第51話 堕天の徒(5)
飛鳥は大きく息を吸い込み、背中越しにアーニャに語りかけた。
彼の怒りを表すように雷が激しさを増していく。
「アーニャ。君の、君とステラの救世は間違いなんかじゃない。俺がそれを証明する。証明し続ける」
「飛鳥くん……」
表情は窺い知れないが、アーニャの声には自身を否定された悲しみではなく、レーギャルンを再び手に取った飛鳥を心配するような響きがあって。
思わず綻びそうになる口元を固く結び、飛鳥はレーギャルンを振り被った。
「開け、レーギャルン」
「待ちなさい飛鳥くん! 堕天の徒に魔法は通用しない! 今は逃げることだけを──」
アルベルトが叫ぶ。
しかし、彼の声は轟音にかき消された。
雷撃がマスティヴァイス目掛け一直線に駆け抜ける。
直後、飛鳥を除く全員が目を疑った。
「堕天の徒が、魔法を避けた……!?」
アルベルトが呆然と口にする。
そして、それはマスティヴァイスも同様であった。
人間や魔族が扱う魔力も堕天の徒もイストロスが生み出したものだ。
更にいえば堕天の徒はイストロスの防御装置の名の通り、人間や魔族より上位に位置している。
飛鳥の攻撃を避ける理由がない。
「ふーん……」
マスティヴァイスが目を伏せ、髪をかき上げる。
そこへ飛鳥は斬り掛かった。
「理由は分からないけど、俺の雷なら通じるみたいだな」
だが、マスティヴァイスはあっさりと受け止め、飛鳥の腹に膝蹴りを叩き込んだ。
「がはっ!」
「イキがるのは傷の一つでも付けてからにしてくれないか?」
殴られ、飛鳥の視界が揺れる。
レーギャルンを引くがマスティヴァイスは離さない。
「ほらほら、さっきまでの威勢はどうしたぁ?!」
マスティヴァイスが笑う。
そのまま勢いよく投げ飛ばされ、飛鳥は散らばった本やティーセットを巻き込みながら床を転がった。
「飛鳥くんっ!!」
「黙って見てろよ女神ぃ。英雄が死ぬところをなぁ!」
三度マスティヴァイスの手元で光が瞬く。
放たれた光弾を間一髪のところで弾き飛ばし、飛鳥はふらふらと立ち上がった。
「怖くないのか? 皇飛鳥」
マスティヴァイスが煽るように問いかける。
「何……?」
「神界とやらのことはメテルニムス様から聞かせてもらった。死んだ者を召し上げ兵力として使い回す。魔族にもその手のはいるにはいるが、世界救済を宣うなど悍しい。まずは自分たちの世界から見直した方がいいんじゃないか?」
彼は飛鳥の返事を待たずに続けた。
「おまけに生前戦士や軍人を生業にしていた者もいれば、全く戦いを知らないズブの素人まで英雄にされるそうじゃないか。お前はどっちだ? ん?」
「俺、は……」
死ぬ直前の記憶が脳裏を過ぎる。
自分は本当にごく普通の人間だ。
戦い方なんて知らなかったし、事故で死ぬような、簡単に死んでしまうちっぽけな存在だ。
俺は、どうして今まで……。
忘れていた感情が胸を締め付ける。
手足が震える。
マスティヴァイスの言う通りだ。
イストロスでもティルナヴィアでも一歩間違えればまた簡単に死んでしまうのだ。
「怖ぇよ……」
ボソリと、誰にも聞こえぬように呟く。
「ん? 何か言ったか? もっと大きい──」
「怖いって言ったんだよッ!!」
「……はぁ?」
マスティヴァイスがポカンとした表情を浮かべる。
「怖いに決まってるだろ!! ちょっと前までただのリーマンだったんだぞ!? 喧嘩だってろくにしたことないし!! なのにいきなり英雄になって世界を救えとか意味分かんないよ!! しかも最強クラスの精霊使いとか魔王とかヤバい相手ばかりだし!! 本当ならステラと同じように引きこもってたいよ!!」
早口で捲し立て、近くにあったお茶の缶を蹴り飛ばす。
「あぁもうっ、くそっ!!」
口をついて出た本音が恥ずかしくて、飛鳥は吠えた。
視界を埋め尽くす真っ赤な血、冷たくなっていく体。
もう助からないんだという絶望。
アーニャに夢中になりすぎて、いきなり多くを背負いすぎて閉じられていた記憶。
規模は違えど、再び目の前に現れた堕天の徒という絶望に様々な感情がごちゃ混ぜになる。
でも……。それでも、俺は……!
同時にアーニャと初めて出逢った時のことを思い出す。
彼女の笑顔を思い出す。
あの時芽生えた恋心を噛み締め、飛鳥はレーギャルンを握る手に力を込めた。
そんな彼の姿に、マスティヴァイスは少しの間俯き体を震わせていたが、
「ハハハ……ハハハハハハハハ!! 冗談だろ?! お前もしかして素人の方なのか?! メテルニムス様を相手に?!」
目をかっぴらき、盛大に吹き出した。
「おいおい、神界ってのはそんなに人不足なのかぁ?! あぁ、メテルニムス様が英雄どもを殺したからか! 可哀想になぁ。この世界じゃなきゃ生き残れたかも知れないのになぁ」
言葉とは裏腹にマスティヴァイスの口角は吊り上がったままだ。
飛鳥が吐露した恐怖が面白くて仕方ないのだろう。
しかし次の瞬間、レーギャルンが撃ち出した雷撃がマスティヴァイスの頬に傷を付けた。
「痛ッ!? ……何だお前、怖いんだろ? なのにまだやる気か?」
「当たり前だ」
即答した飛鳥をマスティヴァイスは気に食わないといったように睨み付けた。
「何故そこまで戦おうとする。ここで諦めれば、飼い人として命だけは繋げるかも知れないぞ?」
「そんなの決まってるだろ」
飛鳥は服に付いた埃を払い、マスティヴァイスを見据えた。
「アーニャの笑顔が見たいからだ」
「女神の笑顔だと?」
「あぁそうだ。俺はアーニャの笑顔が大好きだ。ずっと笑っていてほしい。だから……」
そうだった。願いは、最初から決まっていた。
「アーニャが俺をどう思おうと構わない。世界を救うことでアーニャが笑ってくれるなら、俺はどんな力だろうと迷わず使う。アーニャが笑ってくれるなら、誰が相手だろうと俺は戦い抜く。それが、俺が本当にやりたいことだ」
「飛鳥、くん……」
「…………。……いや、まぁ、それに加えて……す、好きになってもらえたら、それが一番だけど……」
長い沈黙の後にそう付け加えると、アルベルトが『締まらないなぁ』と笑う。
飛鳥はまた恥ずかしくなり頬をかいた。
「と、いう訳でだ」
雷が飛鳥の全身を駆け巡る。
「続きを始めようか、マスティ──」
だがその時、頭に鈍い痛みを感じ飛鳥は膝を折った。
「あだぁっ!? な、何……?」
振り向くと、そこには剣を構え俯くアーニャの姿が。
それを見て彼女に殴られたのだと気付いた。
「飛鳥くん……」
「ア、アーニャ……?」
アーニャの顔色を窺うように覗き込むが、
「飛鳥くんのバカ!!」
「へっ!? ご、ごめんなさい!?」
怒鳴られ、飛鳥は謝罪の言葉と共に頭をガードした。
「飛鳥くん、酷いよ……。何も言わずにいつも一人で全部背負いこんで、一人で戦って、死にそうな目に遭っても……戦い続けて……」
「アーニャ……」
「それが私に笑ってほしいからって何!? 飛鳥くんが傷付いてるのに笑える訳ないよ! イストロス行きだって勝手に決めて! またそんなよく分からない力手に入れて! いっつもそう! ……私だって、飛鳥くんに笑っててほしい。たくさん可愛いって言って……あ! ここに来てから可愛いも妻ですも言ってくれてないよね!? 『救世の旅』は英雄と神々が一緒にやるものだって本当に分かってる!? 私パートナーなんだよ!? 今はその……ただの人間だけど……」
悲しそうにしたり、かと思えば怒ってみたり。
でも、そこにいるのは、自分が一目惚れした宇宙一可愛い女神様で。
新しい一面に触れられたのが、とんでもなく嬉しくて。
「ごめん。頼るって言ったのに、できてなかった」
「あ! それ! そうだよそれも!」
そう言ってアーニャが頬を膨らませるが、そんな姿もすごく可愛くて。
だから自分は、戦うと決めたんだ。
そこへ乾いた拍手が響いた。
「はいはい、くっだらない小芝居は終わったか? せっかく調子が出てきたところだったのに興醒めだよ全く」
心底不機嫌そうにマスティヴァイスが吐き捨てる。
しかし、彼の言葉を無視し、飛鳥はアーニャの手を取り立ち上がった。
「行こう、アーニャ」
「うん!」
「今度はさっきのようにはいかないぞ」
二人は再びマスティヴァイスと対峙した。