第37話 豹変
王城での宴は思いの外楽しいものであった。
結局キタルファにも捕まってしまったが、彼は飛鳥に恨み言ではなく、先代の獅子王──つまりマティルダの父親がどれだけ偉大な存在であったか、自分がどれだけ感謝しているかを語って聞かせた。
それだけではない。
彼は人間社会についても非常に明るく、飛鳥が他の大陸から来たと伝えると、ユートラント大陸の文化や価値観、これまで獣人がどのように扱われてきたか丁寧に教えてくれた。
何故彼がここまで結婚に反対するのか十分に理解できる内容であった。
キタルファだけではない。
アンカーはマティルダの父親と同じ集落の出身で兄弟同然に育ったそうだ。
彼が三大臣になったのはマティルダの父親の遺言によるもので、以降はまだ夫のいない彼女に代わって、大事なことなのでもう一度言うが、結婚予定のないマティルダに代わり国軍と警備隊の訓練や指揮を担っている。
武闘派でマティルダに次ぐ実力者とのことだ。
最後にアルネブだが、彼女は三大臣の中では最年長で、マティルダだけでなく彼女の母親の乳母でもあったらしい。
二代続けてともなれば愛情もひとしおだろう。
今は侍女を束ね、王城の家事全般を取り仕切っている。
ハマールに至っては初めて会った時の威圧感はどこへやら、終始上機嫌でトーマスとブリギットの面倒を見ると約束してくれた。
やっぱり、何も変わらない。
姿形が少し違うだけで、人間も獣人も大切なものの為に今を必死に生きている。
だからこそ、余計に分からなくなってしまった。
焔恭介は、スヴェリエはどうして獣人を滅ぼそうとしているのか。それだけ憎んでいるのか。
獣人が人間の脅威になるからだけではない気がする。
早めにクリスティーナ・グランフェルトに会う算段をつけた方がいいかも知れない。
それから数日後、飛鳥たちはどうしてもと言って聞かないマティルダとカトル、クララに国境まで見送られ、途中北方司令部から報告書を送り、ようやく帝都セントピーテルに戻ってきた。
久しぶりの喧騒を味わいながら宮殿を目指す。
「はぁ〜八年で随分変わったわね〜。人もお店もいっぱいだし、何だか楽しそうね」
と、リーゼロッテ。
彼女とは反対にアクセルは顔をしかめた。
「そうですか? 人混みは嫌いなんですけどね、俺は」
「あ、そうか。四人でこうして見て回るのって初めてだったね」
二人の顔が強張るのを見て、飛鳥はしまったと口を閉じた。
アクセルは霊装が完成する前に無理やり引っ張り出されたせいで死にそうな目に遭い、リーゼロッテもそれを追う為に夜通し走って。
そもそも彼への実験が行われていたのは、この街にある技術開発局本部だ。
リーゼロッテはともかく、アクセルにとってセントピーテルは辛い記憶しかない場所だろう。
「ご、ごめん……」
「あ? 何に謝ってんだ? つーかてめぇ、最近妙にしおらしい時があるな。気持ち悪ぃからやめろバカが」
「ちょっと。飛鳥はあんたのことを思って──」
だが、アクセルは無視し、どんどん進んでいく。
「ごめんね、飛鳥。後で私から言っとくから」
「ううん、僕の方こそ軽はずみなこと言ってごめん」
飛鳥は衣料品店の窓に張り付いているアーニャに声をかけた。
「アーニャ、報告が終わったら買い物に出ようか」
「ハッ!? あ、うん! もちろんそのつもりだよ!? ちょっと買い物とかご飯食べてから〜なんて思ってないからね!?」
必死に否定するアーニャに思わず口元が綻んでしまう。
一つ大きな目標を達成したのだから、少しは息抜きも必要だ。
旅が始まってから戦闘続きだった訳だし。
スヴェリエの──いや、この大陸の最高戦力に獣人の頂点。
それにと、飛鳥は眼帯に触れた。
『精霊眼』で読み取ったのに、まだ完全には理解できていない『外なる物質』。
こんな力を宿した水城のどかは一体何者なのか。
考えてももちろん答えは出ないし、一人で考えることでもない。
マティルダとの結婚も問題といえば問題だが、ヴィルヘルムなら何とかできるかも知れない。
少しだけ軽くなった足取りで、飛鳥は再び歩き出した。
宮殿に着くとすぐにマリアが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。北方司令部から報告書を受け取りました。任務達成、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「それで、お疲れのところ恐縮なのですが、陛下がすぐに皆さんに会いたいと仰っていて……」
マリアは少し申し訳なさそうにしている。
しかし、こちらにとっては好都合だ。
「大丈夫ですよ、早く陛下に報告したかったので」
飛鳥が笑いかける。
マリアはホッと息をつき、四人を謁見の間に連れていった。
「……おい」
「あぁ」
謁見の間に着いてすぐ、アクセルが警戒した様子で飛鳥に耳打ちした。
飛鳥も小さく頷く。
ヴィルヘルムにバルドリアス、プリムラまでは分かるが、その側にはエミリアと、ライルだったか──『八芒星』の狼人族が控えていて。
更に妙なことに普段はいない完全武装した兵士が等間隔に並んでいた。
ヴィルヘルムの元まで進み、頭を下げる。
「ただいま戻りました、陛下」
「ご苦労だった。エールの連中を説き伏せてくるとは、さすがは飛鳥だ」
「ありがとうございます」
彼の声はいつも通り落ち着きと優しさを感じさせるものだったが。
僅かに漂う殺気に飛鳥は視線を動かした。
「ところで──」
突如、ヴィルヘルムの声色が変化する。
そこには明らかな敵意と警戒心が込められていて、飛鳥たちは思わず戦闘態勢を取った。
「まさかエールの王になって戻ってくるなんてな。人間が獅子王の称号を継ぐなんて初耳だ」
「それは……ご報告した通り、色々ありまして……」
「で? 獣人たちと大陸統一でもするつもりか?」
「なっ──!?」
ヴィルヘルムの口から出た言葉に、飛鳥は愕然とした。
同時に兵士たちが武器を構える。
「リーゼロッテ! アーニャ! 走れ!!」
「は、はい!」
アクセルの怒鳴り声に、アーニャはリーゼロッテの手を握り、出口に向かって走り出した。
兵士が剣を振り被る。
「お前たち、誰の許しを得てここを出るつもりだ?」
「あぁ? 俺だよ」
アクセルの影が蠢き、兵士たちを弾き飛ばした。
アーニャもリーゼロッテも振り返らない。
二人が無事に脱出したのを確認すると、アクセルの影が壁と柱を破壊し出入り口を塞いだ。
飛鳥もレーヴァテインを構える。
「陛下! これはどういうことですか!? 僕らは大陸統一など考えていません!」
ヴィルヘルムは視線を合わせようともしない。
代わりにバルドリアスが答えた。
「焔王を逃したばかりか、トリックスターとマティルダ・レグルスを手懐け引き込むとは。ロマノーとスヴェリエが互いに疲弊したところを狙う策か。定石ではあるが……」
「そんなこと考えてないって言ってるだろう!?」
「エミリア、ライル。伝承武装の使用を許可する。飛鳥とトリックスターを捕らえよ」
「りょーかい!」
ヴィルヘルムの命令にやる気を見せるエミリアとは対照的に、ライルは大きな溜め息をついた。
「俺のはこんな場所で使うものではないんだが……」
「だからちょっと待ってくれ! 話を聞いてくれ!」
エミリアとライルのエレメントが膨れ上がっていく。
どうやらもう会話は望めないようだ。
アクセルが邪悪な笑みを浮かべる。
「まぁいいじゃねぇか。ぶっ潰した後でゆっくり話を聞いてもらおうぜ」
「くそっ!」
飛鳥も雷を纏い、エミリアたちと向かい合った。