王女と聖女
森の奥へと進み、さすがに山の麓まで行くことはなかったのだが……結論から言うと、魔物はあまり見かけなかった。
「発見できたのも弱い個体ばかりだな。訓練についてはまあいいとして……やっぱり、不気味ではある」
「そうだね……でも、魔物を外に出さないようにして、それを使ってルダー砦とかに攻撃するにしても……」
「そもそもあの場所は数がいるからどうにかなるって場所でもないからな」
渓谷の入口に存在する砦であるため、物量で押し込もうとも動きが制限されるのだ。
「あるいは魔物を取り込んで強化するとか」
「単純に魔物の力を利用して、となると相当な数が必要になるだろうね」
「非現実的だと言いたいのか?」
「うん」
「そうか……とにかく、魔物は少なくなって魔人の影響が低くなっている。それだけ報告して今日は終わりかな」
「そうだね」
「……そういえばフィーナ、エイラ王女が言う新たな仲間についてだけど、交渉がまとまるにしても、それからゼルシアへというのは時間が結構掛かるよな?」
「たぶんね。でも、話がまとまったらすぐにでも駆けつけるんじゃないかな」
「根拠があるのか?」
「交渉役がエイラだからね」
なんだか変な信頼だな……ここで俺は王女について興味を持った。
「なあフィーナ、王女についてだけど」
「何か聞きたい?」
「どういう経緯で知り合ったんだ? あ、話したくなければ別に――」
「隠すようなことでもないし、いいよ。城へ戻る間に、話そうか」
俺が頷くと、彼女はゆっくりと事のあらましを語り始めた。
「ただ、そんなに劇的な出会いというわけでもないよ。私は聖女として国の管理下に置かれ、訓練途中にエイラが顔を出した。そこで同年代だったから、話をするようになった」
「……フィーナとしては緊張とかしたのか?」
「それはもちろん。王女様だったし、何というか最初の時点で住む世界が違うなあって思った」
語りながら彼女の顔は、過去の情景を思い起こしたのか口の端が少し上がった。
「エイラは出会った当初からあまり変わっていなくて、私と少し交流をした後に……魔王を討つために手を貸してくれと言ってきたんだよ」
「それ、まだ子供の時の話だろ?」
「うん。十歳くらいかな」
「……その時から、魔王討伐を考えていたのか?」
「そうみたいだね。ただ、どうしてそこまで……ということは、尋ねても答えなかったけど」
「答えなかった?」
「私情が絡んでいる可能性も考えたけど、たぶん違うかな。きっと魔王を討伐するということそのものを、当然のことだと思っている」
……どういう心情なのか不明瞭ではあるが、きっとエイラ王女なりに考えがあるのだろう。
ただそこに功績を上げて女王になるとか、そういう思惑はない……王族だからこそ、人々が恐怖する対象を取り除くために動く、というのはあり得ない話ではないけれど、それだけで今のように精力的に活動するというのは、驚嘆に値する。
まあ価値観とか根本的に違うのかもしれないし、損得勘定だけで考える俺も心が汚れているだけかもしれないけど……。
「……フィーナは」
俺は彼女へ問い掛ける。
「聖女として、魔王を倒すという意思は固いけど、それはエイラ王女の影響があるのか?」
「そうだね。村を離れ、友達のように接してくれたエイラの言葉に従っている意味合いもある。でも、聖女として色んな人と出会って……その結果、魔王を倒そうと思ったのも事実だよ」
「そっか……」
「ただ、その記憶も薄れつつあるけど」
俺はフィーナをじっと見る。記憶を失う……そうした代償を抱えながら、彼女は戦い続けている。
「記憶については、どういう基準で消えるんだ?」
「何もしていないと、古い記憶も新しい記憶も関係なく消えてしまうけど、魔力で調整はできるよ」
「……言い方は悪いけど、必要のない記憶を選んで消していると?」
「そういうことになるけど、記憶が消える身からしたら、必要のない記憶なんて、ないと思うよ」
何かを考えるように、フィーナは一度俯いて語る。
「楽しい記憶も、悲しい記憶も全て、人を形作るものだから……何かを失えば、それだけ形作っているものがなくなるの」
「……フィーナは、そんな風に思っているのか」
「今のアレスからしたら、私は変わっていないように見える?」
その問い掛けに俺は小さく頷いた。変わっている部分はある。十年という歳月が経過したのだから当然だ。でも、幼馴染みとして一緒に遊んでいた頃と、それほど変わらないようにも見える。
「そっか。なら取得選択が上手くいっているってことかな?」
「……俺のように昔を知る人と会っても、問題ないような記憶を消したのか?」
「そういうことになるね。でも、これは砂上の楼閣みたいなものだよ。アレスだって変わっていないと評価しているんだから、私はきっと上手く騙し通せているのかもしれない。でも、いずれ破綻がくる……それは間違いないよ」
……取り繕って、どうにか聖女として活動している。でも、今はギリギリということなのか。
「もちろん、どれだけ戦おうとも、魔王を倒すという目標……それだけは失わないように戦っているよ。でも、魔王との戦い……もし命を賭して全力で戦うときが来れば、私はきっと、自分を空っぽにしても剣を握り続けると思うし、それが聖女としての役割だと思う」
……俺は、何も言えなかった。少なくとも彼女はそうした覚悟を持っている。
そんなことはさせないとか、それは間違っていると俺が言うことはできる。しかし、彼女は聖女として鍛錬を続けてきた。彼女の言葉を否定すればそれは、彼女がやってきたことさえも否定することに繋がる。
それに、俺は十年という歳月でフィーナが何を思い、何を考えたかをほんのわずかしか知らない。そんな状況下で、俺に意見できることは正直言ってなかった。
ならば、俺はどんな言葉を投げかければいいのか……隣を歩き、無言になる間に俺は必死に考えて……やがて、口を開いた。




