第40話 奪われるもの(2)
「もう、大丈夫かな……?」
「た、多分……」
路地に置かれた木箱の陰から、アーニャとリーゼロッテが顔を覗かせた。
辺りを見渡し、人がいないのを確認してから二人揃って大きな溜め息をつく。
しかし、怒りを抑えられなかったのか、リーゼロッテは拳を握ると大声を上げた。
「何なのよあいつらいきなり!! 私たちが何したって言うのよ!?」
「リ、リーゼロッテちゃん静かに! 憲兵や軍の人に見つかったら捕まっちゃうかもだから!」
「あっ。ご、ごめんっ……」
素直に謝り、リーゼロッテが木箱にもたれかかる。
「ねぇ、『神ま』を使えば飛鳥と連絡取れるんでしょう? あいつら今どこにいるの?」
「うん……。さっきから呼びかけてるんだけど、反応がなくて……」
「そう、なんだ……」
リーゼロッテは不安そうに膝を抱えた。
二人がそう簡単に負けるとは思っていない。
いないが、黒ローブの女、プリムラだけは別だ。
フラナングの館にロマノー軍がやって来た時もほとんどプリムラ一人でアクセルを捕まえてしまった。
でも、今回は。
「だ、大丈夫だよね。飛鳥もいるし……」
「そうだよ。飛鳥くんとアクセルさんなら誰にも負けないよ」
互いを落ち着かせるように口にする。
だが直後、何かが落ちてきたかと思うと、近くに置いてあった樽が大きな音を立てて爆ぜた。
「「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」」
アーニャとリーゼロッテが声にならない悲鳴を上げ、抱き締め合う。
追手の攻撃なら非常にまずい。
こちらには反撃する手段がないのだ。
すぐに逃げなければならないが、パニックで体が動かない。
しかし、砂埃が晴れると、そこにはクララが倒れていた。
「ク、クララ!?」
名前を呼ぶが、彼女はピクリともしない。
真っ白な服は砂と埃でまだら模様のようになり、打ち所が悪かったのか木片が刺さったのか、白い髪も肌も血で真っ赤に染まっている。
アーニャたちは再び悲鳴を上げた。
クララが視線を動かし、いつもの気怠げな調子で手を振る。
「あ、やっぱり二人だった。やほやほー」
「クララさん! すぐに治療するから動かないでください!」
「ちょ、ちょっと! 大丈夫!?」
二人は慌てて駆け寄り、彼女の体を調べた。
クララは全く抵抗せずぼーっと宙を眺めている。
飛鳥の周りをうろちょろしていた時とは大違いだ。
その間にも地面の血溜まりは広がっていく。
アーニャが治癒術式を展開するが、クララは彼女の袖を摘んだ。
「ねぇねぇ、アーニャ。襲われてるの見たけど、もしかして今緊急事態つまりエマージェンシーって感じ?」
「エマージェンシーなのはあんたの体の方だと思うけど!?」
アーニャを手伝いながらリーゼロッテが叫ぶ。
「むー……どうしてか体が重い……。おや? どうしてここにパパとママが……?」
「走馬灯見えてるじゃない! アーニャ! 早く!」
「だ、大丈夫だよ! もう傷は塞いだから! しばらく安静にしてれば……」
「良かった……」
リーゼロッテはその場にへたり込んだ。
「クララさん、どうしてロマノーに?」
アーニャが尋ねる。
すると、クララは二人を見つめ唇に指を当てた。
「マティルダちゃんから秘密の任務を受けたのだ。飛鳥とアーニャがイチャイチャし過ぎないように見張れって。誰にも言っちゃダメだぞ?」
「う、うん……」
「あっ、そう……」
一番言ってはいけない相手だと思うのだが、クララはあくまで真剣な表情で。
アーニャたちは呆れたように頷いた。
「でも来てみたらこれだし、カトルは飛鳥を助けるってどっか行っちゃったし」
「カトルさんも来てるんですか?」
「うん、てことでとりあえず二人は私と隠れ里にー。カトルも飛鳥たちを連れてくるでしょ」
「隠れ里?」
「他国から逃げてきた獣人が休む的な? エールまでは結構遠いからなー」
「……迷ってる暇はなさそうね」
「うん。クララさん、案内してください」
クララは元気を取り戻したのか、起き上がると自信満々にピースしてみせた。
数時間後、隠れ里へ辿り着いたアーニャとリーゼロッテ、クララの元へ子どもたちが駆け寄ってきた。
獣人以外が行って大丈夫かと心配したが、クララが先導してくれたおかげだろう。
大人たちは労いの言葉をかけてくれたし、子どもたちは特にアーニャに興味津々な様子だ。
クララが子どもたちの頭を撫でながら笑う。
「ははは、皆元気だな。でも遊ぶのは後だぞー。長いる?」
彼女がそう尋ねると、茶色い髪の女がやってきた。
「これはこれは、クララ様。お久しぶりです。あら、そちらの方々は……?」
「カーラ、やほー。かくかくしかしがな感じで。カトルたちもう来てる?」
「それじゃ何も伝わらないでしょ」
リーゼロッテがツッコミを入れるが、いつものことなのかカーラは気にしていない様子だ。
「いえ、カトル様もいらっしゃるのですか?」
「うん。でもまだかー。手のかかる弟だ」
クララがアーニャたちの方を振り向く。
「来るまで待ってようぜー。二人も疲れたでしょ?」
「ありがとうございます」
「カーラ、私は子どもたちと遊ぶから二人の面倒見てあげて。こっちがアーニャで、そっちがリーゼロッテ」
紹介され、何故かカーラの顔が明るくなる。
「あなたが、アニヤメリア様ですか……?」
「はい、そうですが、私が何か……?」
「いえいえ! 失礼いたしました! 本国だけでなく隠れ里でも話題になってるんです! 皇飛鳥様とマティルダ様の決闘もですし、素敵な奥様がいらっしゃると!」
「私が、素敵な奥様?」
何だかむず痒く感じられ、アーニャは思わず赤面した。
「それに最近いらっしゃった方々もあなた様を探されていたので」
「私を探してた? どんな人ですか?」
カーラの言葉にアーニャとリーゼロッテが顔を見合わせる。
そこへ鈴が鳴るような声が聞こえ、アーニャはびくりと背筋を伸ばした。
「久しぶりですね、アニヤメリア」
「そんな……!? 何故、あなた様がここに……!?」
「元気そうで何よりです」
「ニーラペルシ様……!」
「え? 誰? アーニャの知り合い?」
鮮やかな緑色の長髪に、閉じられた瞼。
この寒い時期だというのに、体には白いドレスだけ。
だが、穏やかな笑みをたたえたニーラペルシは、それこそ絵画に描かれる神のように美しく、気高い印象を与えた。
上体を九十度曲げお辞儀するアーニャとは反対に、リーゼロッテは彼女に近付き目の前で手を振ってみた。
アーニャが慌ててリーゼロッテを引っ張る。
「リーゼロッテちゃん!? 何してるの! ニーラペルシ様は目がちょっと細いだけで……!」
「いいのですよ、アニヤメリア。それよりあなたに伝えることがありやって来ました。少し場所を移しましょう」
「は、はい!」
アーニャは姿勢を正し、ニーラペルシの後ろをついていった。
隠れ里から少し離れた山中へ行くと、そこには人影がもう二つ。
一人は年の頃は十四、五歳だろうか。
深い青色の髪に白いスボン、赤色の靴とハーフコートを身に着けた少女。
ショートヘアで前髪は切り揃えられている。
それから──。
「ユーリティリア? あなたまでどうしてここに……?」
「久しぶりね、アニヤメリア。それにしても相変わらず鈍臭いわね。まーだ救済の目処も立ってないなんて」
もう一人の女の言葉に、アーニャは照れたように笑った。
黒くウェーブ掛かった長い髪の毛。
肩の出た紫色のロングドレスを着ているが、何より特徴的なのは眉毛だ。
左の眉毛だけまるで孔雀の羽根のように長く、鮮やかな色合いをしている。
「あっ、リーゼロッテちゃん、クララさん。この人たちはえっと、その……」
アーニャは言い淀んだ。
リーゼロッテだけならまだしも、クララに神界のことを伝えることはできない。
もちろんいつかは伝えなければならないが、今ではない。
飛鳥と話し合って、最初はやはりマティルダに伝えるべきだろう。
リーゼロッテも先ほどのアーニャの態度で察したのか何も言わない。
そうしていると、ニーラペルシが口を開いた。
「アニヤメリア」
「で、ですが……」
「仕方ありません。詳しい話は彼らが来てからにしましょう。その前に──」
ニーラペルシがアーニャを見つめる。
「はい! 私にお話というのは、何でしょうか……?」
表情を窺うように上目遣いのアーニャにニーラペルシが手の平を向けると、アーニャのベルトから『神ま』が離れ、彼女の手に収まった。
「ッ!? お待ちくださいニーラペルシ様っ。それは私の……」
「えぇ。ですが、あなたにはもう不要なものです」
アーニャは耳を疑った。
震えながらニーラペルシへ手を伸ばす。
「お、仰っている意味が分かりません……。不要とは、どういう……」
「安心しなさいアニヤメリア。ティルナヴィアの救済は私たちがちゃーんと引き継ぐから」
ウィンクしてみせるユーリティリアに、アーニャの顔が益々泣きそうに歪む。
「どういう……ことですか……? ニーラペルシ様……」
「アニヤメリア」
問われ、ニーラペルシは毅然とした態度で告げた。
「あなたの救世の旅は失敗に終わりました。その責として、あなたの神格を剥奪します」