第12話 第八門の精霊使い
次の日の朝。
飛鳥とアーニャが身支度をしていると扉がノックされた。
「はーい、どうぞー」
「失礼いたします。お迎えにあがりました。昨夜はよく眠れましたか?」
「おはようございます。おかげさま、で……」
部屋に入ってきた女に、飛鳥もアーニャもキョトンとしてしまった。
何故なら、その女は真っ赤な長い髪と炎のようなオレンジ色の瞳を持っていて。
「あの、失礼ですが……」
二人の表情で察したのか、女はにこやかに名乗った。
「マリア・アルヴェーンと申します。階級は大佐。キーウ・ルーシでは姉のエミリアがお世話になりました」
「いえいえ。やっぱりエミリアの──って妹!? 貴女がお姉さんじゃなくてですか!?」
「えぇ、私が妹ですが……?」
飛鳥がすっとんきょうな声をあげる。
マリアは戸惑いながら答えた。
二人が驚くのも無理はない。
マリアは身長こそアーニャと同じくらいだが、女性的な部分に関しては平均以上の大きさだ。
エミリアと並べたら誰もが彼女が姉だと答えるだろう。
「あの、どうかされましたか……?」
マリアは粗相をしたと思ったのか、不安そうにしている。
飛鳥は慌てて話題を逸らした。
「何でもありません! それより、これから軍議ですよね?」
「はい、会議室までご案内いたします」
マリアに笑顔が戻る。
エミリアのこともあってか、彼女は信用してくれているようだ。
だが、他の者はどうだろうか。
どこの馬の骨とも知れないやつが、おとぎ話の存在を名乗って軍上層部と意見を交わすなんて。
自分が同じ立場だったら絶対に信用しないし、常に見張りを置くぐらいはする。
不安と緊張でアーニャに声をかけた。
「き、緊張するね……」
「大丈夫だよ。ヴィルヘルムさんがあれだけ友好的なんだから」
安心させようとしてくれたのか、アーニャが手を握る。
しかし、余計に緊張してしまった。
マリアの声で意識が引き戻される。
「着きました、どうぞ」
「し、失礼します」
中に入ってすぐ、飛鳥は鼻を動かし咳き込んだ。
アーニャが背中をさする。
「飛鳥くん!? どうしたの!?」
「……煙草臭い」
部屋にはうっすらではあるが紫煙がかかり、強い臭いが鼻腔を突き刺した。
ハンカチを鼻に当て顔をあげると、十数名の男女が席に着いている。
その内、八人の胸元には八芒星のバッジが。ヴィルヘルム直属の精鋭『八芒星』だ。
反応も様々で、敵意を向けてくる者、訝しむように見つめてくる者、興味がないのか前を向いたままの者。
「飛鳥♪ アーニャ♪ おはよっ♪」
そして、緊張感の欠片もないアホ面で手を振る者。
「お二人はこちらの席へ」
マリアは入り口から一番近い、向かい合った席を手の平で指した。
全員揃ったところで、マリアが高らかに告げる。
「皆様、既にご存知かとは思いますが、我が国に伝わる伝説の英雄皇飛鳥殿とその奥方アニヤメリアさんです」
マリアの言葉に被せるように、一人の男が『ふんっ』と鼻を鳴らした。
四十代後半といったところか、灰色の髪をオールバックにした男が、この臭いの原因であるパイプの煙をくゆらせながら嘲るような笑みを浮かべる。
「英雄伝説……そんなものにまで頼るとは。陛下は余程気が弱くなられているようだ」
まぁ、これが普通だよな……。
飛鳥もアーニャも苦笑いを浮かべ、軽く会釈した。
居心地の悪さに身を縮める。
「ルンド中将閣下。陛下に対してそのような発言はおやめになった方がよろしいかと」
マリアが怒りを含んだ口調で告げるが、パイプの男──クラウス・ルンドは全く意に介していないように煙を吐き出した。
「勘違いするなよ、アルヴェーン大佐。反対している訳ではない。ただ、そこまで信じていい者たちか? スヴェリエのスパイである可能性は?」
そこにエミリアが割って入る。
「私と一緒に戦ってくれたし、スパイだったらロスドンでスヴェリエ兵の邪魔をするかな〜?」
「その通りです。芝居を打つにしても、あれだけ必死に攻略を試みていたロスドンで行うとは思えません」
反論するアルヴェーン姉妹をクラウスが睨みつける。
一触即発な雰囲気の中、彼の正面に座っている男が諫めた。
「やめろ、クラウス。フィリップ・オークランスだ。お見苦しいところをお見せし申し訳ない」
年はクラウスと同じくらいだろう。
だが、短い黒髪に眼鏡を掛けたその男は、クラウスとは真逆で落ち着いた佇まいをしている。
謝罪を口にするフィリップに、飛鳥は首を振った。
「いえ、そんな……。ところで、ロスドンは、その、あまり大きな町には見えなかったんですが……重要な場所なんですか?」
その辺り、実は昨晩の内にアーニャと予習済みなのだが、知り過ぎていると警戒心を持たれてしまうかも知れない。
今は分からない振りをするのが得策だろう。
飛鳥の質問に反応したのはフィリップであった。
「あぁ、英雄殿は他の大陸からの旅行者だったな。アルヴェーン大佐、説明を」
「はっ。仰る通り、ロスドンは小さな港町ですが、海上作戦と貿易の重要拠点です。もし占拠されれば南部での行動に大きな支障をきたします。故に、こんな時期であるにも関わらず、スヴェリエはロスドン攻略に躍起になっていました。厳しい状況ではありましたが、英雄殿のおかげで持ち直すことができたのです」
フィリップが頷く。
マリアも感謝するように頭を下げた。
「なればこそ、この勢いを以って一気に攻勢をかけるべきではないか?」
クラウスが再び口を開く。
しかし、フィリップ含めその場にいる全員が押し黙ってしまった。
それだけで、如何に無謀を説いているかが伝わってくる。
「どうした、ロスドン防衛で我が軍の士気は高まっている。スヴェリエもあれ以来手をこまねいているではないか。今こそ一気呵成に攻め立て、北部拠点を攻略する時だ!」
誰からも反応はない。
クラウスは苛々した様子でパイプをふかした。
マリアが顔色を窺うように述べる。
「ですが……もうすぐ雪深い時期になりますし、今年はいつも以上の寒さです。行軍にもより体力を要しますし、満足に戦える状態では──」
「だからそれまでに決着をつければいいと言っている! 北部攻略にどれだけ時間をかけるつもりだ! 戦いとは気の強さが勝敗を分けるのだ! 全軍決死の覚悟で臨めばスヴェリエなど敵ではないわ!」
クラウスがテーブルに拳を叩きつけた。
皆、渋い顔をして下を向いている。
どうやらこの場で一番発言力が強いのはクラウスのようだ。
だが、彼の物言いに飛鳥は辟易した。ただの精神論で勝てるならどれほど楽か。
フィリップがクラウスをなだめる。
「まぁ落ち着けクラウス。アルヴェーン大佐の言うことにも一理ある。何より向こうの第八門が出てきていない。私にはそれが気がかりでな」
「第八門がどうした! その為の『八芒星』だろう!」
と、クラウスが吠えた。
第八門の精霊使い──。
ティルナヴィアに存在しているエレメントという力。そして、それを扱う精霊使い。
この者たちにはエレメントの強さや潜在能力、戦闘力などを総合して第一から第八門までのランクがつけられている。
第六門までは、もちろん才能も必要だが、努力で何とかなる範囲らしい。
そして、第七門はいわゆる天性の才というやつだ。
よく何百人に一人とか言われる、常人と天才との差とも言われるランク。
『精霊眼』が読み取った情報だと、『八芒星』は全員第七門の力を有している。
しかし、第八門だけは全くの別物だ。
存在自体が異常、同じ力を扱っているとは思えない、通称『天上の精霊使い』。
おまけに『特異能力』と呼ばれる精霊術の枠から外れた固有の力まで持っているから手に負えない。
真偽は定かではないが、大陸の形を変えたとか文明を滅ぼしたとか、そういう話も残っている。
どちらにせよ、戦わずに済むならそれが一番だ。
そういえば、僕のランクってどこなんだろ……?
そんな疑問を浮かべながら、飛鳥は手をあげた。
「あの、もう一ついいですか?」
フィリップが応じる。
「何だね? 英雄殿」
「この国には第八門の精霊使いはいないんですか?」
途端、全員が押し黙り、下を向いてしまった。
その沈黙は先ほどのものとは違う。
語りたくない、口にしたくもないとでも言いたげな雰囲気だ。
飛鳥とアーニャは何事かと顔を見合わせた。
「えーっとね……残念ながらいないんだよね〜! いたらもっと楽だったんだけど!」
沈黙を破ったのはエミリアであった。
だが、どこか隠し事があるような後ろめたさを感じる。
フィリップも同意を示した。
「……そうだな。残念だが──」
「いえ、一人だけいます」
「ちょっと!? マリア! やめなさい!」
エミリアが叫び、皆の視線がマリアに集まる。
しかし、彼女は気にせず続けた。
「いいじゃないですか、事実ですし。それに英雄殿なら或いはあの男を上手く使えるかも知れません」
「ふざけるな大佐! 何かあったら誰が責任を取るのだ!」
「もちろん、陛下と元帥閣下の許しを得てから徴用いたします。それならばルンド中将閣下が責任を問われる心配はありません」
「そういう問題ではない!!」
先ほどまでの豪胆さはどこへやら、クラウスは慌てふためいている。
飛鳥とアーニャは益々訳が分からなくなってしまった。
今度は演技ではなく、恐る恐るマリアに問う。
「あの……その人って一体……?」
彼女はいつも通りの表情で、冷静にこう答えた。
「失礼いたしました。この国の第八門の名はアクセル・ローグ。ここから北西にあるフラナングの館に幽閉されている、この国始まって以来の大量殺人犯です」