第14話 トリックスター(2)
帝都を発ってから半日。
途中でエミリアに渡された弁当で休憩を取り、二人はフラナングの館へ着いた。
アーニャは弁当が足りなかったのか、無事に済んだらご飯分けてもらおうかなんて話をしていたが、今は緊張からか縮こまっている。
「い、いよいよだね……。どんな人なんだろう……」
「事件から八年も経ってるし、いきなり襲ってくるようなことはないと思いたいけど……」
と、眼帯を取り外す。
多少でも中の様子が窺えれば儲けものだ。こちらの心持ちも変わってくる。
飛鳥は『精霊眼』に力を込めた。
しかし、次の瞬間──。
「あがっ!? な、これ……は……がああああああああああああああああああああああ!!?」
叫び声をあげ地面に倒れ込む。
そして、何かから逃れるように身をよじった。
「飛鳥くん!? どうしたの!? しっかりして! 飛鳥くん!」
アーニャの声に反応する余裕がない。
フラナングの館を覆う結界、厳密には百の精霊術で編み上げられた網のようなものだが、それらを構成する術式の情報が『精霊眼』を通して押し寄せてきた。
一つ一つの術式の効果、範囲、発動条件──その他様々な情報が言語と数値に変換され、脳に直接ペンを走らせるかのように無理やり刻み込まれていく。
情報の波を必死にコントロールしようとするが叶わない。
飛鳥の意思を無視し、『精霊眼』は次々に情報を取り込んでいった。
痛い、痛い……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!!!
文字通り頭が割れるような痛みに襲われ意識が飛びそうになるが、それも許してもらえない。
目を逸らすなと言わんばかりに、意識はどんどんクリアになっていく。
どうにか痛みを誤魔化そうと、呻き、体を地面に叩きつけた。
「やめて、くれ……。もう……やめ……」
どれだけの時間が経っただろうか。
百の精霊術、その全ての情報を取り込み終えた途端、痛みがフッと消える。
「い、今……のは……?」
汗だくになった体を起こそうと地面に手をつくと、そこへ温かい液体が落ちてきた。
顔を上げると、アーニャが顔をぐしゃぐしゃにし、大粒の涙を流している。
「アーニャ……」
だが、アーニャは何も言わず飛鳥を抱きしめた。
涙は止まらず嗚咽を漏らしている。
飛鳥は慌てて彼女の体を支えた。
「ア、アーニャっ。汗で汚いから、アーニャの体が──」
「何言ってるの!? そんなことどうでもいいよ! それより一体何があったの!?」
「ここの精霊術に『精霊眼』が勝手に反応して……。で、でも、もう大丈夫だから……。安心して……」
アーニャはまだ飛鳥の顔を見つめている。
しかし、しばらくして安心したのか、彼女の体から力が抜けもたれかかってきた。
「良かった……。本当に、良かった……」
笑顔が戻るが、アーニャはまだ涙を流している。
彼女の涙を止めたくて、あえて冗談めかした態度を取った。
「ほ、本当にもう大丈夫だから安心して! それにほら、僕は神様に選ばれた『救世の英雄』だよ? この世界を救うまではそう簡単に──」
その時、突然視界が変わる。
数瞬して、頰を打たれたのだと気づいた。
「……じゃない」
「え……?」
「英雄だから心配してるんじゃない!!」
アーニャは拳を握り、唇を噛みしめている。
「私は飛鳥くんが英雄だから大事なんじゃない……! こんなにも私のことを信じてくれて、一緒にいてくれて、私を上位神にするとまで言ってくれて……。飛鳥くんだから大事なの! だからそんな風に言わないで!!」
「ご、ごめん……」
飛鳥が項垂れると、アーニャはハッとし両手を振った。
「ご、ごめんなさい! 何でこんなこと言っちゃったんだろう……本当に、ごめんなさい」
「ううん! アーニャは何も悪くないよ! 僕の方こそ、ごめん……」
改めて頭を下げると、アーニャはいつもの優しい微笑みを見せた。
「今の私には飛鳥くんしかいないんだから、もうそんなこと言わないでね。約束だよ?」
「う、うん……」
…………ん? 『今の私には飛鳥くんしかいない』???
「アーニャ。聞きたいことがあるんだけど……」
「なぁに?」
いや待て、本当にここで聞いていいのか? この後最強クラスの精霊使いと下手したら戦うんだぞ? 負けたら確実に死ぬ。そんな戦いを前に聞いて『うん、いるよ』とか返ってきたらどうするんだ? 戦えるのか? でも……。でも、だからこそ……!
「えっと……答えたくなかったらごめんだけど、アーニャって、彼氏とか、夫って……いるの……?」
その質問にアーニャはしばらくキョトンとしていたが、急に真っ赤になり照れたように笑った。
「い、いないよそんなの! 私はまだ修行中の下位神だし、そんなこと考えたこともないよ!」
「本当に? 本当にいないの? 好きな人も? 上位神って上司みたいなものだよね? お見合いとか勧められたりしてない?」
アーニャが若干引いたような仕草をする。当然の反応だ。
「ど、どうしたの飛鳥くん……。本当にいません。飛鳥くんに嘘は言わないよ」
後半はアーニャも真剣な表情で正座し、はっきりと述べた。
思わずガッツポーズするのを見て、アーニャがビクッと飛び退く。
やったああああああああああああああああああああ!!! 神は僕を見捨てなかった! いや宇宙一可愛い女神様が今目の前にいるけど! 英雄と神は一蓮托生! 運命共同体! つまり僕にはチャンスしかない! アーニャが上位神になったら結婚して軍団にも入って! 最高だ! 完璧だ! 未来は明るいぞ!
「あの、本当に大丈夫……? やっぱりまだどこか痛むんじゃ……」
「ううん」
飛鳥は服とマントを整え、アーニャに向き合った。
「大丈夫! さぁ、アクセル・ローグを連れて帝都に戻ろう!」
「う、うん……」
念の為、アーニャには後ろからついて来てもらうことにした。
取り込んだ情報によれば、この結界はアクセル・ローグ以外には反応しないらしいが、万が一があってはいけない。
入り口まであと少しのところで、近くの茂みが音を立てた。
反射的に雷撃を放つ。
すると『ぎゃっ!?』と短い悲鳴が聞こえ、茂みから野草が入ったカゴを抱えた獣人の女が、辺りの様子を窺いながらゆっくりと出てきた。
ラベンダー色の長い髪に、帝都の人たちと同じ羊毛のワンピース。
目鼻立ちははっきりとしているが、今はそのくりっとした瞳に怯えが浮かんでいる。
そして、頭にはメッシュと勘違いするような金色の垂れ耳と、お尻にも同じ色の太くて長い尻尾が。
その女は飛鳥たちと目が合うとカゴを抱える手に力を入れ、いつでも逃げられるように重心を下げた。
パッと見たところ怪我はない。
「えぇと……僕らは怪しい者じゃなくて……」
我ながら説得力の無さに口籠もってしまった。
いきなり攻撃してきた相手を信じろと言う方が無理がある。
「……あんたたち、何? この辺は一般人は立ち入り禁止よ」
警戒しながら女が口を開く。
飛鳥は封筒を取り出し掲げてみせた。
「僕らは皇帝陛下の命でアクセル・ローグって人に会いに来たんだ。この館にいるんだろ?」
「あいつに? ふんっ、今更処刑する気になったってこと?」
女は牙を剥き、二人を睨みつける。
どうやら余計に警戒心を煽ってしまったようだ。
「そうじゃなくて……。アーニャ、アーニャからも何か──」
「可愛い……!!」
「へっ?」
隣を見ると、アーニャは目をキラキラと輝かせている。
彼女は女を見つめたまま飛鳥の服を引っ張った。
「ねぇねぇ飛鳥くん。あの子、犬かな? 狐かな?」
「え? んー……狸って可能性も……」
「猫よ!! 私は猫人族のリーゼロッテ! 犬だの狸だの失礼な奴らね……」
「猫だって! にゃーにゃー♪ リーゼロッテちゃんこんにちは! 私はアニヤメリア、アーニャって呼んでね!」
と、アーニャが興奮した様子でジリジリとリーゼロッテに近づいていく。
反対にリーゼロッテは一歩ずつ距離を取り始めた。
「な、何なのよこいつ……。ちょっと、あんたの連れでしょ? 何とかしてよ」
「ごめん、可愛いから我慢してほしい」
「はぁ?! ちょ、ちょっと待って……!」
アーニャって動物好きだったのかぁ。神界って動物園デートできるのかな?
「尻尾……! モフモフ……モフモフ……!!」
アーニャは両手を大きく広げにじり寄っていく。
リーゼロッテは恐怖で顔を引きつらせ、一気に館の扉へ駆け寄った。
「本当に待って! 目が怖いんだけど!? あんたらアクセルに会いに来たんでしょ!?」
「はっ!? そうだったね! さっき一般人は立ち入り禁止って言ってたけど、リーゼロッテちゃんは……?」
アーニャの質問に、リーゼロッテは心底嫌そうに口にした。
「私は世話役みたいな感じよ。最悪なことにね」
リーゼロッテが扉の取っ手を握る。
「はいどうぞ……と、その前に、処刑じゃないなら用件は何?」
「第八門の精霊使いとして軍に加わってほしい。詳しくはこれに書いてある」
「ふーん。あいつを使いたいなんてどういう風の吹き回し? まぁ私には関係ないけど」
そのまま扉を開け、さっさと中へ入ってしまった。
飛鳥たちも続く。
「おーい! アクセルー! あんたにお客さんよー!」
エントランスにリーゼロッテの声が響く。
だが、何の反応もない。
「あれ? 寝てんのかな?」
「いや……」
飛鳥の目つきが鋭くなる。
マントを翻しレーヴァテインに手をかけた。
「いえ、聞こえてますよ。リーゼロッテさん」
三人のすぐ後ろで低い男の声が響く。
飛鳥は声の方目がけレーヴァテインを振り下ろした。
「ん? 不思議な味だな……」
しかし、その男はレーヴァテインの刃のすぐ横、アーニャの目の前に立っていた。
眼鏡をかけ、左右非対称の黒い髪から覗く瞳で興味深げに彼女を見つめている。
「はあっ!」
飛鳥は雷を纏い蹴りを叩き込んだ。
男の体が勢いよく壁に突き刺さる。
リーゼロッテは驚き飛び上がった。
「いきなり何すんのよ!? あいつがあんたらが探してるアクセルなんだけど!? 徴兵に来たんじゃないの!?」
「そうだよ飛鳥……くん……あれ? な、これ……」
「アーニャ!!」
崩れ落ちるアーニャの体を抱きかかえる。
アーニャの顔は青白くなり、呼吸も浅い。
「リーゼロッテ、アーニャに治癒の精霊術を頼む」
「む、無理よ! 私は精霊使いじゃないもの!」
「ならその野草を煎じて飲ませてくれ。何もしないよりはましだ」
「わ、分かったわ!」
リーゼロッテは戸惑いつつもアーニャを引きずり飛鳥から離れた。
「人間とも獣人とも違う……。お前ら、何者だ?」
服の汚れを払いながら男が、アクセル・ローグが首を傾げる。
飛鳥はレーヴァテインを突きつけた。
「これから死ぬ相手に答える必要はない」
リーゼロッテが叫ぶ。
「いやいやいやいや! さっきと言ってること違うじゃん!」
「リーゼロッテさんの言う通りだ。さっき徴兵がどうのと聞こえたが、一体何がしたいんだ? お前」
「黙れ。アーニャを傷つけた罰だ。お前は殺す」
飛鳥の瞳は冷たく、明確な殺意が宿っている。
この世界に来て初めて、飛鳥は自らの意思で剣を手に取った。
「そうか、分かったよ。お前のことはよく分からんが用件はシンプルでいい。但し……死んでも文句は言うなよ?」
アクセルが笑う。
心底楽しそうに、愉快そうに笑っている。
アクセルの体からエレメントが噴き上がったのを合図に、飛鳥は勢いよく向かっていった。