第19話 天才と何とかは紙一重
翌日、フラナングの館から戻った飛鳥とアーニャはすぐにマリアの元を訪ねた。
二人の元気な姿を見て、マリアは胸を撫で下ろす。
そのままお茶の用意をし始めた。
「お帰りなさいませ、ご無事で何よりです。首尾はいかがでしたか?」
「とりあえずは成功です、詳しい話は報告書で。ところで、ソフィア・リストさんという人に会いたいんですが知ってますか?」
飛鳥の口から出た名前が意外だったのか、マリアはお茶を注ぐ手を止めた。
「リスト主任技師ですか? 彼女なら開発局の自室にいると思いますが……」
やったと拳を握る。
こんなに早く見つかるとは。
軍関係者なら話も通じやすいだろう。
「あの、彼女のことをどこで……?」
「ちょっと噂で。開発局の場所を教えてもらえませんか?」
「はぁ、分かりました」
マリアは簡単な地図を描き、飛鳥に渡した。
「ありがとうございます。行こう、アーニャ」
「うん! マリアさん、ありがとうございます!」
開発局に向かいながら、アーニャが嬉しそうに笑う。
「すぐに見つかって良かったね!」
「だね、リストさんってどんな人なんだろう? リーゼロッテは天才霊装技師って言ってたけど」
「ん〜。リーゼロッテちゃんみたいにモフモフだといいな〜」
気になるのはそこではないのだが。
余程獣人の耳や尻尾が気に入ったのか、アーニャはにへっと顔を緩め、感触を思い出すように指を動かす。
この世界、いや、神殿で初めて会った時から今日まで彼女の笑顔に癒され、力をもらってきた。
でも、ここまで緩みきっているのは初めてかも知れない。
アーニャを横目で眺め、飛鳥も笑みを浮かべる。
「飛鳥くん、どうかした?」
「ううん、何でもないよ」
たまにはこういう時間も必要だ。
いつも気を張っていては肝心な時に力を出し切れない。
そんなことを考えながらアーニャを見ていると、彼女は急にハッとした表情で飛鳥の腕を掴んだ。
「飛鳥くん、凄いこと思い出しちゃったんだけど……!」
「ど、どうしたの……?」
珍しく真剣な顔つきで迫るアーニャに、飛鳥も固唾を吞む。
何かトラブルが起きたのか。
それとも『神ま』に重大な更新があったのか。
「獣人って全身変化できるんだよね……? ということは、完全に猫になったリーゼロッテちゃんを抱っこすることもできるってこと……!?」
「……そう、かもね。……あっ」
『救世の旅』に関することだと思っていただけに、申し訳なくなるぐらい素っ気ない返事をしてしまった。
慌てて言い直そうとするが時既に遅し。
アーニャが寂しそうに手を下ろす。
「飛鳥くん? もしかして引いちゃった……?」
「ごめん! 違う! そうじゃなくて! もっと大変な……これも違うな。何か新しい情報が入ったのかなって思って! アーニャって動物が大好きなんだね」
すると、彼女は窓の外を見つめ、
「だって、下位神は神殿で動物飼っちゃいけないから……」
と、心底残念そうに俯いた。
動物飼っちゃダメって……賃貸じゃないんだから……。……ん? 待てよ?
ある考えが頭を過り、飛鳥は口元に手を当てた。
呼吸が浅くなり、顔色も段々と青ざめていく。
アーニャはびっくりし、飛鳥の背中をさすった。
「飛鳥くん! 顔色悪いけど大丈夫?!」
こんなに動物好きで獣人も気に入ったってことは、獣人を好きになる可能性があるってことか……!? それは困る!! 絶対に嫌だ!! せっかく神界に相手がいないって安心してたのに……!!
「あの、飛鳥くん……?」
アーニャが再び声をかける。
飛鳥は深呼吸し、真剣な表情で顔を上げた。
いや、何を焦ってるんだ僕は……。そうならないように、アーニャに好きになってもらえるように世界を救うって決めたじゃないか! 弱気になるな飛鳥!
「ごめん、大丈夫だよ。早くリストさんのところへ行こう」
「それならいいけど……」
そして、二人はソフィアの部屋へやってきた。
扉をノックし、呼びかける。
「すみません。リストさん、いらっしゃいますか?」
しかし、何の反応もない。
「留守なのかな?」
「うーん、どうだろう……」
もう一度ノックしてみるが、やはり反応はない。
だが、取っ手に手をかけるとカチャっと音がし扉が開いた。
「あれ? 開いてる……」
少し考えた後、飛鳥は思い切って足を踏み入れた。
アーニャが慌てて飛鳥の腕を掴む。
「ダ、ダメだよ飛鳥くん! 勝手に入っちゃ!」
「ちょっと見てみるだけだから、ねっ?」
制止するアーニャをなだめ、部屋に入った飛鳥は顔をしかめた。
興味があったのか、アーニャも飛鳥の後ろから部屋を覗き込み『うわぁ……』と声をあげる。
部屋の中は棚に入りきらない本が床に堆く積まれ、そこら中に書類が散らばっていて足の踏み場もなかった。
おまけに服は脱ぎ散らかされ、使ったままの食器がテーブルの上に放置されている。
書類と服を拾いながら進むと、部屋の隅に置かれたソファからだらりと腕が出ているのが見えた。
「ん? あそこにいるのがリストさんじゃない?」
指差しながら近づき、飛鳥は飛び上がるほどの衝撃を受けた。
ソファでは寝顔だけでもハッとするほど若く美しい獣人の女が寝息を立てていた。
しかし、残念なことに手入れされていない桃色の長い髪はボサボサで、麦わら色の耳と尻尾も傷んでいる。
おまけにこんな時期だというのに上はシャツしか着ておらず、そのシャツのボタンも今にも弾け飛ばんと悲鳴をあげていた。
更に、下半身はパンツ一枚だけで。
「えっと……」
刺激が強すぎる見た目に飛鳥の顔が真っ赤になる。
そこへキレのあるアーニャの右フックが飛んできた。
「あ、飛鳥くんは見ちゃダメー!」
「いったあ!?」
「ご、ごめんなさい! でも……わ、私がいいって言うまで飛鳥くんは部屋で待ってて!」
アーニャも顔を真っ赤にし、女を隠すように両腕をバタつかせる。
飛鳥は急いで部屋から飛び出した。
それから一時間ほど経っただろうか。
『神ま』にアーニャからのメッセージが浮かび上がり、飛鳥はソフィアの部屋に戻った。
「さっきはごめんね、殴っちゃって……。入って」
申し訳なさそうに上目遣いするアーニャに飛鳥は首を振る。
部屋に入ると、先ほどの女が頬杖をつきながらくつろいでいた。
一瞬胸元に目がいってしまい、視線を逸らしつつ向かいの椅子に腰を下ろす。
アーニャはというと、ブラッシングもとい髪の手入れをし始めた。
「あの、貴女がソフィア・リスト主任技師……ですか?」
なるべく胸を見ないように気をつけながら女に問いかける。
「そうですよぉ。ソフィアって呼んでください〜。ところでぇ、お二人はどちら様ですかぁ?」
リーゼロッテが帝都を離れたのが八年前。
その頃から既にソフィアは天才と評され、今では開発局の主任技師だ。
なのに、見た目はアーニャとほとんど変わらない。
一体いくつなんだろうなんて失礼なことを考えながら名乗った。
「僕は皇飛鳥といいます。彼女は妻のアーニャです」
「さっきは、その……いきなり浴槽に放り込んですみませんでした」
アーニャが照れ笑いを浮かべるが、ソフィアはさほど気にしていないのか、気持ちよさそうに身を委ねている。
「いえいえ〜。洗ってもらってありがたいですよぉ。それでぇ、ご用件は何でしょうかぁ?」
「ソフィアさんに作ってもらいたい霊装があるんです。この精霊術を組み込んだものなんですが……」
数枚の紙を取り出し、机に並べる。
ソフィアは欠伸をしながらそれらを眺め、眉間にしわを寄せた。
彼女の様子に、アーニャと二人肩を落とす。
だが、それはソフィアに対して失礼だしお門違いというものだ。
アクセルにエレメントを供給している精霊術はかなり複雑で、軍で使用されている量産品を造るのとは訳が違う。
しかし、ソフィアでも造れないとなると、他の手立てを考える必要がある。
どうしようかと悩んでいると、彼女はもう一度欠伸をした。
「中々に難しいですねぇ、結構時間かかりますよぉ?」
「え? 作れるんですか?」
「はい〜、これぐらいであればぁ」
当たり前のように答えるソフィアに、飛鳥もアーニャも呆気に取られてしまった。
「ち、ちなみにどれくらいかかりそうですか?」
アーニャが尋ねると、ソフィアは思案するように首を傾げた。
「ん〜……三、四日はかかるかとぉ」
「たったそれだけですか!?」
「簡単なものなら半日もいらないんですけどぉ、ここまでの物になるとそれくらいはかかりますねぇ」
ソフィアは相変わらずのんびりとした調子だ。
「それでもいいですかぁ?」
「も、もちろんです! 思ってたよりずっと早いので! ところで、料金なんですが……」
「お金はいらないですよぉ。その代わりぃ、飛鳥さんでしたっけぇ。貴方の体で払ってください〜」
そう言って、ソフィアが身を乗り出す。
「は? 僕の体?」
「ダ、ダメですそんなの!! 飛鳥くんの体でなんて……」
突然大声を出され、飛鳥は身構えた。
アーニャの顔が赤くなる。
「あ、ごめんなさい……。大声出して……」
しかし、ソフィアは何も言わず立ち上がり、飛鳥の顔を引き寄せた。
彼女の美しさと石鹸の香りに心臓が飛び跳ねる。
アーニャは短い悲鳴をあげた。
「その眼帯の下ってぇ、『精霊眼』だったりしますかぁ?」
「そうですけど……。どうして分かったんですか?」
「何となくぅ、じーっと視られてる感じがしたというかぁ」
獣人だし、野生の勘というやつだろうか。
ソフィアは息がかかるほど飛鳥の右目に顔を近づけた。
アーニャがハラハラしながらそれを見守っている。
「『精霊眼』って保有者が少ないじゃないですかぁ。サンプルを見つけるだけでも一苦労でぇ、調べさせてほしいんですぅ」
密着され、柔らかな感触とぬくもりが伝わってくる。
慣れない状況に頭がくらくらし、熱いものが込み上げてきた。
「し、調べるのはいいんですけど、近っ……!」
「わぁ、ありがとうございますぅ」
飛鳥が承諾すると、ソフィアは『えへへ〜』と笑いソファに戻っていった。
アーニャもホッと一息つく。
「ではぁ、完成したら届けますねぇ」
「はい、よろしくお願いします……」
だが、そんな言葉とは反対に、彼女は再び寝息を立て始めた。