第2話 運命の出逢い(2)
「うーん……これってこんな感じでいいのかな……?」
一枚布の服を体に巻きつけながら、飛鳥は目の前の姿見を眺めた。
『救世の英雄』──。
アニヤメリアに言われた言葉を思い出し、飛鳥は拳を握り構える。
しかし、どうも様にならない。
世界を救うなんて本当にできるんだろうか。
だけど、アニヤメリア様と一緒にいられるなら……。
状況が飲み込めず戸惑っていた飛鳥の前に現れたアニヤメリアと名乗る女。
曰く、彼女は女神で、自分は神々と共に世界を救う『救世の英雄』とやらに選ばれたらしい。
早く詳しい説明を聞きたいところだが、『まずはお着替えを』と、服を渡され別室に通された次第だ。
アニヤメリアの顔を思い出すと自然と頬が緩む。
聞きたいことは山ほどあるが、それよりもただただ彼女と話がしたくて。彼女のことを知りたくて。
飛鳥は胸の高鳴りに身を任せ部屋を後にした。
最初に寝ていた部屋に戻ると、アニヤメリアはニコリと微笑み、目の前の椅子を手で指した。
テーブルの上にはコーヒーと大量のケーキが置かれている。
「おかえりなさい。コーヒーはブラックでしたよね?」
「は、はい」
このやり取り、何か付き合いたてのカップルみたいでいいなぁ。
なんてことを考え照れるが、すぐにある疑問が頭をよぎった。
「あの、どうして僕の好みを?」
そう尋ねると、アニヤメリアは大きくはない胸を張り答えた。
「私は神様ですよ? 何でも分かるのです♪ それより、こちらへどうぞ」
飛鳥が座ると、アニヤメリアは手元の本を開き、深々とお辞儀をした。
「では改めまして、私はアニヤメリア。呼びにくいと思うのでアーニャと呼んでください。飛鳥さんが理解しやすい言葉でいうと女神の一柱です。これからよろしくお願いしますね」
見た目だけじゃなくて声や仕草もめちゃくちゃ可愛い……!
ぼーっと見惚れていると、アニヤメリア改めアーニャは不思議そうな表情を浮かべた。
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません……」
アーニャのことが知りたいのに、緊張で会話の糸口が掴めない。
飛鳥は己の人生経験の少なさを恨んだ。
とりあえず出されたコーヒーに口をつけると、キャラメルのような香ばしい香りが口いっぱいに広がった。
「美味しい……」
「良かった、リラックスしていただけたようですね。それでは、説明を始めますね」
「はいっ、よろしくお願いしますっ」
飛鳥が頭を下げると、アーニャは嬉しそうに笑った。
先ほどまでとは違い、見た目相応の無邪気な笑顔だ。
「飛鳥さんは礼儀正しいですし、神を敬う姿勢が見えてとてもいいと思います。地球の日本という国は無神論者が多いそうですが、貴方は信仰心をお持ちのようですね」
「あ、あはは……」
飛鳥は無理やり笑顔を作った。
信仰心とか正直持ち合わせていない。
神に祈るのは電車の中や会議中に腹痛を起こした時ぐらいだ。
単純にアーニャに良い印象を持たれたい、それだけだ。
「地球からいらっしゃった方と一緒になったこともありますが、中にはいきなり殴りかかってくる方もいて……。まぁ、いきなり神様です、なんて言っても信じられないですよね」
「以前ってことは、僕以外にも『救世の英雄』がいるんですか?」
「もちろん。私を含め、下位の神々は上位神様たちに選ばれた英雄と一緒に世界を救う旅をしています」
「下位? 上位神……?」
飛鳥の質問に、アーニャが指を鳴らす。
すると、彼女の横に三角形が描かれた黒板が現れた。
「まずは私たちが今いる神界についてご説明しますね。この三角形の頂点にいらっしゃるのが、この宇宙を創り、管理されている最高神様です。最高神様には『十三使徒』と呼ばれる特別な力を持った最高位の英雄たちが仕えています。そして次が上位神様。上位英雄の軍団を率いて同時に複数の世界の救済をなされています。下位神の管理と英雄の選定も上位神様方のお役目です。最後が私たち下位神、私と飛鳥さんのようにペアを組んで指定された世界の救済を行なっています」
飛鳥がふんふんと頷く。
「英雄も上位と下位に分かれているんですね」
「はい。一度世界を救った下位の英雄は上位へ昇格し、上位神様の軍団に加えられます」
「えっ!?」
身を乗り出す飛鳥に、アーニャはビクッと震えた。
飛鳥は慌てて椅子に座り直し、頭を下げる。
「す、すみません! でも……ということは、僕とアーニャ様が組むのは一度だけってことですか……?」
「そうですが……?」
何だって……!?
飛鳥は椅子の背にもたれかかり項垂れてしまった。
アーニャが心配そうに声をかける。
「あの……飛鳥さん……?」
アーニャ様と組めるのは一度きり……!? その後は会ったこともない上位神の軍団に加えられて世界救済を続けるだって? それじゃ意味がないんだよ! 僕は、アーニャ様だから……。
「……その、上位神の軍団に加わるのを拒否したらどうなりますか?」
「拒否……? えぇと、そんな話は聞いたことがないので何とも……。ごめんなさい」
「アーニャ様が謝ることじゃありません! それより、何か方法はないんですか?! 僕は、アーニャ様と、その……。貴女とずっと一緒に旅がしたいんです!」
アーニャは困惑した様子を見せた。
当然の反応だ。
出会ってまだ数時間の相手が前例にないことを、しかも必死の形相で訴えてくるなんてある種恐怖でしかない。
だが、そこはさすが歴戦の神というべきか、アーニャは少し考え、こう答えた。
「私が上位神に昇格すれば飛鳥さんを私の軍団に加えることが可能になります。それまで待っていただければ……」
「後どれくらいでアーニャ様は上位神になれるんですか?」
「すみません。それは私にも分からなくて……。数回の救済で昇格した者もいれば、数百回でも今なお下位神の者もいるので……」
「はあ?」
飛鳥は目眩を覚えた。
個人差がありすぎるだけじゃなくて、昇格にあたっての明確な基準もないだって? あり得ない! そんなの組織としておかしいだろ! うちの会社でもさすがに──。
「会社……? うん? そういえば、僕はどうして……。アーニャ様、僕は何でここに?」
アーニャが手元の本をめくる。
「覚えていらっしゃらないんですか? 飛鳥さんは交通事故で亡くなられて、その後上位神様に選ばれたからここにいるんですよ?」
「事故……?」
突然、むせ返るような血の臭いが鼻をついた。
浮かび上がる車のライト、ぼんやりと虚空を見つめる男の顔。
その車にはねられて、自分は──。
「うっ、うえ……」
全てを思い出し、飛鳥は椅子から転げ落ちた。
アーニャが慌てて駆け寄る。
「ごめんなさい! まさか記憶を無くしてたなんて……。飛鳥さんを苦しめるつもりはなかったんです、本当にごめんなさい……」
「い、いえ……。大丈夫です、アーニャ様のせいじゃありません……」
そうだ、僕は仕事の帰りに事故に遭って……。それで……そっか、やっぱりあのまま死んだのか……。
アーニャに支えられ、飛鳥は椅子に座り直した。
「驚かせてしまってすみません。もう、大丈夫です」
「本当ですか……?」
汗を拭い、飛鳥が笑う。
「はい。あ、コーヒーのおかわりをいただいてもいいですか?」
「もちろんです、どうぞ」
アーニャは安心したのか、コーヒーを注ぐとケーキを口へ運んだ。
美味しそうに食べる彼女の姿もとても可愛らしくて。
飛鳥はポツリと呟いた。
「決めました」
次のケーキを皿に取りつつ、アーニャが聞き返す。
「何か仰いましたか?」
「……僕が、貴女を上位神にしてみせます!」
ケーキが喉に詰まり、アーニャは胸を叩いた。
それから目を丸くし飛鳥を見つめる。
「飛鳥さん……」
「そうすれば、ずっと一緒にいられますよね?」
「どうしてそこまで……?」
「それは……」
いきなり好きですなんて告白はできない。
物事には順序というものがある。
何より、ここでごめんなさいなんて言われたら終わりだ。
飛鳥が言い淀んでいると、アーニャは優しく微笑んだ。
「でも、嬉しいです。そんなこと言ってもらえたのは初めてなので」
「アーニャ様……」
「本当にありがとうございます。ところでケーキはいいんですか? 遠慮しないでくださいね」
「はい。でも……」
言葉とは裏腹に、アーニャの視線はケーキに注がれていて。
しかもその視線は、じゃあいただきますと言ったらガッカリしそうなくらい熱烈なもので。
もしかしたらかなりの甘いもの好きなのかも知れない。
「僕はコーヒーだけで大丈夫です。気にせず召し上がってください」
「いいんですか!? いやぁ、おもてなしする側なのにすみません♪」
と、アーニャがはしゃぐ。
そして、テーブルいっぱいに置かれていたケーキをあっという間に全て食べ終えてしまった。
飛鳥が呆気に取られていると、アーニャは口を拭きながら本に目を落とした。
「甘いものがお好きって書かれてたのでケーキを用意したんですが、他にも何かお出しすれば良かったですね」
「いえいえ……って書かれてた? 何がですか?」
アーニャが本を机の上に置く。
更にもう一冊、同じ装丁の一回り小さな本を取り出した。
「さっき何でも知ってるって言ったんですが、実はこの『神さまニュアル』、通称『神ま』に全部記されるようになっているんです。飛鳥さんのことや救済対象の世界のことが。そこがどんな世界か分からなければ何もできないでしょう?」
「それもそうですね。ちなみにそっちの小さい本は何ですか?」
「こっちは飛鳥さんの分です。念じれば離れていても文字で会話ができます。それしかできないのが難点ですが……」
飛鳥は小さい方の本を受け取った。
パラパラとめくってみるが、何も書かれていない。
本当に通信機能だけのようだ。
「では行きましょうか。向こうに到着したら『神ま』が更新されて、その世界の情報が読めるようになります。まずは私たちに与えられた能力や世界のことを読み合わせて、拠点探しから始めましょう」
「能力?」
「はい。英雄にはそれぞれ異なる能力が与えられ、対象の世界の文明レベルや物理法則に合わせて変化するんです。総称して『アーク』と呼ばれています」
「『アーク』……」
アーニャは立ち上がると、部屋の隅へと歩を進めた。
飛鳥も慌ててそれに続く。
「あの、装備品とか食糧とかお金は?」
「それは到着するまでに用意されますからご安心を。えいっ」
アーニャが軽く床を蹴ると、足元に大きな穴が現れた。
「へっ? うわああああああああああ……」
そして二人の体は重力に従い、穴へ吸い込まれていった──。