第50話 堕天の徒(4)
堕天の徒──アルベルトが発した単語にアーニャとヘレンは表情を固くし、すぐに防御魔法を展開した。
そして、彼に続き走り出すが、マスティヴァイスの手元が一瞬光を放ったかと思うと、再び衝撃波が四人を薙いだ。
三人が張った防御魔法もあっさりと破られ、アルベルトが額に汗を浮かべ叫ぶ。
「聞いてたよりも厄介だな全く!」
その様子にマスティヴァイスは笑い声をあげた。
やはり天使のイメージからは程遠い下卑た声が響く。
「私を堕天の徒と知りながら逃げる? ハハハハハハ!! よくそんな選択肢が浮かぶものだ! その頭の悪さが堪らんな!」
「失礼な! 僕は天才だ!」
変なところに噛みつくアルベルトの服をヘレンが泣きそうな顔で引っ張った。
「そ、そんなこと、い、言ってる場合じゃ……!」
「あんなこと言われて黙っていられるかい!? 僕を馬鹿にしていいのは僕だけだ!」
この窮地でそんなやり取りをしている二人の前にアーニャが飛び出す。
彼女の手には既にロングソードが握られていて。
剣先をマスティヴァイスに向け叫んだ。
「光よ! 集え!」
アーニャの声に応え、剣身に光が集まり巨大な刃を作り上げていく。
「はあああああ!」
と、マスティヴァイスの体を正面から貫いたが、
「なっ……!?」
剣が腹を裂いているというのに、痛みを感じていないのか彼の表情は変わらない。
悔しそうにアーニャが歯を食いしばる。
「やっぱり、ダメなの……!?」
「アーニャ! やつの力は一体!?」
飛鳥が尋ねると、アーニャは最初俯き黙っていたが、
「あの人……堕天の徒は……」
苦しそうに、絞り出すように話し始めた彼女の前にアルベルトが立ち塞がった。
「おっと、そこまでだ」
「アルベルトさん!? 下がっていてください!」
「いやいや、解説はより正確に、事実のみを語らなければ意味がない。この場で僕以外に適任がいるかい? やつに聞きたいこともあるしね。ここで死ぬとしても、それだけは解消しておきたいんだ」
「聞きたいこと……?」
アーニャが訝しむ。
彼はマスティヴァイスを睨み付けた。
アルベルトの体は小刻みに震えている。
謎を解き明かすという研究家としての矜持と、死にたくない、逃げ出したいという当たり前の欲求との間で葛藤しているように見えた。
アルベルトが一度大きく息を吐く。
「君がそちらについたということは、僕たち人間はもう不要ということかな?」
「それは、どういう……?」
飛鳥は彼の質問の意図が分からず疑問を口にした。
だが、アーニャとヘレンの顔が真っ青になっているのを見て、益々困惑してしまった。
「堕天の徒というのは、一言で言えばこの世界の防御装置だ」
アルベルトはマスティヴァイスを睨んだまま説明を始めた。
「言い伝えでは、この世界──イストロスの存続を脅かす存在が現れた時に、それを排除する為に生み堕とされるのが堕天の徒だ。それが今、魔族の側についている。この意味が分かるかな?」
講義で教師が生徒を指すように、アルベルトが飛鳥の方を向く。
すぐに思い当たり、飛鳥は顔を強張らせた。
「つまり……イストロスにとって不要なのは、人間の方……!?」
アルベルトが顔を逸らし、ゆっくりと頷く。
旅の目的を否定され、飛鳥は視線を彷徨わせた。
そんな……! イストロスは人間じゃなくメテルニムスたちを選んだのか!? それじゃあ、僕たちはどうしたら……。
アーニャとヘレンもそれに気付いたからこそ、絶望し、何も言わなかったのだろう。
しかし、返ってきたのはマスティヴァイスの笑い声だけであった。
「それなんだがねぇ……私自身、何故生まれたのか分からないんだよ」
「何だって?」
アルベルトが思わず聞き返す。
マスティヴァイス自身困っているのか、笑いながらも顎を撫でた。
だが、それも僅かな間のこと。
「私はイストロスから何の命も存在理由も与えられていない。だから──」
マスティヴァイスの笑みが深くなる。
「楽しそうな方につくことにした。意思を統一されている魔族より、お前たち人間の方が反応が面白いからねぇ」
「うっわ! 最低だな君は! ……でも何でそんな堕天の徒が生まれたんだ? 言い伝えが間違っているのか、それともやつだけが特殊事例なのか……。いや、イストロス自身に何か変化があったとも考えられるな……」
腕組みし、ぶつぶつと呟くアルベルトであったが、マスティヴァイスの後ろに隠れていた太った男が彼を怒鳴り付けた。
「アルベルト! お前一体何をしたんだ!? そいつらは何者だ!?」
太った男へアルベルトが軽蔑した冷たい視線を向ける。
「そういえば、あの人は……?」
アーニャが思い出したように男を見ると、代わりにヘレンが答えた。
「あ、あの方が……こ、ここの所長で……せ、先輩の、お父さん……です」
「えっ? あれが?」
飛鳥とアーニャがノルデンショルド親子を交互に見比べ、呟く。
「た、確かに似ているような……」
「似てない!!」
しっかり耳に入ったらしくアルベルトが怒鳴った。
「アルベルト! 四大様に逆らうなど何を考えているんだ!? ノルデンショルドの名に泥を塗る気か!?」
「それはこちらの台詞ですよ、父さん。魔族の顔色を窺いながら過ごす人生の何が面白いんですか? そんなだから、モルダウに見捨てられるんですよ」
「黙れ! 政府まで批判する気か! マスティヴァイス様! やつは……アルベルトは女神信仰のせいで少しおかしくなっているだけなんです! 決して反逆者では──」
「うるさいよ、お前」
「へっ……?」
弁明し、跪くアルベルトの父を、マスティヴァイスは汚いものでも見るかのように睨んだ。
「人が楽しんでる時に横槍を入れるなって言ってるんだよ。死にたいのか?」
そう聞かれ、アルベルトの父が慄きながらへたり込む。
「まぁ、気持ちは分からなくもないがね。そこにいる女神によってメテルニムス様が倒された後、アルデアルは酷い目にあったもんねぇ」
愉快そうに笑いながら、マスティヴァイスはアーニャを指差した。
「お、お前が……あの時の女神だと……!?」
アルベルトの父は立ち上がると、アーニャに向かって忌々しげに吐き捨てた。
「お前たちがメテルニムス様を倒したせいで、私たちアルデアル人がどれだけ惨めな思いをしたか知っているのか!? ヴァラヒアの分割統治にも参加させてもらえず、魔族に協力したと非難を浴び続けた私たちの気持ちが分かるか!?」
アーニャの表情が曇る。
「そ、そんな……。私たちはただ、人間を、守りたくて……」
「黙れ! 私たちにとってはお前など邪神だ!」
「ち、違っ……私は……!」
飛鳥は崩れ落ちそうになるアーニャの体を支え、ゆっくりと座らせた。
「いい加減にしろよ……!」
拳を握り締め、今にも爆発しそうな感情を無理やり抑え込む。
すると、飛鳥の右腕が真っ黒に変色し、全身に雷を帯びた。
飛鳥の変化にアルベルトが目を見張る。
「魔法!? 何故君が……!?」
「来い! レーギャルン!」
飛鳥が手をかざした瞬間、瓦礫の山が爆ぜる。
飛来したレーギャルンはロングソードほどの剣身を生み出した。
『壊せ──』
頭の中の声が大きくなる。
「あぁ」
不思議と恐怖はない。
アーニャを守ると決めたのだ。
彼女に恐れられても、嫌われても、守り抜くと決めたのだ。
その為なら、どんな力であろうと。
「俺たちは今度こそメテルニムスを完全に消滅させる」
飛鳥はマスティヴァイスを見据えた。
「それを邪魔するなら、マスティヴァイス。お前から倒すだけだ」