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『こんなはずじゃなかった』

5/2 3話に投稿予定の内容と統合しました

 まず感じたのは口内に残る鉄の味。その次に久方ぶりに感じた人の体温。驚いた私は状況を把握しようとして床に手をついて起き上がり、すぐに自らの行いに後悔した。


(こんな、はず、じゃ、なかった)


 温もりが消えつつある小麦色の肌、うっすらと涙の跡が見える黒曜石の瞳、濡れ鴉のような艶やかな髪、短い袖の純白のブラウスの一番上のボタンは外されており、無防備にさらされている首筋には歯型状に肉が抉れた傷口が残っている。


 縋るように、祈るように、冀うように必死の抵抗の結果を私は見下ろしていた。鼓動を失って久しいこの身は涙を流さなかったが、私の心は悲鳴を上げている。


 当然だ。いくら自我を失っていたとは言え、罪も無い人を殺してしまったのだ。どうしようもない罪悪感に押しつぶされてしまうが、最悪中の幸いか、それがこの体で表出ることはない。


 体調が精神の影響を受けないことをいいことに私の思考は衝撃から自己防衛の言い訳を並べ始める。成功する保証は無い、ダメでもともとの案の一つになるはずだった。成功すれば良し、失敗しても徒労に終わるだけで次の案を探すだけ。


 半ば試行錯誤の一環で行っただけだ。だからこそ、成功が最悪の形をとることは想定していなかった。


 そう、結果は成功なのだ。しかし、そのあとで思いもよらぬ事態でその成功が忌まわしい結果に変わってしまったのだ。などと、意味もない思考が頭を幾重にも駆け巡り続ける。


 それを何度か繰り返したところで波立った私の心は嵐のように荒れ狂っていた。どうしてなのか、どこで間違えたのか。失敗の理由を求めるように記憶を遡っていった。



 ◆ ◆ ◆


 不死者の病。それは突如として現れ、確認されてから数日でこの街の住人全員が侵された恐るべき病。


 侵されたものを不死者のような肉体に変える病。それだけにとどまらず、変えられた者は近くに健常者がいれば驚異的な怪力をもってその肉に食らいつき、食われた者は失った肉を再生しながら彼らの仲間入りを果たす。


 もし、ただの不浄なる不死者であるならば神聖な教会に籠るなり、不死者返し(ターンアンデット)で昇天させるのだが、それらは何の障害にもならず動き続ける。ならば肉体を行動不能になるまで破壊することを試みる者もいたが、増え続ける犠牲者と数刻ほどで再生するため時間稼ぎにしかならない。


 生者の天敵たる不死者以上の不死性をもってこの病は街を飲み干した。この地にすでに生者はおらず、あちらこちらで死ぬことを忘れた者たちの呻き声が木霊するようになった。


 私も現状を打破するために手を尽くしたが、街中で囲まれてしまい力尽きてしまった。次に私が意識を取り戻したのは力尽きた場所からあまり離れていない場所だった。目覚めた当初は意識があることに安堵を覚えたが、すぐに自身の身に起きた異常に気付く。


 心臓が動いておらず、所作から機敏さが失われていた。それだけでなく、あちこち破れた服の隙間からは蝋のように白い肌を見せており、驚きのあまり悲鳴を上げても漏れ出るのは呻き声へと変わっていた。


 すぐに自身が不死者の病に侵されたと思い至った。同時に疑問に思うのは自己の意思で体を動かせることには疑問があった。私が知る限りでは侵されたものは例外なく知性を感じさせない獣同然のものだった。


 幸い四肢は自身の意思で動かすことができたので状況を把握するために街の中を彷徨うことにした。


 街を歩けば私と同じように不死者の病に侵された者たちで溢れていた。意思を持ったまま不死者になったことに絶望したのか、ある者は棒立ちのまま虚空を眺め、またある者は膝を抱え俯いている。


 他にも自殺を図るためか、不死者の天敵である日光に当たり続ける者、家の壁に頭を打ち続ける者がいた。


 それらを目の当たりにすれば、この街が以前のような生活を取り戻すことはないのだと感じてしまう。これ以上、この光景を見たくはない私は無力さに苛まれたまま家へと向かう。


 あまりにも救いのない状況に締め付けられるものがあったが不死者となったこの体は涙を流すことすら許してくれなかった。


 家の中に入った私は街に襲い掛かった不死者の病に対する怒りと多くの者が異形へと堕ちてしまった悲しみが混ざり合い深い絶望の底へと沈むようにその場にうずくまるが、溢れ出している感情は涙も嗚咽にもならず情けない呻き声となって家の中を響かせる。


 体はぎこちなくとも自らの意思で動かすことができる。しかし、心を顔に表わすことができず、不死者の肉体に自身の魂が閉じ込められ押し込められるような窮屈さを錯覚させた。


 このまま何もせず朽ち果てれば楽になるだろうか。形がある以上は永遠に残ることはない。ならば、誰かがあるいは時が私を終わらせるまでここにいようか。自らの死すら奪い去った病に心が折れかけた時、ふと思い出す顔があった。


 黒い髪と瞳、年不相応の身長と年相応のあどけない顔立ちの少年。短い間ではあったが私の弟子だった子。彼はどこまでも自身の可能性を信じ続け、現実にしてきた。何事にも興味を持ち、ことあるごとに首を突っ込んでいく。私から知識を受け取る代わりに彼は世界の広さを教えてくれた。


 彼は旅の途中だったため、すでにこの街から去ったが、その眩しいほどに自信に満ちた在り方に少し、ほんの少し勇気づけられた私はこの恐ろしき病に抗うことを決意する。


 いつまで自由に動けるかはわからないが、それでも街中でただ終わりを待っているだけでは仮にも彼の師として顔向けできない。


(最後まで抗ってみせる)


 声なき決意を固めた私は緩やかに動く四肢に力を入れて部屋の奥へ足を進めた。


 改めて最終目標は不死者の病の治療であることを掲げる。幸いにも最も身近なところに被検体(私の身体)がいるため何かを試すことには事欠かない。治療ができれば街の住人も救うことができる。


 その前段階として改めて不死者の病について調べることにする。私の専門は魔道生物や使い魔の使役についてだが、人工のものとは言え生物を取り扱う以上は医療知識にも通ずるところはあるのでやれないことはないはずだ。


 私が不死者の病に罹る前は近づけなかったため、症状以外の情報は不明だった。しかし、今は自身が侵されつつも理性を保っているので、思う存分に調べることができる。


 まず、身体面では四肢を自分の意思で動かせるが自由自在というわけにはいかない。素早く正確に動かすことが難しく、表情が全くと言っていいほど動かせないし、声もうまく出せないことをから全身がそうなのだろう。


 その代わり異常なまでの筋力を出すことができるようになった。調べたことをメモに残そうとしたとき正確に動かせないからと、慎重に書こうとしたら力みすぎたのか筆が折れてしまった。


 誰もいないため無意味な自己弁護だがうら若き乙女であり賢者(セイジ)の端くれでもある私が力んだだけで筆を折るなどまずありえない事態だ。少なくとも不死者の病に罹る前は片手で筆を折るなどまず無理だ。本の持ち運びにすら苦労するというのに。


 私の筋力は見た目と生活から考えて恐ろしいほどの怪力になったようだ。理性を無くした彼らも恐ろしいほどの怪力を有していたので予想通りなのだが、なんとも言えぬ複雑な気分である。


 次は思考について、と思ったが被検体と観察者が私であるため、私が正常だと思えばその時点で正常になってしまうため答えが出ない。保留にする。


 次に感覚はおそらく問題ない。目で見えて、耳で聞いて、鼻で嗅いで、四肢で触る。その度に伝わる感覚は以前と比べれば少し鈍くなったこと以外は変わらぬもので、肌の白さと喉の呻き声がなければ不死者の病に罹っていないのではないかと錯覚してしまうだろう。


 味覚については私がすぐに食べられるものはなく、動かしにくい四肢と有り余る怪力を身に着けてしまった以上まともな料理ができる保証もない。進んで不味いもの食べる理由もない。決して使われなくなって久しい台所から目をそらしたわけではない。料理ができないわけではないが、そんな時間があれば研究に没頭するのが賢者(セイジ)という生き物なのだ。


 最後に魔力が使えるかの確認。私が見た限り病に侵されたものが魔力を使った術式を使った覚えはないが、四肢が自由に動かせるのなら魔力を取り扱えることも不思議ではない。


 魔力は大気中に大量に存在していると考えられており、ある程度の知能を有する生物であれば取り扱うことができ、性別によって魔力の適性が違う。男なら瞬間的な量を取り扱うことに、女なら継続的に扱うことに長けている。なぜ、そうなのかについては現在も不明のままだ。


 とにかく、まずは魔力を使えるかだ。自己診断だが意識はあるので操作する感覚があれば術式を使うことに問題はないはずだ。


 心を落ち着かせ、自身の表面を覆う膜イメージすると、私の肌や服の表面に何処からともなく青白い光が包み込むように現れる。どうやら魔力を使うことも問題ないようだ。


 魔力を使えるのなら賢者(セイジ)の得意分野だ。この身が朽ち果てるのが先か、治療法を見つけるのが先か。彼のように可能性と希望を信じることを実践してみようではないか。


 ◆ ◆ ◆


 あの後、不死者の病を調べてきたが、結論から言うと行き詰った。


 なぜ、不死者であるはずなのに神聖なるものからの影響を受けないのか。

 なぜ、仮に不死者であるのならば思考は明瞭なのか。

 なぜ、生物にはあるはずの飢餓が無く、朽ちていかないのか。


 一つ目の疑問は不死者と言うものは例外なく神聖なものに弱い。この世界に君臨する神々は不死者を忌み嫌っており、自身の力が及ぶところでは徹底的に撲滅を推奨する。特に教会や神殿には不死者など近づくことすらできない。

 見るからに動く死体のように見える私たちだが、教会に近づいても滅びないところを見るに、神々の懐は想像以上に広いようで今の私たちをまだ不死者とは認めていないようだ。


 二つ目の疑問は不死者とは死ぬ直前に持っていた強い感情が残留思念として肉体に残り続けた存在だ。その肉体が自身を周囲の魔力を取り込むことで無理やり維持を図る。

 しかし、どれほど強い感情であろうとも切り取られた一部でしかない。端的に言えば魂が無い(本人ではない)のだ。何が言いたいかといえば、今の私のような複雑な思考ができず、残された感情や思念に従って動くはずなのだ。


 そして三つ目の疑問だが、当たり前ともいえる生物の基本的な機能だ。どんな生物であっても維持するためには何らかの供給が必要だ。それが無ければ肉体など飢え渇き朽ちていくだろう。


 1つ目と3つ目の疑問を解消できる回答に一つだけ心当たりがある。


 肉塊人形(フレッシュゴーレム)。石や土くれではなく、生物の肉体を素材にした魔道生物の一種。生物のようにしなやかな動きを可能とする代わり、素材の収集と維持管理に非常に手間がかかる。


 もし、この仮説が正しければ神聖なものからの影響が無いのも、生物であるはずの飢餓が無いのも説明ができる。


 だが、腑に落ちない点がある。本来、魔道生物には不死者同様に魂がないため自立して動作することがない。作成者の指示に従って動かすことを前提にしている。少なくとも魂を人為的に作成および取り付ける魔法も、傷つけただけで生物を魔道生物に置き換えるという話も聞いたことがない。


 確かに肉体をいくら破壊しても元に戻る再生力、傷つけるだけで同胞を増やす機能があるのなら兵器としては十二分にも脅威になるのだろう。実際、私を含めたこの街の住人たちは数日と掛からず飲み込まれたのだから。


 だが、兵器として扱うのだから指揮する手段が必要なはずだ。それなのに今の私は自我を残している。この街を壊滅させた後に指揮したものが消えてしまったのなら、そうなることもあるだろうが、この不死者の病を考えた者も危険性は把握しているはずだ。こうも簡単に自我を取り戻すことを許すだろうか。自我を取り戻した者が他者を巻き添えにすることに肯定的であればこの病は恐ろしい早さで広がるのだから。


 さらに肉塊人形(フレッシュゴーレム)の構成物は生物の死体だ。防腐処理をしなければどれほど優れた素材を使おうが腐ってしまう。大抵の場合は腐敗を防止するための魔法陣などを刻んだりしているのだが、身体の魔力に不審な点は見つからず、外部から何らかの魔法が発動しているような流れも感じない。一体どのようにしてこの身体は維持されているのか見当もつかない。もし、叶うのであれば是非ともこの肉体を維持する方法を知りたいものだ。無論、最優先は不死者の病を治すことなのだが。


 長々と思考を重ねたが要するに疑問を解消しようとすると別の疑問が生じてしまい、いくら調べようとしても解決策が思いつかない。こういう時は誰かに相談するのだが──


(私と同じ症状なら話すこともできないよね。)


 この街の住人は私含めて不死者の病に侵されているため、会話は絶望的であるし筆談しようにも力加減がうまくできないようでは、補充できない紙が底をつく可能性がある。

 では、街の外に出て別の知恵者に縋るのは──


(それは最後にするべきかな。)


 今は知性持った動きができるが、街が不死者の病に侵された日は誰もが生者に噛みつき被害を増やしてきた。


 もし、仮説通りに不死者の病が人を魔道生物へと変えるものだとしたら、生者を襲えと命令されている可能性も否定できない。だから、先に何らかの手段で外部と手紙のやり取りを試すべきだ。


 思い立った私は早速、準備に取り掛る。その時は袋小路に陥った現状を打破するために必死にもがいているつもりだった。


 今回取った手段は召喚術。準備なしで行えば無作為に何かを呼び出す魔法である。もちろん、そんなことをすれば更なる混乱が生まれることは目に見えている。ゆえに床に描きならべた魔法陣で呼び出す対象を絞る。


 ひとつ、人類に対して友好的な存在であること。

 ひとつ、使い魔契約が可能な魔力を保有できる生物であること。

 ひとつ、不死者の病にかかっていないこと。

 ひとつ、上記の条件を満たす中で最もこの陣から距離が近い存在を対象にすること。


 この条件であれば、不死者の病に罹っていない健常な存在を呼び出し、なおかつこの街の近隣の森から適した動物が呼び出されるだろう。


 その生物を使い魔にして外部の人類に現状を伝える手紙を渡して連絡を取る。なんとも他人頼りで情けないが、相手からしても未知の病の情報を安全圏から得ることができるのだから悪い話ではないだろう。


 もし、この身が魔道生物で生者を襲うように命令されているのなら人間以外の生物にも反応するか見極めることもできる。この街の中はともかく、さすがに近隣の森にいる動物たちが不死者の病に侵された者たちの本能任せの稚拙な襲撃で根絶やしになるとは考えにくい。


 もちろん、私も捕らえられないと思うので、すぐに逃げられないように召喚成立時に自動的に使い魔契約をするように魔法陣に追加の術式を組み込む。


 久しぶりに握る白いチョークを握り一心不乱に床に滑らせる。期待と不安が胸中に渦巻く中で力を籠めすぎて砕かないように魔法陣を描く。皮肉にも不死者の病に侵されたことで緊張が表面に出ることがなく、疲れも感じないため作業は効率的に進んだ。


 ◆ ◆ ◆


 その結果、召喚は成功したが呼び出された不死者の病に侵されていない人を殺めることとなった。


 ぶり返した罪悪感は私の精神をやすりがけるように削っていく。過剰な精神の負荷を和らげるための身体の防衛機能が働かない私は沈みゆく精神に引きずられるように顔を俯かせる。


 そこにあるのはまだ僅かに温もりを残す死者の肉体。殺した者が亡骸に甘えるなど、到底許されるようなものではない。それなのに、彼女の最後の温もりを貪るように顔を埋める。


 駄々を捏ねるように泣いてしまえば少しは気を紛らわすこともできるのだろうが、心臓が止まったこの体は泣く機能を失われている。代わりに口からは嗚咽に近い呻き声が漏れ出るしかなかった。


 どれほど時が経ったのだろうか。すでに温もりは失われてしまい残ったのは私と同じ冷え切った体。そんな状態になっても飢えた私の心は命の感触が忘れられないのか、未だに彼女だったモノに縋りついたまま離れなくなってしまった。


(どうすれば、よかったの)


 母親を求める幼子のように名も知れぬ少女の骸に縋りつく腕に力を込める。薄い石鹸と僅かな汗と濃厚な血の匂いに浸る私の頭が冷たい手に撫でられた。

 




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