いくつになっても別れはつらいものよ
出入りの業者担当者さんたちが全員交代することになった。
定年で退職された人が4人、人事異動が3人。
かろうじて、再雇用で昨年残ってくれていた大手卸の担当Мさんも、再雇用後の待遇が悪く(収入半減、お得意先数は倍の120件)、「このままではやっていられないので本部長を交えて交渉することになりました」と、交渉に行く前に僕のところに報告に来てくれた。そして、交渉の結果はご連絡しますと言って面談の場へ。
その後、やはり交渉は上手くいかなかったようで、退職することになったと明くる日に報告に来てくれた。僕をここまで育ててくれたのも、Мさんだったのでとても残念だったのだけど、彼の通勤時間や待遇の悪さを考えると、客の僕がどうこう言えることでは無かった。
前年、再雇用で残ってくれた時も、担当エリア変更で、うちの担当を外れることになったのだけど、支店長に直談判してくれた上、支店長も僕に会いに来てくれて、うちだけ担当エリア外であっても担当先にしていただいていた。
それだけに僕の仕事に対するモチベーションが無くなってしまうほどの衝撃だったのだけど、本部長がもう一度聞き取り調査をしてくれ、待遇をなるべく改善するとのことになり、もう一年だけ続けてくれることになった。ほっと胸をなでおろしたのだけど、担当さんとの時間は、あと一年だと思うと、やっぱり寂しい。
銀行の担当者のAさんは、うちに来た頃はまだ、2年目のルーキーだった。その前の担当Kさんは、担当だった数年間で僕と信頼関係が出来、親子ほども歳が違うにもかかわらず、二人でバイクツーリングに行くほど仲が良くなった。その前担当さんから変わったAさんだったのだけど、3年目になり、後輩も出来、色んなミスで僕に説教されることもあったけど、仕事も上手になって、前担当のKさん同様、とても良い関係が出来たのに、そんな矢先に交代となった。
一番ベテランの担当Tさんも退職することになった。30年ほど前、クリニックが設立したその日から担当だった人だったので、その時のTさんはまだ、30代だったのかと思うと本当に驚きだ。僕が交渉担当になってまだ数年しかたっていないのだけど、何度か2人で深い話を何時間もした後から、グッと関係が深くなった。僕の気持ちをしっかり伝えることが出来た後、万年3位だったTさんのところのシェアは、一気に1位に躍り出た。ようやく作り上げることが出来た強い関係だったのだけど、当院のすべての歴史を知る彼がいなくなってしまうというのはとても心細い。
そのほか、配送担当さんも数名退職されることとなった。
毎日顔を合わせ、時に厳しい交渉を経て、妥結したときには互いにホッと胸をなでおろした。そんなベテランの営業担当さんたちにはその胸を借りて沢山の事を教わり、若手の営業担当さんたちには自分がその年の頃に教えてもらいたかった事を聞いてもらったりした。
「実は、今日が最後の訪問です…。」
そう言ったNさんは、家業の農業を手伝うそうだ。売り上げが低くても、足しげく通い、顔を見せてくれたその姿が見られなくなると思うと本当に本当に寂しい。数か月前に担当を代わっていた若い女性の現担当さんの前で、涙をこらえきれない姿をみると、僕自身、Nさんに対して、ちょっとは良いお得意先でいられたのかもしれないと思える。
Мさんはとりあえずあと一年。若手のAさんとKさんはプライベートの連絡先を教えてもらったので、違う形で連絡は取れる。Tさんは、良く知る先生のクリニックの事務長になるとのことで、これまで以上に連携が出来そうなので、お互いにワクワクしている。
それでも、もうお会いできなくなる人もいる。
いくつになっても別れはつらい。
そう思えるからこそ、僕らはただの部品じゃないと思える。それが、ただの役割だけの存在で、それだけの間柄だったのなら、さっさと器械にとってかわられるべきブルーカラーであり、配送さんも営業さんも、互いの気持ちを尊重しながら、火花を散らせるくらいの交渉でしのぎを削る間柄であれば、それは頭脳と心を動かす本当の意味のホワイトカラーなのだというドラッカーの言葉が身に染みる。
会えずとも、「どこかで頑張っているに違いない。だからこそ、自分も頑張らなきゃ」と思える人こそ、人生における大切な仲間なのだと感じさせられた。
辛い気持ちは、たぶん、大切なものを受け取ったという証なのだとおもう。




