第39話 奪われるもの
頬に落ちる水で飛鳥は目を覚ました。
まだ視界が少しボヤけている。
「ここは……」
状況を確認しようと起き上がると、そこは絵に描いたような独房であった。
木製の固いベッドに小さな机と洗面台、便器が一つずつ。
窓もなく、明かりと呼べるものはロウソクの火だけだ。
おまけにジメジメしているし、ところどころにカビが生えていて蒸し暑い。
謁見の間での戦いからどれくらい経ったのか、ここが宮殿の中なのか、ヒントになるようなものはなさそうだ。
当然だが、レーヴァテインもマントも奪われていた。
武器にはならないと判断されたのか、連絡用の『神ま』が残されているのを見てホッと息をつく。
開き、呼びかけてみるが、アーニャからの反応はない。
二人は無事に宮殿を出られただろうか。
大きな不安が押し寄せ、髪の毛をかきむしる。
でも、今は無事だと信じるしかない。
早く合流する為にも、この状況を何とかしなくては。
「おーい、アクセル。生きてるか?」
見張りがいないのを確認し、飛鳥は向かいの房へ声をかけた。
アクセルはしばらく無言で寝転がっていたが、やがてダルそうに起き上がりベッドの上で胡座をかいた。
「あぁ、何とかなァ」
そう返事をしながら、ベルトに下げてあるエールで使った変装用の尻尾を手に取り、バラバラにしていく。
中から赤い輝きと共に予備の霊装が現れ、彼はそれを首にかけた。
「おい飛鳥。まさかてめぇ、この展開を予想してた訳じゃねぇよなァ?」
「こんなの予想できる訳ないだろ。お前の命に関わるものなんだ。予備を用意しておくのは常識だよ」
「だったらネックレスじゃなくてもっと隠しやすいもんにしろよ!」
もっともなクレームをつけ、アクセルは立ち上がると鉄格子に向かって拳を握った。
飛鳥が手を振り待ったをかける。
「待て、結界が張られてる。消耗するだけだし、壊して人に気付かれたら厄介だ」
「そもそもここはどこなんだ? 宮殿の中か? それとも軍の施設に移されたか?」
「ごめん……。僕も気を失ってたから、分からない……」
そこに関しては強く言えないのか、アクセルは口を閉じたが、すぐに『神ま』に気付き指差した。
「おい、お前が持ってる方の『神ま』はアーニャとの連絡用だったな? 試してませんなんてことはねぇよなァ?」
「何回もやってるよ。でも、返事がなくて……」
「まずいんじゃねぇのか? それ」
アクセルが珍しく視線を右往左往させる。
自分に言い聞かせるように飛鳥は答えた。
「この結界が遮断しているのかも知れないし、まだ『神ま』を開いてないだけかも知れないし……」
前半については正直言って、既に『精霊眼』が答えを出している。
鉄格子に張られた結界に通信用の術式を防ぐ効果はない。
『神ま』による通信が精霊術と同じ扱いになるかは分からないが、少なくとも届いていないということはないだろう。
その答えにアクセルは苛立ちを見せ、怒鳴った。
「何でそんなに悠長にしてられんだてめぇは!! アーニャが心配じゃねぇのか!?」
「ッ! そんな訳ないだろ……!」
飛鳥はボソリと呟き、鉄格子を握る手に力を込める。
不安を押し殺しながら、この後のことを相談した。
「あの場で殺されなかったってことは、ヴィルヘルムはまだ僕らに用がある筈だ。ここを出る機会はある。その時に……」
「なるほどなァ。そん時に連中をぶち殺せばいい訳か」
アクセルがニタリと口の端を上げる。
「もしまたプリムラや『八芒星』が出てくるようなら僕がプリムラと戦う。お前よりはやりやすいと思うから」
「あ? 何か視えたのか? あの女は一体何なんだ? 七色のエレメントなんざ見たことねぇぞ」
「そうじゃないけど、プリムラも『精霊眼』の保有者だ。僕なら能力を打ち消せる」
その時、人の気配を感じ、二人は鉄格子から離れた。
遠くで扉が開き、一人分の足音が響く。
段々と近付いてくるそれに、ベッドに寝転がり様子を窺っていたが、
「二人とも。起きているのは分かっていますよ」
聞こえてきた声に、二人は飛び起きた。
鉄格子の前に立っていたのが先ほどまで噂していたプリムラだったからだ。
彼女の手には奪われたレーヴァテインとマントが握られている。
アクセルは待ってましたと言わんばかりに笑った。
「下っ端じゃなくてめぇ自らお出ましか。俺たちをどうするつもりだ?」
飛鳥もいつでも逃げられるよう身構える。
しかし、プリムラが手を振ったかと思うと、鍵が外れ鉄格子が開いた。
「どうぞ、出てください」
敵意は感じられない。
彼女の狙いを計りかね動けずにいると、プリムラは溜め息をついた。
「あなたたちをどうこうする気はありません。早くアーニャさんやリーゼロッテと会いたいでしょう?」
と、プリムラは一枚の紙を取り出してみせた。
「外に出る為の地図を持ってきました。他の者が気付く前に脱出を」
「何のつもりだ? どうしててめぇが俺たちの味方をする?」
「どうして? くだらないことを聞くのですね。ここであなたたちに死なれては私が困るからです。それ以外にありますか?」
馬鹿にされ、アクセルが彼女を睨み付ける。
だが、全く意に介していないのか、プリムラは飛鳥に問いかけた。
「飛鳥。初めて会った時に私が言ったことを覚えていますか?」
「この世界のことを頼むって……」
答えると、プリムラは『えぇ』と頷いた。
「その為にも、今は逃げてください」
「おい、こいつを信じるのか? どうせ待ち伏せがいるとかそういうオチだろ」
「…………」
彼女は静かに飛鳥を待っている。
「いや……」
飛鳥は房から出て、手を差し出した。
「プリムラさんを信じよう。今はこれしか方法がない」
「……仕方ねぇか」
まだ完全には納得していないようだが、アクセルも房を出る。
プリムラは飛鳥にレーヴァテインを渡し、こう告げた。
「飛鳥、あなたはこれから真実を知り、選択を迫られます。今まで信じていたものが壊れるかも知れません。それでも、前に進みますか?」
「どういうことですか? プリムラさんは何か知ってるんですか?」
しかし、彼女は質問には答えず、続けた。
「どうか最後まで、何があろうと自分を信じてください。あなた自身の気持ちを信じてください。今はそれだけしか言えません」
「……分かりました」
無理に聞き出そうとしても答えてはくれないだろうし、時間をかけられる状況でもない。
飛鳥はマントを羽織り、地図を受け取った。
プリムラが今度はアクセルの方を向く。
「アクセル・ローグ」
「何だよ?」
「口では色々言いつつも希望を持てたようですね。どうかその希望に蓋をしないよう、きちんと向き合ってください。今度こそ辿り着けると信じていますよ」
「てめぇに言われるまでもねぇ、分かったような口を聞くんじゃねぇよ」
プリムラはくすりと笑うと、アクセルの霊装に組み込まれているものと同じ真っ赤な宝石を取り出した。
「元のものより遥かに高純度なものを用意しました。ソフィア・リストなら加工できるでしょう」
アクセルは迷わず、引ったくるように宝石を受け取る。
「礼は言わねぇぞ」
悪態をつくアクセルにプリムラは微笑んだ、気がした。
「行こう、アクセル」
「あぁ」
彼女に礼を述べ、二人は走り出した。
アクセルが懸念していた罠もなく、道順もそこまで複雑ではない。
しばらく走ると地図に描かれた通り、セントピーテルの路地裏に出た。
一際高いヴィルヘルムの宮殿が遥か遠くに見える。
「何とか脱出できたな」
「……そうだな」
アクセルが宝石に目を落とす。
そこへ一つの影が舞い降りた。
思わず身構えるが──。
「カトル!? どうしてここに?」
意外な人物の登場に飛鳥は目を丸くした。
「ようやく見つけました! ご無事で何よりです、我が王!」
カトルは心底安心したように微笑み、飛鳥の前に跪いた。
「我が王が早くエールに戻れるよう手伝いをせよとマティルダ様より仰せ付かりまして。まだ数日と経っていませんが、思いの外寂しがっておられます。それで急いで来てみれば宮殿で戦いが起こり、我が王とアクセル殿が牢の中に。どうしようかと迷っていたところでした」
「そうだったのか。ところでアーニャたちが今どこにいるか知らないか?」
尋ねると、カトルは安心させるように顔を上げた。
「アーニャ様とリーゼロッテさんはクララが追っています。隠れ里へ向かうよう言ってありますので、そこで合流しましょう」
「隠れ里?」
「はい、ご存知の通りエールは各国から逃げてきた獣人を保護しています。ですが、皆が皆すぐにエールに向かえる訳ではありません。準備を整えたり休息を取ったり、その為の拠点を各地に設けています。さぁ、参りましょう」
「うん、案内してくれ」
アーニャたちが無事と分かり、胸のつかえが取れた思いだ。
それにエールの拠点なら安全だろう。
見ると、アクセルも顔色が良くなっている。
早くアーニャに会いたい、その気持ちを胸に、飛鳥たちはカトルについて移動し始めた。