第36話 王家のしきたり(3)
アルネブの申し出に飛鳥は耳を疑った。
「いいんですか!? それじゃあ──。あ、いやぁ……」
礼を言いかけ、口を閉じる。
カトルの話ではレグルスのしきたりに例外はないらしい。
つまり、自分の意思は関係なく、マティルダとの決闘に勝った時点でこの結婚は決まってしまったのだ。
結婚に反対しているキタルファが言うならともかく、マティルダを大切に思っているアルネブがとはどういうことだろうか。
疑いたくはないが、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまった。
アルネブが優しく微笑む。
「申し訳ございません、驚かせてしまいましたね。もちろん飛鳥様にはマティルダ様と結婚し、王位に就いていただきます。しかしその前に他にやるべきことがあるのではないですか? それも、私などには想像もつかないほど大きな使命のようなものが」
「どうして、そんな風に思うんですか……?」
これも獣人の勘だろうか。
考えを見透かされているような気がして、嫌な汗が背中を伝う。
だが、アルネブはあっけらかんと答えた。
「簡単なことです。マティルダ様がたった一国の王に収まる程度の男性を好きになる筈がありませんから」
飛鳥が苦笑いを浮かべる。
すると、アルネブは急に真剣な表情をし、こう続けた。
「ところでお手伝いをする代わりにお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「僕にできることなら何でも」
「飛鳥様の使命が果たされた時には、どうかマティルダ様のことを考えていただけないでしょうか? しきたりとは関係なく、一人の女の子として。まだ自覚されていませんが、マティルダ様はあなたを異性として好いておられます」
「それは……」
できない約束だ。
してはならない約束だ。
だって、自分はこの世界の人間ではないから。
自分の帰る場所は神界しかないのだから。
それだけじゃない。
自分はやっぱりアーニャのことしか考えられなくて。
他の人からどれだけ好意を寄せられても、それに応えることはできない。
期待させて、後で真実を伝えて傷つけるくらいなら、他の方法を──。
「何度も申し訳ございません。困らせてしまいましたね」
アルネブも薄々感じてはいるのだろう。
それでも彼女は、マティルダの為に。
飛鳥はしっかりとアルネブの目を見つめた。
「僕のやるべきことは、いつ終わるのか分かりません。その後どうなるのか……僕の望み通りになるのかも、今はまだ全く分かりません……。だから……」
「ありがとうございます。今は、その答えで充分です」
アルネブは深々と頭を下げた。
「アルネブさん……」
「ですが、覚悟しておいてくださいね。飛鳥様。いざとなれば、マティルダ様は本気であなたを我がものにしようとなさるでしょう。それこそなりふり構わずに。そうなった時に泣き言を言ってはいけませんよ? この国を背負う者として」
アルネブの笑顔に裏はない。
ないと思うのだが、得体の知れぬ恐怖を感じ、飛鳥はぎこちなく頷いた。
その日の夜、飛鳥たちはカトルとクララに連れられ広間へ入った。
すぐ目に飛び込んできたのは豪勢な料理とお酒の数々。
そして、既に一人できあがり、長たちに絡んでいるキタルファの姿であった。
気持ちは分かるが、よく体力が続くなぁなんて飛鳥は呑気に考える。
マティルダは侍女たちと話をしていたが、飛鳥を見つけると駆け寄ってきた。
「遅かったではないか! 飛鳥よ!」
「ごめんごめん、ちょっと休み過ぎちゃって」
しかし、彼女は責めるでもなくグラスを差し出した。
「ありがとう」
「うむ! 皆、飛鳥が来たぞ! 乾杯しようではないか!」
マティルダの呼びかけで皆が集まってくる。
彼女は『音頭を取れ』とアンカーの脇腹を小突いた。
指名されたアンカーが上機嫌でグラスを高々と上げる。
「はっ! では、マティルダ様のご結婚と新王の誕生に! 乾杯!」
歓声が沸き起こり、広間を満たしていく。
そんな中一人静かにしているアクセルに気付いたアンカーはグラスを手に取り、尋ねた。
「どうした、お前さんは飲まんのか?」
「ん? あぁ、少し体調がな。俺のことは気にするな、主役はあいつらだ」
「そ、そうなの! こいつの分は私がもらうから!」
リーゼロッテがひったくるようにグラスを受け取る。
アクセルはというと、広間の隅に置かれた椅子に座り眠ってしまった。
何とかできる方法を探さないとな……。
飛鳥の笑顔が消える。
食事もできず、霊装が無ければ出歩くこともできないというのは中々想像できないし、分かったような振りをするつもりもない。
でも、自分だったらきっとすごく寂しくなると思う。
アーニャと一緒に料理を味わえなかったら、彼女の手料理が食べられなくなったら。
それはものすごく寂しくて、辛いから。
「飛鳥、どうしたのだ? ぼーっとして。早く食べないとアーニャに食べ尽くされてしまうぞ」
マティルダの声にハッとする。
彼女の視線を追うと、周りがドン引く勢いで料理を食べるアーニャの姿が。
だが、アーニャは気にしていないのか、
「美味しい〜〜〜! ねぇねぇリーゼロッテちゃん、これ何ていう料理? 今度作ってみようよ! あっ、こっちもとっても美味しいね〜!」
「分かったから、私たちの分も残しておいてね」
神界って皆こうなのかなと思われるようなやり取りをしていた。
アルネブが料理の乗った皿を手に近付いてくる。
「アーニャ様は健啖家なのですね」
「えぇ、まぁ……」
「飛鳥様もどうぞ召し上がってください」
「ありがとうございます」
皿を受け取る瞬間、アルネブが目配せした。
一口食べ、マティルダに声をかける。
「マティルダ、ちょっといいかな?」
「何だ? 改まって」
「実は……結婚の前に一度ロマノーに戻りたくて……。ダメ、かな?」
マティルダが拗ねたような態度を見せる。
「何故だ? 貴様はもうエールの王であり余の夫なのだぞ? 今日からここが貴様の家だ」
「今回の成果について皇帝陛下に報告しないとだし……。荷物とかも取ってきたいし……」
「ならば余が書状を出そう! 荷物も送ってもらえばよい!」
彼女は抱っこを強請る猫のように飛鳥の腕を掴んだ。
その時だった。
アルネブがマティルダを引き剥がし、自身の方へ向かせた。
「少しくらいならよいと思いますよ。飛鳥様がロマノーに戻られている間、マティルダ様にもやるべきことがございますし」
「やるべきこと? 何かあったか?」
「はい、それは……」
「それは……?」
二人が真剣な顔で見つめ合う。
「花嫁修行でございます!!」
「花嫁修行だと!?」
予想だにしなかった答えにマティルダは目を見開いた。
アルネブが料理を指差す。
「あの中にマティルダ様が作られたものがございますか? 飛鳥様が激しい戦闘から戻られた後、服を洗ったり破れた箇所を直せますか?」
「……………………ないし、できぬ」
たっぷりと間を置き、マティルダは答えた。
王族なんだから気にしなくてもいいとは思うが、どうやら家事は苦手なようだ。
アルネブが優しく彼女の手を握る。
「侍女たちももちろんお二人のお世話をしますが、男性というのは妻に何かしてもらうと非常に喜ぶものです。飛鳥様が戻られるまでの間に一緒に修行いたしましょう」
「修行、か」
マティルダは少しの間体を震わせていたが、キリッとした表情で叫んだ。
「飛鳥よ! 聞いての通りだ! 貴様は一度ロマノーに戻り、万事片付けて参れ! その間に、余はより良い妻になる為の修行を行う!!」
「あ、あぁ。そうさせてもらうよ……」
飛鳥が頷くと、マティルダは嬉しそうに笑った。
花嫁と聞いて再び喚き出すキタルファに、飛鳥たちに祝いの言葉を伝える長たち。
こうして夜は更けていった。