第13話 トリックスター
「大量殺人犯……!? この国の第八門が……!?」
飛鳥は緊張した面持ちで聞き返した。
マリアが頷く。
内容はこうだ。
八年前、まだヴィルヘルムが帝位に就く前の話。
当時民間人だったアクセル・ローグは精霊使いとしての高い適正が認められ入隊、能力開発実験に参加していたらしい。
だが、実験中に突如暴れ出し、一緒に参加していた被験者と技術開発局員を殺害。
その後、軍施設から逃走し、逮捕されるまでの僅か半年ほどの間に、追手の軍人と民間人合わせて百名以上の犠牲者を出した。
通常であれば極刑以外あり得ない規模だが、この国唯一の第八門の精霊使いということもあり、先帝の命の下、フラナングの館に幽閉されている。
型の決まっていない格闘術と精霊術を組み合わせた戦術を駆使する姿から、管理上の名称は『トリックスター』──。
会議室の中は静まり返っている。
飛鳥は顔に手を当てた。
ダメだ、そんなやつに頼ることはできない……!
下手をすれば切り札ではなく、再びロマノーの脅威になってしまう諸刃の剣だ。
皆が語りたがらない理由が理解できた。
「すみません、変なことを言って……。さっきの言葉は忘れてください……」
謝罪すると、フィリップが応じた。
「英雄殿が気にする必要はない。この件に関しては我々も知らないことが多いのでな」
「その通りだ。別の方法を考えるとしよう」
クラウスも同意する。
しかし、マリアが改めて述べた。
「私は英雄殿の案に賛成です。戦力は多いに越したことはありません」
「黙れッ!! 立場を弁えろ!! 大佐!!」
クラウスが怒鳴りつけるが、マリアは一歩も引かない。
「実力も証明済みです。今頃将官になっていたであろう実力者たちを数多く退けたのですよ? 徴用するメリットの方が大きいと思いますが」
フィリップとクラウス、二人は苦々しげに眉を寄せた。
マリアが畳みかける。
「いずれにせよ、陛下と元帥閣下に判断を仰ぐべきかと」
「勝手にしろ!!」
クラウスは興奮しながら会議室を出ていってしまった。
他の者たちも席を立つ。
「忠告はしたぞ、大佐」
「はっ、感謝いたします」
それだけ言い残し、フィリップもその場を後にした。
残ったのは飛鳥とアーニャ、そしてアルヴェーン姉妹のみ。
改めて謝ろうとすると、マリアが手招きした。
「英雄殿、アニヤメリアさん、早速陛下にお伺いを立てに行きましょうか」
「でも、そんな犯罪者を呼び戻す訳には……。軍議もめちゃくちゃにしちゃったし……」
「にゃはは♪ そっちは気にしないで♪」
肩を落としていると、エミリアが珍しく慰めるように笑う。
「最近ずっとこんな感じだったからさ。本気で怒ってるのは中将たちだけだと思うよ」
「姉さんの言う通りです。ルンド中将たちの顔を見ましたか?」
そう言いながらマリアは廊下へ出た。
『神ま』と睨めっこするアーニャの背中を押しながら答える。
「かなり、怒ってましたよね……」
「それだけではありません」
と、マリア。
「お二人が今の地位にいるのは、ある意味ではアクセル・ローグのおかげと言えるかも知れません。当時幅をきかせていた派閥を彼が返り討ちにした為に上の椅子が空いたんですから」
なるほど。言外にそれを感じたから、二人は必要以上に怒りを見せたらしい。
ヴィルヘルムの執務室の前まで行くと、護衛の兵がこう告げた。
「皆様、お待ちしておりました。お入りください」
「待ってた?」
飛鳥は首を傾げる。
事情を察したのか、エミリアが楽しげに肩を揺らした。
「先手を打たれちゃったね〜。まぁ何か変わる訳じゃないけど♪」
執務室に入り、飛鳥とアーニャは目を見張った。
ヴィルヘルムの前には地震が来たら生き埋めになるんじゃないかと心配になるほど大量の書類がうずたかく積まれていた。
書類の向こうからヴィルヘルムの声が響く。
「そろそろ来る頃だと思っていたぞ。ルンドとオークランスから話は聞いた。絶対にお前たちの言うことを聞かないようにと念を押されたよ」
何だか愉快そうだ。
マリアが一歩進み出た。
「そうでしたか。では陛下、ご判断いただきたく存じます」
書類を脇に寄せ、ヴィルヘルムが顔を覗かせる。
飛鳥は待ったをかけた。
「お待ちください、陛下。提案しておいて申し訳ないのですが、アクセル・ローグについては」
「あぁ、いいんじゃないか? この件は飛鳥に任せよう、頼んだぞ」
「やっぱりそうですよね、分かりました──ってはぁ!? いいんですか!? だって相手は……」
飛鳥たちを安心させるように、ヴィルヘルムが笑う。
「そう、この国始まって以来の凶悪犯罪者だ。戦時ならともかく、平時にこれだけの犠牲者を出した者はいない。でも、だからこそだ」
「どういうことでしょうか……?」
「今が使い時ってことだよ。戦場に放ってさえしまえば後はどうとでもなる。この八年であいつに使った国費分ぐらいは働いてもらわないとな」
拍子抜けするほどにあっさりと決まってしまい、飛鳥は違和感を覚えた。
皇帝になる前、ヴィルヘルムも軍にいたと聞く。
アクセル・ローグの件に直接関わってはいないだろうが、当時の状況は知っている筈だ。
なのに、彼の言葉からは大丈夫だという確信が感じられて。
ヴィルヘルムは椅子から立ち上がり、飛鳥の肩に手を置いた。
「さすがは飛鳥だ。アクセル・ローグを使おうなんて他のやつじゃ絶対に出てこない考えだよ。これからも何かあったら遠慮なく言ってくれ」
ヴィルヘルムの笑顔は初めて会った時と同じだ。態度も口調も声色も、全部同じなのに。
何故だか胸がざわつく。
本当にこれでいいんだろうか。取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないか。
同じ疑問が何度も何度も頭の中を巡る。
「軍部には俺から伝えておく。いつでも出発できるよう準備をしておいてほしい」
「は、はい……」
考えを見透かされているような恐怖を感じ、飛鳥は唇を固く結んだ。
それから数日後、準備が整ったと聞き、飛鳥たちは司令部を訪れた。
マリアが封筒を差し出す。
「アクセル・ローグに会ったらこれを渡してください。どうかお気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
飛鳥は封筒を上着のポケットへ仕舞った。
マリアの隣では、エミリアが包みを頭の上に乗せて飛び跳ねている。
「次は私から! はい、これお弁当!」
「ありがとう、エミリアちゃん」
アーニャは微笑み礼を述べた。
エミリアが照れ笑いを浮かべる。
「作ったのは食堂の人だけどね。料理とかする暇ないし。にゃはは」
彼女の言葉に、飛鳥はうんうんと頷いた。
「なら良かった。お前が家事万端とか解釈違いだからな」
「んだとてめぇええええええええええ!!」
ホッと息をつく飛鳥とは反対に、エミリアが拳を振り上げる。
マリアは暴れるエミリアの口と腕を押さえた。
アーニャが飛鳥の手を引く。
「もう、飛鳥くんったら。では、行ってきます」
アルヴェーン姉妹に見送られ、二人はフラナングの館へ向け出発した。