朋有り、遠方より来たる、亦た楽しからずや
自転車チームを組んでから、かれこれ13、4年になる。
東京、神奈川の人で構成されたチームなのだが、時間が過ぎるのと共に、住居を移動したり、結婚して家族が増えたり、年を取るとともに責任のある仕事についたりと、皆で練習やレースに出ることが少なくなってきた。
先日、東京に用事があって行くことになったのだが、Messengerで連絡を取ったら、数人のメンバーが久しぶりに会いたいと集まってくれることになった。
インターネットなどでは連絡を取っているから、あまり久し振りという感覚は無いのだけど、それでもやっぱり実際に顔を合わせてみれば、ああ、僕達も歳を取ったものだなということを感じさせられる。それでも、久しぶりに話をしてみれば、やっぱり気の合う仲間たちで、精神や考え方はあまり変わりなく、歳を取ってもいまも心に熱いものをもっている人達だなということを感じさせられた。
それぞれ、家庭を持ち、仕事が忙しくなり、各々悩み事は尽きないものだ。お互いの悩み事を話してみれば、色んな失敗や問題を抱え、自分が悪いのか?自分が我儘なのか?と思わされて生きてきたが、そう思い込みすぎて自分が小さく縮こまって生きていることに気が付かされた。
そうだ、皆とレースに出ていた時、峠を登っていた時、自分の精一杯の力を振り絞り、お互い支え合っていた。だからこそ、自分の最大限の力を出すことが出来たし、仲間が力を出し切る姿をみて、称え、勇気づけられるといった場所に立つことが出来た。
限界で支え合う、信頼があった。
生活も、仕事も、限界を発揮できないし、それを発揮する場も無く、自分の考えは否定されたり、阿吽の呼吸を読んでくれる仲間もいない。それは、自分が相手を思いやれていないということなのかと思い悩んで、人の顔色ばかりを気にしてしまうようになってしまっていた。
でも違った。
仲間と話してみれば、互いに呼吸が合う。たとえ、その場で気持ちがすれ違ってギクシャクしたとしても、いざという時にはお互いを支え合おうという気持ちが感じられる。皆と話をしていたら、昔の自分に戻った感じがして、心が解放された。
一番自分が大切にしていることは、譲ってはならない。
我儘でも、それだけは貫き通さなければならない。
それまで譲って自分を犠牲にして、自分が窮屈な精神状態の中でやりたく無いことを嫌々やっていたら、誰にも優しくできない。
自分が幸せだからこそ、誰かに優しくできる。
そんなことを、思い出させてくれた。
「朋有り、遠方より来たる、亦た楽しからずや」
お互いに体力の限界で支え合っていた友達は、今また、心の限界を支え合う素晴らしい仲間だと再確認した再会だった。