議論は握手をしたままで
議論において、正しい答えを出してほしいわけではない。
そして、直ぐに答えを見つけてほしいわけでもない。
何年も前から、職場にはミーティングが必要と訴えてきたのだけど、それまでスタッフが行ってきたことを否定しかねないことを懸念したり、忙しくて時間が取れないと言って避けられてきた。あれから数年たって色んな所にほころびが出始めて、必然的にミーティングというものが必要不可欠になり、ミーティングをしなければと、僕が口を酸っぱくして言い続けてきたことを、鼻で笑い飛ばしていた事すら忘れたかのよう。人は危機に陥らなければ本気にならないけど、そういう人ほど危機を感じる感度が低い。
それからこの半年ほど、月に一回1時間程度のミーティングをやっているのだけど、まだまだみんな議論に慣れていない。変なことを言って気を悪くされないかと心配する人や、自分の言うことを練りに練って考えて、他の人の意見を受け入れない雰囲気のある人、視野が狭く、直前の問題にだけフォーカスしてしまっている人…。まだまだ小学生の自由研究の発表のようで、皆が慣れるまで時間が必要だ。
まあ、どうしても議論が熱を帯びてくれば、感情が入ってきてしまうのは致し方ない。
目的は何で、目標はどこで、手段をどうやって、出た結果を再検証するといった、一連の流れもまだ感じられず、さしあたり、今ある問題を解決するには何をどうしたらいいかと言った、直近の問題だけに目を向けたミーティングに終始している。
しばらくはこれでも良いかなと思っている。その内容は何だっていいし、失敗しようが成功しようがどうだっていいやと思っている。とりあえずは皆が議論することに少しでも慣れて、議論することで一人では考えつかないところに気付いてもらって、みんなで様々な案を出し合い、比較検討したうえで、どれかを選択し、実行した後もう一度再検討するといった流れを自然に作っていけばいいから、今はミーティングの有意義さより、ミーティングで人と議論を戦わせるということに慣れてもらえたら良いと思う。
人はそれぞれ育った環境も違うし、職種も違う。だからいろんな意見が出るはずだけど、どうしても議論慣れしていないと、正しい答えを言わないといけないと思って言葉が出なかったり、自分の答えを正当化しようとして冷えた雰囲気になってしまう。議論に慣れた人だったら、ある程度は軽口をたたくかの如く、思いついたことを口からじゃんじゃん出して、それが良い方向かどうか他の人の意見を聞きながら確かめていく。ある程度簡単に口から出すことによって、沢山の色んなアイデアが、それぞれの頭で思いついた種として、ミーティングというテーブルの上に蒔かれていく。ミーティングの初めは、それぞれの答えを出す場というより、思いついたアイデアを雑多であっても、ある程度のボリュームをもって出すことに意味があると思う。
たった一つの研ぎ澄まされた答えが、もし間違っていたら取り返しがつかない。まあ、そんな取り返しのつかない事は少ないと思うけど、それよりだったら、沢山ある鉄の棒を持ち寄って、これは良い剣になりそうだという物を選りすぐって、みんなで議論という名の鉄槌で鍛えていった方が間違えのない、とても強い剣になると思う。それに、誰かが出した答えが間違ったら、ほら見たことかという人もいるだろう。 みんなで作り上げたものだったら、失敗したとしても批判する人はいないだろうし、じゃあどうやって作り直そうかという気持ちになりやすい。
昔の職場のスタッフは、出来る人間というのはいなかったし、みんな馬鹿ばっかだったけど、今の仕事場と違って、仕事しているとき以外はすべてミーティングのようなものだった。頭の良い人はいなかったけど、みんな情熱があり、「クライアントの幸せのために」という目的を常に考えられる人達だった。だから、ワイワイとみんなで色んなアイデアを出したし、誰かが考えたアイデアの弱点を鋭くついても、それがクライアントのためにならないと分かると指摘された方も悪い気分にはならなかった。なにより、みんなでそうやって誰かのために議論することでもっと役に立ちたいといった気分が高揚し、議論していること自体を楽しんでいた。だからこそ、仕事だけではなく、プライベートの問題もみんな互いに頼り合って解決しようと話し込んだりした。激しい議論になった後は、決まってみんなで晩御飯を食べに行き、どんなに相手をやりこめるような議論になったとしても、仲間と繋いだ手を離すことはなかった。
今の仕事場ではどうだろうか?
未だ、みんなの手は繋がれているとは言えない。
だから、まずは僕が一人一人と先に手を繋ぎ、信頼を得なければならないと思う。
でも、女性だらけで、男は僕一人だからちょっと難しい。
今までの職場にいたスタッフ達よりも、絶対的に能力も知識も深い人達ばかりなのに、こういっては悪いのだけど、どうしてこんなに熱が無い人たちなのだろうと思ってしまう。熱が無いから、言葉もどこか表面的になってしまい、仕事は人生における苦痛で、そこでもらったお金によって私生活でようやく自分の幸せを感じられるという風に思っているのかなと邪推してしまう。
人生の多くの時間を割き、その中で同じ人たちと仕事をするなら、その仕事自体が幸せを感じられるものにしてほしいし、そこで一緒に苦労する人こそ人生の友として欲しい。
僕も昔のスタッフも、あの頃はとても大変で辛かったと思うけど、とても楽しかったとみんな思ってくれると確信しているし、僕自身もそう思っている。
皆がみんなと頼り頼られる人間になれば、仕事場に吹く風は楽しく明るいものになり、クライアントさん達もそれを感じて惹きつけられるだろう。スタッフ同士が思いやり、頼りがいがあり、支え合える存在でなければ、クライアントさん達が頼れるような存在にはなれないと思う。
やっぱねぇ、仕事場は楽しい雰囲気が漂ってないとねぇ。クライアントさんは全部感じちゃいますよね。
議論を戦わせて、ちょっと雰囲気が悪くなったとしても、向かい合わず、並んで同じ目標を眺めるような仲間になるには、もっともっと議論に慣れてもらわなければならない。そうやって、信頼を感じられるようになった仲間は、ちゃんと手を繋ぎあった状態になっているはずだと思う。




