とある聖女の異変
――聖女フィーナは、ある時を境にして自身の記憶がまったく消えていないのを自覚した。
「代償が消えたのではなくて?」
そう問い掛けたのはエイラ王女。フィーナとしては「消えていない」と解答しつつ、その効果が何かしらの要因によって封じ込められているような感覚を抱いていた。
なぜ、そんな風に感じるのか。それは戦っている最中にあった感覚、すなわち記憶が消えていくという感覚そのものは残っている。だが、記憶が留まったままであるため。
誰にも言っていないが、フィーナは戦っている間に喪失感のようなものを抱いていた。それはまさしく記憶そのものが消去されていく代償であり、それを認識しながらは剣を振るっていた。
けれど今は――疑問に思いながらもそれを解消することはできないだろうと心のどこかで感じていた。なぜなら相手は女神リュシアだ。女神の力について解明することなど、不可能だろうというのが根拠であった。
「はあ……」
物憂げにフィーナはため息を吐く。時刻は昼過ぎ。食堂で食事をした後、腹ごなしに散歩をしている状況。
――憂鬱な心境に反し、戦いは順調だった。魔王が消え、後は魔物を駆逐するだけの状況。山岳地帯にはまだ残っている魔族の存在もいたのだが、それはフィーナで問題なく対応できるレベルだった。
ただその魔族は、フィーナ達の理解できないようなことを語っていた。気付けば魔族の大半が消えていた。これは貴様らの仕業だろうと、魔族は叫び無謀な突撃をフィーナ達へ仕掛けた。それに易々と対処した後、フィーナ達は山岳地帯を調べ始めた。なぜ魔王はいなくなったのか。それを検証しなければ戦いは終わらないと判断したのだ。
魔王城はもぬけの殻となっており、魔族もまるで引き払ったかのようにいなくなっていた。けれど原因がわからない。明らかに争った形跡は存在するし、どうやら魔族側が一方的な虐殺にあったようなのだが……それだけしかわからなかった。
問題は、誰がどうやってそれを実行したのか。大地などに残った魔力を調べたところによると、どうやら人間の仕業……そんな推測が浮かび上がった。けれど、そんなことをできる人間が果たして存在するのか。
聖女フィーナでさえ魔人を相手にして苦戦していたのに――そんな風に考えた時、フィーナは違和感を覚えた。
というより、魔王へ至るための戦い……それ自体、もやが掛かったように思い出せないことが多々あった。だからフィーナは調べ始めた。エイラ王女もそれに協力し、ゲイルやジェノもまたそれを手伝った。
そうして浮かび上がったのは、どうやら自分達と共に戦っていた人間が消えているということ。複数人なのかそれとも一人なのかはわからないが――間違いなく女神リュシアの力が関係しているのだと、フィーナ達は確信した。
それと同時にその人物が誰なのかは見当がついた。というより、消去法でその人物しかいなかったと言うべきか。ゼルシアが魔物の襲撃により大きく破壊された直後、フィーナは『誰か』がいた部屋について調べ、その部屋の主がアレスという名の人物であるのを知った。
それと共に、どうやら彼は部屋を訪れた……けれど、顔を合わせることはできなかった。
その後、エイラ王女もアレスという人物について調べ始め――痕跡や戸籍情報から、どうやらその人物はフィーナの幼馴染み――同時に女神リュシアの力を得て戦っていた人物であると判明した。
そこまで調べ上げた後、力の代償によって記憶が失われたのであろうとエイラ王女は推察した。おそらく魔王が消えた原因も彼であり、膨大な力故に他者へ影響を及ぼすのだろうと。
そうした結論を受けフィーナは憂鬱な気持ちとなった。幼馴染みの彼は自分のために戦ってくれたのだろうか――あるいは、何かしら復讐心でもあったのか。ともかく彼は女神リュシアの力を得て、フィーナと共に戦った。
けれど、何一つ憶えていない――その事実が、フィーナの心に憂鬱さを潜ませていた。代償があるため、彼はたった一人で戦ったのだろうか。
「――聖女様」
ふいに呼ばれ振り返ると、ゲイルが立っていた。
「良かった、すぐ見つかって。これから打ち合わせをしたいんだが」
「何のですか?」
「エイラ王女が君の代償について新たな情報を得た」
その言葉にフィーナは小さく頷くと、彼の案内に従い小さな会議室を訪れた。
そこにいたのはエイラ王女に加え従者のパトリ、さらにジェノの姿もある。
「揃いましたね」
エイラ王女が一つ告げた後、フィーナは部屋の中央に置かれたテーブルへ近寄る。そこには資料の束が存在しており、エイラ王女はそれに目を落としながら、話を始めた。




