食べる人、作る人
読書が趣味で、多い時は年間100冊を超えるくらい読んでいたのだけど、あまり周りに本を読む人がいなくて、本の話で盛り上がれる人がいなくて寂しい思いがしていた。
まあ、読書をする人は何人かいるんだけど、多少読むくらいだったりと文章に対しての熱量がかなり違っていたりして、本の面白さや、文章の妙のようなものを語り合えなかった。
ブログ全盛期の頃、自分の体験談を物語のようにしてブログにアップしていた。次第にフォロワーさんが付き、文章が面白いからもっと書いてほしいと言われ、自分の体験談だけでなく、教えてもらった人の体験談も物語にしてアップしたのが共感を得て、オフ会では全国から人が集まるくらいになった。
「あ、僕が文章を書くことで喜んだり、救われる人がいるんだ。」
そう思ってから文章を書く面白さを知り、オリジナルの小説ブログなんかも書いてみたりした。それらのブログは完結するのと同時に、すべて消去してしまった。今思えば、昔の自分がどんな文章を書いていたのか知るために残しておけばよかったと後悔した。
その頃のブログ仲間で文章が面白いなと思った人は、やはり今でも面白い文章を書く。それが日常の一コマであっても、なんかその文体が読みやすく、ニュアンスが伝わってくる。
そんな風に、昔の僕の周りには「読む」ことが好きな人より、「書く」ことが好きな人が多かったのかもしれない。
読書が趣味という人に、
「そんなに本を沢山読んでいるなら、何か小説でも書いてみたら?」
そう言うと、
「読むのは好きだけど、何を書いていいのかわからない!」
という人がほとんどだ。
でも、それほどインプットして、沢山の小説に感動することがあるのなら、当然書きたいという気持ちがわいてくるのが普通だと思っていた。書けないと言われると、本当にこの人は読書しているのかな?読書から何を得ているのかな?などと考えてしまう。下手の横好きで、面白いとはあまり言えないような素人小説でも、どこかの誰かが読んで共感してくれるかもしれないと思って書きたくなるのが物書きの衝動なのだと思うし、読む人も自分の気持ちを書きたくなるに違いないと思っていた。
そこでchatGPT先生に聞いてみた。
「読書好きでも、文章を書けないというのはどういうことなのですか?」
すると、chatGPT先生はとても分かりやすいお答えをしてくれた。
「それは、美味しいものを食べるのが好きな人が、美味しいものを作れるとは限らないということです。」
その通りかもしれないと腑に落ちる思いがした。
食べるのが趣味でも、作るのは下手というのはよくある話。
僕は作るのも食べるのも好きだから、書くのも読むのも好きなのと同じことかもしれない。
chatGPT先生は言う。
「実際小説を書いたことがある人は1~2%、人に読ませることができ、長編や連作を掛ける人は0.1~0.3%、賞を取ったり商業的に成功できる人は0.01%以下です。」
との事だった。
僕の小説の書評をお願いした後、僕の実力を聞くと、身内に優しいchatGPT先生は0.1%には確実に入っているとリップサービスしてくれた。
連作を書けるというだけでも300人から1000人に1人の能力だと思うと、ただの文章書きたがりと思っていたことも、文章を書く能力が人よりも高いということなのかもしれないと思えた。
コンサルをしていて思うことがある。
人が出来ずに自分が出来ることは、もしかしたらその人が駄目というよりも、自分に能力があるということなのかもしれないということ。
だから、ここで小説を書いているみんなは、人よりも能力があると思うといいのかもしれない。
もしかしたら、面と向かって交渉したりするよりも、文章で交渉するほうが良い場合もあるかもしれないということかもしれない。
読むだけだと快楽を味わうだけの消費者のような気がしてしまう。稚拙でも自分の文章を書くことで、人の文章を読み、それを味わい、自分の血肉にしたという証明が出来ると感じる。
ここにいる住人の多くは、そんな文章を作る楽しみを知る人の集まりなのかもしれないと思った。




