想ってくれていたことを文章でお返ししてくれた。二人あのころとは違う立場や、生き方になってしまったけど、その文章から伝わってくるお人柄は、20年前の頃のあの人そのままだったことが、何よりうれしかった。
誰かに何かを伝える。
それを伝えたい人、たった一人だけに伝われば、それでいいのかもしれない。
親父は親父のやり方で僕らに自分の気持ちを生き方で表し、お袋はお袋でその言葉で大切な人達を勇気づけた。
僕は僕の文章で、自分を表し、そして、大切な人を笑顔にしたい。
自分自身が一番自分を表す方法、それが何なのかを知ることは、もしかしたら、大切な誰かを幸せに、そして笑顔にする一番の方法なのかもしれない。