第28話 獣を統べる者
「あの人が、マティルダ・レグルス……!」
アーニャが身構える。
飛鳥は彼女の腕を掴んだ。
「アーニャ、ごめん。肩を」
「う、うん……。でも、大丈夫?」
「この状況じゃ寝てられないよ」
アーニャに支えられ、起き上がる。
まだマティルダたちの間に割って入れるほど回復できてはいない。
しかし、目的の人物が目の前にいるのだ。
地面に横たわったまま、という訳にもいかない。
飛鳥は二人の出方を窺った。
「無礼者ッ!!!」
突然、マティルダが吼えた。
空気がビリビリと震える。
歓声をあげていた集落の者たちも慌てて口を閉じた。
「ッ!?」
彼女は精霊術を使った訳でも、エレメントを発現させた訳でもない。
その咆哮だけで恭介を圧倒してしまった。
「貴様! 余をマティルダ・レグルスと知りながら名も名乗らぬとは、それでも戦士か!」
それに対し、のどかが闘気を放ちつつも頭を下げる。
「失礼いたしました。私はスヴェリエ王国軍所属、水城のどかと申します」
「……王国軍大将、焔恭介だ」
二人の態度にマティルダは鼻を鳴らし、今度は飛鳥たちを無言で睨み付けた。
「俺は皇飛鳥。軍人じゃないけど……訳あって、今はロマノー帝国に協力している」
「アニヤメリアといいます。レグルス陛下にお願いがあり参りました。このもふもふですっごく可愛い子はリーゼロッテちゃんで、向こうにいるのがアクセル・ローグさんです」
「……私の紹介の仕方、もうちょっと何かなかったの?」
「え? でも、だって事実だし……」
アーニャたちのやり取りを無視し、マティルダは考え込むように目を瞑る。
「スヴェリエとロマノーか。戦争中と聞いているが、この国に何の用だ?」
彼女の問いに恭介が剣を構える。
「俺たちの目的はお前だ。スヴェリエによる大陸統一の為、その命貰い受ける」
その答えにマティルダは牙を見せ笑った。
「大陸統一とは大きく出たな、焔王。しかもロマノーよりも余を脅威と見たか。分かっているではないか。だが、余一人殺したところでこの国は落ちぬぞ?」
「いいや。お前さえいなければ残りは有象無象だ、敵にすらならん」
恭介の言葉に、マティルダは一転して眉を吊り上げ唸った。
「余の民を有象無象と吐かしたか? 焔王よ」
「お前という個体は優秀だが、獣人自体は劣等種だ。同じヒトとして扱う連中の気が知れん」
マティルダは何も言わず斧を地面に叩き付けた。
「獅子王! 待て! そいつらは──」
飛鳥が叫ぶが、既にマティルダの姿はない。
次の瞬間、のどかの体が血を撒き散らしながら宙を舞った。
「は…………?」
「のどか!」
恭介が目を見張る。
だが、マティルダは既に彼を捉えていた。
「人間風情がよくもそこまで大言を吐けるものだ」
光のエレメントが恭介の体を飲み込んでいく。
「がああああああああああ!! うぅ……ぐうううううううううう!!」
逃れようと恭介の体から炎が噴き上がるがまるで歯が立たない。
そのままマティルダは彼を掴み、投げ飛ばした。
「恭、介……!」
のどかが這うようにして、恭介に手を伸ばす。
恭介は唇を噛み締めながら起き上がり、マティルダを睨み付けた。
「どうしたッ!! 余の民を愚弄した罪、その程度で贖えるものではないぞッ!!」
「のどか、一旦退くぞ……!」
恭介がのどかの腕を取る。
「逃すか!!」
マティルダが光線を放つが、既に二人の姿は消えていた。
「おのれッ!!」
と、マティルダが吐き捨てる。
そして、彼女は一度深呼吸し、飛鳥たちへ目を向けた。
「次は貴様たちだ。ロマノーも余の命を欲するか?」
「待ってくれ! 違う! 俺たちはお前に協力してほしくてここまで来たんだ!」
「協力だと?」
マティルダが警戒するように首を傾げる。
そこへ集落の者たちから怒声が浴びせられた。しかし、
「あいつらがいなくなった途端に調子に乗ってんじゃないわよ!」
リーゼロッテが怒りを露わにした。
「あんたら何を見てたの!? アクセルと飛鳥はこの集落を守る為に戦ったのよ!?」
一瞬、皆が静まり返るが──、
「黙れ! 人間に味方するのか! 裏切り者め!」
「痛っ!?」
「リーゼロッテちゃん!」
誰かが投げた石がリーゼロッテの額に当たり、地面に赤い染みを作った。
アーニャが慌てて彼女を抱き寄せる。
「すぐに手当てするから見せて!」
「う、うん……」
飛鳥も二人を守るように立ち塞がった。
だが、一番怒りを表したのは意外にもマティルダであった。
「今石を投げたのは誰だ?! この者は同族だぞ!!」
その迫力に集落の者たちは皆視線を逸らした。
マティルダがリーゼロッテの前に膝をつき、謝罪を口にする。
「すまない。すぐに医者の手配を……」
「いいわよ。アーニャに治してもらうから……」
リーゼロッテがそう言うと、マティルダは悲しそうな表情を浮かべた。
「……僕らも一度退こう」
飛鳥が促すと、アーニャたちは集落の入り口に向かって歩き出した。
トーマスもブリギットを抱きかかえ後を追う。
その時だった──。
金切り声のような耳障りな音が響き、地面が大きく揺れ始めた。
マティルダが狼狽える。
「何だこれは!?」
「これは……! アクセル!!」
「結局一緒じゃねぇか……!」
「え……?」
「何で……何でリーゼロッテが傷つかなきゃならねぇんだァ!!」
アクセルの体からドス黒いエレメントが溢れ、集落を飲み込まんと広がっていく。
飛鳥は真っ青になり飛び出した。
ここで集落の人たちを傷つけてしまったらスヴェリエと同じだ。
ロマノーとエールの同盟も潰えてしまう。
いや、それよりも──そんなことはどうだっていい。
彼らは軍人ではない。
戦えない女子供や老人もいる。
またアクセルに罪を、しかもリーゼロッテの目の前でなんてさせてはならない。
「落ち着け! 頼む……やめてくれ! アクセル!」
アクセルを止めようと踏み出すが、強大なエレメントが渦巻き近付くことさえ叶わない。
「何とか、しないと……! 来い! レーヴァテイン!」
飛来したレーヴァテインを掴むと同時に、アクセルのエレメントが巨大な顎となり襲いかかってきた。
構えも何もなしにレーヴァテインを振る。
直後、視界の端にリーゼロッテの姿が映った。
「ッ! リーゼ──」
「何やってんのよ……このバカ」
エレメントを潜り抜け、リーゼロッテがアクセルを抱きしめた。
アクセルの口から彼女の名前が零れ落ちる。
「リーゼ……ロッテ……?」
「私は大丈夫だから。……ねっ?」
触れたら壊してしまう。
そんな怯えを見せながら、アクセルはゆっくりと、慎重にリーゼロッテに触れた。
「リーゼロッテ……」
「うん、ここにいるから。私は平気よ、安心しなさい」
次第にアクセルのエレメントが消えていく。
しかし、集落の者たちは、無理もないことだが恐怖と敵意に満ちていた。
マティルダが先頭に立ち飛鳥を見据える。
アーニャたちが集落を出るまでの間、二人は瞬きもせず視線をぶつけ合っていた。
「……余に協力してほしいと言ったな?」
「あぁ」
「ならば余の城へ来るが良い。余は人間の道理など知らぬ。獣人のやり方で余を従わせてみせよ」
「……分かった」
「今はゆっくりと休め。手負いの者を討ったところで何の誉れにもならん」
飛鳥は頷き、集落を後にした。