第15話 トリックスター(3)
飛鳥は勢いよく走り出した。
エレメントで強化された脚力によって床石がひび割れる。
文字通り雷の如く、アクセルまでの距離を一気に詰めた。
しかし、彼は笑みを崩さない。
アクセルの体から発せられたエレメントがいくつもの小さな球体となり浮かび上がる。
飛鳥は立ち止まらず球体の群れに飛び込んだ。
突如、球体が膨れ上がり空間を捻じ曲げる。
だが、その全てをギリギリでかわしてみせた。
「あぁ?」
意外だったのか、アクセルの顔がほんの僅かだが歪む。
大地のエレメント──重力操作による攻撃術式。
その威力も範囲も既に『精霊眼』が捉えていた。
「──ッ!」
勢いを殺さず、真横へ飛ぶ。
次の瞬間、床を突き破り、植物の根がまるで鞭のように飛び出してきた。
根を切り裂き、アクセルの首目がけてレーヴァテインを振るう。
「はあっ!」
「無駄だ」
後数センチというところで、急にレーヴァテインの重量が何倍にも増した。
すぐにレーヴァテインを手放し拳を握る。
そして、アクセルの顔面を殴り抜いた。
「ぐうっ!?」
アクセルの体が大きく仰け反る。
「まだだ!」
飛鳥は回し蹴りを放とうと体を捻るが──、
「くそっ!」
『精霊眼』が再び重力操作を捉え、後ろに飛んだ。
ほぼ同時に床に大きなクレーターができる。
飛鳥の額に冷や汗が浮かんだ。
『精霊眼』がなければ今頃床のシミになっていただろう。
「来い! レーヴァテイン!」
レーヴァテインが床から浮き上がり手の中へ戻ってきた。
アクセルの出方を窺いながら構える。
「ふむ……」
飛鳥を余所に、アクセルは考え込むように頭をかいた。
今のところエレメントの流れに変化は見られない。
しかし、何か思いついたのかアクセルは再び口の端を吊り上げた。
「……ん? あぁ、待たせて悪かったな。それよりお前、本気で殺しにきたな。俺じゃなきゃ死んでるぞ? そんなにその女が大事か?」
アクセルがアーニャを顎で指した。
頭にカッと血が昇る。
「当たり前だろ! アーニャは……!」
一足で間合いに飛び込みレーヴァテインを振り下ろした。
「将来俺の妻になる人だ!!」
その言葉に今度こそアクセルは腹を抱え笑い出した。
よほど面白いのか、咳き込み顔を真っ赤にしている。
「そうかよ。だったら──」
レーヴァテインが空を斬り、飛鳥は愕然とした。
「何っ!?」
「箱にでも入れて鍵をかけておくんだなァ!!」
背後から聞こえたアクセルの声に飛鳥は振り向いた、筈だった。
「がっ……!?」
景色が変わる。
これまでに感じたことのない、鉄塊にでも殴りつけられたかのような衝撃を受け、飛鳥は壁に激突した。
「かっ……は、あっ……!」
呼吸もままならない。
今、のは……!? 一体何が起きて……!?
全身が痺れ脳が思考を拒絶する。
そこへ足音が一つ。
飛鳥は上下も分からない状態で必死に体を動かした。
アクセルが飛鳥の髪を掴み、『精霊眼』を覗き込む。
「離……せ……!」
「やっぱ、相手の精霊術の分析ってところか。てめぇの『精霊眼』の力は」
彼の言葉に呼吸が止まる。
そんな飛鳥を見て、アクセルが嘲笑った。
「何だ? そんなに驚くようなことかよ。単純な話だ、てめぇは俺の精霊術を起動する寸前に避けてみせた。だが、俺の動きにはついてこれてねぇ。未来予知の『精霊眼』──なんてもんがあるかは知らねぇが、それに似た力ならさっきのも避けてるだろ?」
自身の鼓動が、やたらと大きく聞こえる。
「もっと言うなら一発食らってみて分かったよ。てめぇは良くて第七門だ。普通ならとっくに死んでんだよ」
見抜かれた──。
たったこれだけの戦闘で『精霊眼』の力を見破ったのか? そこまで観察しながら戦って、それでも笑う余裕があるなんて……。これが第八門、天上の精霊使い……!
──勝てない。
こんな男に、どうやって勝てって言うんだ……。
絶望が心を黒く塗りつぶしていく。
飛鳥は歯を食いしばり、拳を握りしめた。
……まただ。また俺のせいで、アーニャを危険な目に遭わせてしまった……。何が『救世の英雄』だ。俺は……僕、は……。
「さて」
アクセルの声に背筋が凍りつく。
「もういいだろう。てめぇらの首がヴィルヘルム・ヒルデブラントへの返答だ」
『精霊眼』が新たな情報を読み取り、刺すような頭痛に襲われる。
何で、どうしてこいつ……!?
アクセルの腕を氷が包み込んだ。
巨大で鋭い剣のように変化していく。
飛鳥は困惑した。
七つの属性に分けられているエレメントにはいくつかの特徴がある。
その内の一つが、扱える属性の数だ。
エレメントは一人一属性。複数の属性を扱うことはできない。
飛鳥は雷だけ、アーニャは光だけ。
いかに英雄と女神と言えど、これを覆すことは不可能だ。
まさか、これがこいつの『特異能力』なのか……?
『精霊眼』が示した答えはノー。
更に情報が刻み込まれていくが、目を通す余裕がない。
アクセルは憐れむように告げた。
「安心しろ。俺はこう見えて優しいんでな。女を先に仕留めてお前の心を砕くとか、そういう趣味はない。二人とも苦しまないよう一瞬で殺してやる」
──嫌だ。
ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるな!! せめて、アーニャだけでも逃さないと……!!
「ちょっと! まだ動いちゃダメだってば!」
そこへリーゼロッテの声が響いた。
床を這い、飛鳥に向かって必死に手を伸ばすアーニャの体を押さえつけている。
飛鳥はその光景を呆然と見つめた。
「アーニャ……」
「私、が……」
アーニャの顔はまだ青白いままだ。
それでも、彼女の瞳は輝きを失っていなかった。
「私には、治癒の精霊術しか……ないから……。私が、飛鳥くんを……癒してあげないと……」
「そんな状態じゃ無理だって言ってるでしょ!? あーもう! アクセル! 半分、いやほとんど全部あんたのせいだからね!? いい加減にしなさいよ!」
リーゼロッテに怒鳴りつけられ、アクセルはばつが悪そうに返事した。
「いや、あの……。先に蹴られたのは俺なんですが……」
その時だった。
「ん?」
レーヴァテインがアクセルの左胸を貫いた。
「アクセルッ!!」
リーゼロッテが悲鳴をあげる。
「……かよ」
「あ?」
「こんなところで終われるかよ!!」
飛鳥の感情に呼応するように『精霊眼』の輝きが増していく。
雷のエレメントを纏い、レーヴァテインが黄金に輝いた。
そうだ、こんなところで死んでたまるか! アーニャと添い遂げる、そう決めたじゃないか!!
だが、アクセルは真顔のまま振り向いた。
「はっ……!?」
心臓を貫いたんだぞ……!? 何で……!?
青ざめる飛鳥を見て、アクセルが嬉しそうに笑う。
「ここまで俺と戦えたのはお前が初めてだ。でも残念だったなぁ。そっちはハズレだ」
『精霊眼』が映した映像に、飛鳥は吐き気を覚え口を押さえた。
何だよこれ……。こいつは本当に人間なのか……!?
アクセルの傷口から黒い帯のようなものが飛び出した。
慌てて腕を引くが間に合わない。
あっという間にレーヴァテインの刃を伝い、飛鳥の腕を絡め取ってしまった。
「今度は闇の……!」
帯の先端が腕を刺し、エレメントが体の中に流れ込んでくる。
館中に、飛鳥の悲鳴が響きわたった。