第11話 精霊眼
ヴィルヘルムの玉座を訪れた時と同じ、ほとんど景色の変わらない廊下を行く。
途中で何人かの兵士とすれ違ったが、皆エミリアを見ると背筋を伸ばし敬礼した。
その度に彼女は少しだけ得意げな態度で笑顔を見せ手を振る。
見た目のせいもあってか、軍人ごっこをする少女に付き合う大人たち、なんて印象を受けてしまった。
しばらくして、エミリアがある部屋の前で足を止めた。
「ここが二人の部屋だよ。はい、これ鍵ね。じゃあ私は戻るから──」
「ちょっと待て」
「え!? どしたの飛鳥!? 顔が怖いんだけど!?」
心当たりがあるのか、エミリアは青ざめた。
鍵を開け、彼女を引きずりながら部屋に入る。
案の定、ベッドは一つだけ。
「やっぱり……。ベッドは二つにしてくれ」
「え〜!? いいじゃん! 夫婦なんだから! あ、造りはしっかりしてるけど一応防音用の術式使ってね♪」
エミリアの言葉に顔が真っ赤になる。
反撃のチャンスと見たのか、彼女は上目遣いで飛鳥を見た。
「ねぇねぇ、二人って結婚してどれくらい経つの〜?」
その質問にアーニャが言い淀む。
すかさず飛鳥が答えた。
「じ、実は結婚したばかりなんだ。今は新婚旅行中というか……。何でそんなこと聞くんだよ?」
「だって何かあるとすぐ真っ赤になるから変だな〜と思って。でも災難だったね、せっかくの新婚旅行なのにこんな情勢で。他の大陸から来たの?」
「あ、あぁ……そうだな……。そうだ! 元々僕ら二人とも旅をしてたんだ! アーニャは旅先で人助けをしていて、知り合ってからは僕も手伝ってて」
苦し紛れに出た言葉だが、全てが嘘ではない。
アーニャを見ると、うんうんと頷いている。
信じてくれたのか、エミリアは笑った。
「そうなんだ! じゃあ早く新婚旅行に戻れるようにスヴェリエをぶっ飛ばさないとだね! 頼りにしてるよ!」
「お、おぉ」
「何かあったらすぐ呼んでね! 陛下から不自由させないようにって言われてるから!」
「分かった、ありがとう」
エミリアを見送り、ベッドを見つめる。
睡眠用の精霊術ってあるかな……。後で調べてみるか。
アーニャはベッドに座り、思いっきり伸びをした。
「いきなりヴィルヘルムさんと会えたのは良かったけど、緊張したね〜」
「緊張してたの? 全然そうは見えなかったけど」
「そりゃするよ〜。何回経験しても慣れないなぁ」
「そうなんだ。今度僕にも礼儀作法とか教えてよ。もっとしっかりできるようになりたいから」
「うん!」
目が合い、お互い微笑む。
そして、アーニャは思い出したように手を叩いた。
「教えるといえば、今日の内に色々と予習しておかない? 伝承武装のこととか、まだ話せてなかったよね」
「そうだったね。じゃあその前に買い出しに行こう。エミリアはああ言ってたけど、甘えすぎるのも良くないと思うし」
それを聞いたアーニャの表情が到着した時と同様、花が咲いたように明るくなる。
余程この街が気に入ったようだ。
勢いよく扉を開け意気揚々と部屋から出た二人であったが、しばらく歩きエミリアを呼ばなかったことを後悔した。
腕を組み、視線を彷徨わせる。
「……どっちから来たんだっけ?」
「え、えぇと……」
アーニャも困った様子で辺りを見渡した。
右を見ても左を見ても同じ造りの扉と廊下があるだけで。
窓から外を見てみるが、役に立ちそうな情報は得られない。
相談しながら何度か角を曲がったところで、どちらからともなく足が止まってしまった。
後ろを振り向くが、部屋へ戻る道も分からない。完全に迷子だ。
二人は途方に暮れてしまった。
来た時と違い、部屋を出てからは誰とも出会えていない。
単に人が少ないのか、それとも侵入者用の精霊術でも施されているのか。
しかし、それなら魔眼が何か捉える筈だ。
それだけの力があればの話だが。
「誰かいないのかな……」
ぼやきながら次の角を曲がると、今までとは違う景色が目に飛び込んできた。
少し長い廊下の先に花畑が広がっていて、二人は思わず駆け出した。
「凄い……! 綺麗……!」
アーニャは腰を下ろし、愛でるように花に手を添えた。
彼女の仕草も表情も本当に可愛くて、迷子という現実から目を逸らし、出かけて良かったなぁと呑気なことを考える。
「うん。庭園みたいだね」
その庭園には見たこともない花が何種類も咲いていた。
今この大陸は冬の時期だが、寒さに強い品種なのだろうか。
「そこで何をしているのですか?」
二人が花を見ていると、女の声が響いた。
顔を上げると、金の刺繍が入った黒いローブを着た人間が立っていた。
いや、正確には人間か獣人かは分からない。
ローブで全身をすっぽりと覆っているせいで、容姿を窺い知ることができないからだ。
「す、すみません。勝手に入ってしまって……」
アーニャが慌てて立ち上がり、頭を下げた。
互いに耳打ちする。
「もしかして、立ち入り禁止だったのかな……?」
「そ、そうかも……」
せっかく歓迎されたのに、こんなところで関係が悪化するのは避けたい。
二人は直立不動で次の言葉を待った。
「もしや、貴方たちが陛下が仰っていた英雄殿とその奥方ですか?」
女の声色は先ほどよりも幾分柔らかい。
「えぇまぁ、そうですが……」
飛鳥が答えると、その人物はフードを外し、両手で髪の毛を持ち上げた。
羽根が舞うように長い銀色の髪が広がる。
足下まで伸びた銀髪は、陽光を浴びて宝石のように輝いた。
「これは失礼をいたしました。私の名はプリムラ。宮廷精霊術師をしております」
「宮廷精霊術師……?」
「はい、といってもやっているのはこの庭の手入れと、陛下の指導役の真似事ですが」
そう言ってその女──プリムラは微笑んだ。
少し吊り上がった気の強そうな目をしているが、その笑顔は優しさに満ちている。
年の頃は飛鳥と同じか、少し上だろうか。
肌は驚くほど白く、しかもアーニャのような健康的な白さではなく、生気が感じられない死者のような色だ。
「ここはプリムラ様の庭園だったのですね。勝手に立ち入ったこと、お詫びいたします」
アーニャが改めて頭を下げようとする。
だが、プリムラが手で制した。
「いえ、この宮殿は造りが複雑ですから仕方ないことです。それに、お二人がいらして草花も喜んでいます」
「花が……喜ぶ……?」
不思議な物言いに飛鳥は聞き返した。
「はい、草花も心を持っています。お二人が心優しい方々だと分かるのでしょう。ですが……」
プリムラがポケットに手を入れる。
そして、黒い眼帯を取り出すと飛鳥に差し出した。
「眼帯? えっと、これは……?」
「その瞳はある者にとっては神の如き、まさしく救いの光です。しかし、一方では魔の瞳と怯え、否定する者もおります。みだりにお見せになるのはおやめになった方がいいでしょう」
「なっ……!?」
どうして魔眼のことを……!? これは『救世の旅』の為に与えられた力だ。もちろん誰にも話していないし、僕とアーニャ以外が知っている訳……!
右目に刺すような痛みを感じる。
プリムラは精霊術士と名乗ったのに、バルドリアス同様、魔眼が何の情報も読み取らない。
得体の知れない恐怖に、飛鳥は押し黙った。
「どうかされましたか? さぁ、こちらを」
気づくと、飛鳥はアーニャを守るように立っていた。
プリムラが少し慌てた様子を見せる。
「あぁ、申し訳ございません。怖がらせるつもりはなかったのです。そんなことをしたら陛下に叱られますから。……理由はこれです」
プリムラが右目にかかっている前髪を上げると、飛鳥と同じ真紅の瞳が姿を現した。
「それは……!」
胸が締めつけられるような感覚に襲われ、段々と呼吸が浅くなっていく。
飛鳥は絞り出すような声で問いかけた。
「あ、貴女も……魔眼を……!?」
「魔眼……?」
プリムラが首を傾げる。
「ご存知ないとは意外でした。この瞳は『精霊眼』。遥か昔、この地にいた精霊たちが持っていた力、今となってはほとんど失われたものです」
「『精霊眼』……」
アーニャがポツリと呟くと、プリムラは頷いた。
「はい、『精霊眼』は保有者ごとに異なる力を有しています。保有者同士では力が通じないという難点もありますが」
「じゃあ……僕がエレメントの流れが視えるのも……」
飛鳥が確かめるように口にする。
すると、プリムラは驚いたような表情を浮かべた。
「英雄殿の『精霊眼』はエレメントの流れが視えるのですか。それは、この世界の真理を視るに等しい、強大な力です。これから先、精霊使いとの戦いも増えていきます。その時にきっと役立つことでしょう」
プリムラの言葉に、今度は飛鳥が質問する。
「この世の真理……? どういうことですか?」
「先ほどの話と同じです。生きとし生けるものは全て、この草花たちもエレメントを有しています。精霊使いとそうでない者の違いはエレメントを世界に発現できるかどうか、それだけです。発現する前のエレメントを捉える術はありません。その流れを視るという力はまさしくこの世の真理、根源を視るに等しい力なのです」
「そ、そうなんですか……」
「この世の真理だって! さすがは飛鳥くん! 凄い力だね!」
アーニャは嬉しそうに笑っている。
飛鳥も照れたように微笑んだ。
プリムラが続ける。
「すみません、話が長くなってしまいましたね。お二人はどこかへ向かわれていたようですが」
「あ、そうだ! 買い出し!」
すっかり目的を忘れてしまっていた。
せっかく人に会えたんだ、外まで案内してもらおう。
「はい、街まで買い物に行こうとしてたんですが、迷ってしまって……」
「そうでしたか。では私が出口までご案内いたしましょう。ですが、その前にこれを」
プリムラは飛鳥に近づき、眼帯をかけた。
彼女の吐息がかかり、心臓が飛び跳ねる。
「ど、どうも……」
「はい。それでは参りましょう」
プリムラに案内され、五分ほど経っただろうか。
あっという間に入り口に辿り着き、飛鳥とアーニャは疲れた表情で宮殿を見上げた。
今までの苦労は何だったんだ……。
プリムラが地図を差し出す。
「こちらをどうぞ。今いるのがここで、お二人の部屋はここですね」
と、地図に印をつけた。
「ありがとうございます。このお礼は改めてさせてください」
「いえ、お気持ちだけで充分です。それと、英雄殿」
「何でしょうか?」
プリムラは飛鳥の手を取り、深々と頭を下げた。
「どうかこの世界のこと、よろしくお願いいたします」
その言葉には、どこか悲しそうな響きがあって。
「は、はい。できる限りのことはします」
飛鳥も姿勢を正した。
プリムラは微笑み、宮殿の中へ戻っていった。
「じゃあ行こうか。まずはカップとコーヒーとお茶と……」
「そ、それに合うお菓子も必要だと思います!」
アーニャが恥ずかしそうに主張する。
飛鳥は笑顔で頷き、二人は街へ繰り出した。