第30話 決意を胸に
「本当にお世話になりました。ありがとうございました」
飛鳥はトーマスに深々と頭を下げた。
「はい、気を付けて行ってらっしゃい」
トーマスがいつものように優しい声で返すが、表情には少し戸惑いが見える。
それにアーニャは首を傾げた。
「トーマスさん? 顔色が優れませんけど……」
「あ、いえ……」
珍しく口籠るトーマスだったが、少しして困ったように頬をかいた。
「私は周りに認めてもらえなくてもエールの人間だと思っています。先代にもマティルダ様にも本当に感謝しています。……ですが、飛鳥くんに勝ってほしい。そう願っている自分がいるのも事実です。こんなこと言ってはいけないですね」
「トーマスさん……」
その言葉を噛み締める。
彼は自分の甘い理想を笑わなかった、追い続けろと励ましてくれた。
妻を喪い、ブリギットにも心配をかけまいとずっと一人で耐え続けてきたのに。
なのに、いつも笑顔で。
自分たちを気遣ってくれて。
「僕も……エールの人にこんなこと言いにくいんですが……」
こんな人がいる世界を救う為に自分は英雄に選ばれた。
それなら──。
「必ず勝ってみせます。同盟を成してこの戦争を終わらせる。それが僕がやりたいことですから」
飛鳥がそう伝えると、トーマスは優しく頷いた。
「お兄ちゃんたち、もう帰ってこないの?」
寂しそうな顔でブリギットが尋ねる。
リーゼロッテは安心させるように彼女の頭を撫でた。
「そうね、ロマノーに帰らなきゃいけないから。でも、絶対また来るわ。その時はまた一緒に遊んでくれる?」
すると、ブリギットはまるで花が咲くように明るく笑い、包みを差し出した。
「うん! これ、お昼に食べて! お父さんと一緒に作ったの!」
「ありがとう。じゃあ、またね」
改めて礼を告げ、四人はマティルダの城を目指し歩き出した。
いよいよ、か……。
飛鳥はリーゼロッテの言葉を思い出していた。
『マティルダ・レグルスは獣人のやり方でって言ったのよね? なら方法は一つだけ。飛鳥とあいつの決闘よ』
当然のことだが、エールにも司法は存在している。
行政や立法と同じく、各集落の長たちとレグルス家に仕える三大臣によって審議され、判断が下されるらしい。
しかし、場合によっては獣人にとって最も原始的な法、互いの力をもって決めるというのだ。
その結果は絶対であり、周りが口出しすることは許されない。
マティルダは飛鳥たちの来訪をそれだけの事態だと感じたのだろう。
「うーん……」
「どしたの? アーニャ」
何か都合の悪い情報でも出てきたのだろうか。
先ほどからアーニャはずっと『神ま』とにらめっこしていた。
「あ、ごめんね。この国の地図が揃ったんだけど、マティルダさんの城までにいくつか集落を通らないといけなくて……」
「そうなんだ……。できるだけ通りたくないけど……」
歓迎される訳はないだろうし、ハマールの集落での一件が広まっていれば大事になりかねない。
アーニャと二人うんうんと唸っていると、アクセルが苛立ったように口にした。
「くだらねぇ、向かってくるならぶっ潰すだけだ」
「だからそれじゃスヴェリエと同じだって言っただろ」
「まだんな温いこと言ってんのか。いいか? 仕掛けるってことは反撃される覚悟があってのことだ。てめぇが焔王とやり合ったのだってそうだろうが。大体な、これから獅子王と決闘なんだぞ? やつとは戦えるのに他の獣人とは戦えねぇなんて一体どういう了見だ?」
「でも、獅子王と他の獣人とじゃ……」
「何も変わらねぇよ。潰さなきゃこっちが潰されるだけだ。それとも、てめぇは獅子王以外の獣人を下に見てんのか? 違うよな?」
「はーい、そこまで。私たちが喧嘩してる場合じゃないって前も言ったでしょ」
見かねたリーゼロッテがアクセルを引っ張った。
アーニャが恐る恐る提案する。
「迂回できるルートを探しますから、ちょっと待っててください……」
だが、彼女が言い終わるより先に飛鳥とアクセルは同じ方向に目を向けた。
「その必要はねぇ。出てきたらどうだ? 盗み聞きなんて趣味が悪ぃぞ?」
アクセルの手がエレメントを纏う。
すると、木の陰から一組の男女が現れた。
男の方は癖のある黒い髪に黒く切れ長の目。
服も上から下まで真っ黒で、唯一真っ白いマフラーが際立った長身痩躯の男であった。
一方、女の方は背が低く、白髪のツインテールに全身白い服。
首には黒いスヌードを着けている。
二人とも背中には立派な翼が。
顔立ちが似ているが兄妹だろうか。
男が一歩前に出る。
「初めまして。僕はカトル・アルキバ、我が王の秘書官といったところでしょうか。あなた方を迎えに参りました」
「迎え? どうして俺たちの行動を知っていた? トーマスさんの家に見張りをつけていたのか?」
「いいえ。たまたまカールソン家の近くにいた動物たちから聞いたのです。あなた方が城へ向かったと」
「そういうのを見張りって言うと思うんだけどなァ」
アクセルは不快感を露わにした。
カトルが笑う。
「まぁそう仰らず。城までの道程で消耗されるのは我が王としても不本意です。集落を通らない最短ルートをご案内しますのでついて来てください」
「分かった、案内してくれ」
彼の提案に飛鳥は即答するが、アーニャが不安そうな表情を浮かべた。
「信じていいの……? 飛鳥くん」
「うん、罠を仕掛けるような人じゃないと思う。……思いたい、かな」
「飛鳥くんがそう言うなら、分かった」
「ではこちらに」
カトルを先頭に進もうとすると、突然彼と一緒にいた女がリーゼロッテに寄ってきた。
ジッとリーゼロッテを見上げている。
「な、何よ……?」
「クララ、クララ・アルキバ。あいつの双子の姉なのだ、よろよろ」
「え? う、うん。私はリーゼロッテ。よ、よろしく」
「お前って自分でこいつらについて来てるの? こいつらのこと好きなの?」
「好っ……!?」
リーゼロッテは赤面し、引きつった声をあげた。
「す、好きな訳ないでしょ!? いきなり何言うのよ!?」
「なら無理やり連れてこられたの? おい、カトル。これは由々しきゆゆゆな事態だぞ。マティルダちゃんに言おうぜー」
「ふむ……」
「あ……! 好きじゃないってのはそういう意味じゃなくて! 私は皆の仲間よ、自分の意思で一緒にいるわ」
「ほーん……?」
「ねぇ、飛鳥くん。リーゼロッテちゃん、どうしたのかな?」
「へっ!? さ、さぁ……?」
不意にアーニャに耳打ちされ、思わず飛び上がってしまった。
耳に触れる吐息の暖かさに花のように甘い香り。
まだ心臓がドキドキしている。
大事な戦いの前に何を考えてるんだ僕は……!
リーゼロッテは恐らくアーニャに言われたことを思い出して取り乱したのだろうが、言った本人は自覚なしのようだ。
カトルが咳払いする。
「クララ。早く行きましょう、我が王がお待ちです」
しばらく歩き、森を抜けるとマティルダの城が姿を現した。
ヴィルヘルムの宮殿のような華美な装飾はないが、手入れが行き届いていて威厳を感じさせる建物だ。
問題は城の後ろに見える巨大な建築物。
円形のそれは正しく──。
「我が王は闘技場でお待ちです。望みが叶うかどうかはあなた次第ですよ、皇飛鳥」
カトルは腕を高々とあげ、そう告げた。