マリュフ騒動 ③
「あなた、難しい顔してどうかしたの?」
カウンターの中から女性が声をかけてくる。
マリュフ採りの出来事を思い出していた僕は、その声にハッと現実にもどされた。
「はは、なんでもないです」
とりあえず、愛想笑いをしながら返事をする。
「はい、こちらアイスティーよ」
にこやかな顔で、飲み物を渡されたので、早速、口をつけようとしたが、僕のシェフとしての嗅覚が異変を感じた。
「あの~、この飲み物に変なもの入れてますよね」
純粋な茶の香りを阻害する刺激のある匂い。たぶんこれは睡眠剤の系統のなにかを混ぜてある!
「ふふ、よく分かったわね。あなた可愛いから、痛くないように眠っている間にと思ったけど、もうだめよ」
カウンターの上に置いてある僕の手を、いきなりガッとつかまれた。
僕から触ったわけではないのに、僕の能力が発動した。それは、心に残っている食べ物が、瞬時ではあるが映像が頭に浮かぶということ。
浮かんだ映像は僕だった。なぜ僕が映ったのか?
戸惑いを解消すべく、今までよく見てなかった、その女の人を見返した。
「うわっ!」
思わず大きな叫び声がついてでる。女性の瞳が、昆虫の複眼のように、いくつもの極小の眼が束状に集まったものであることに気がついたからだ。
僕の映像が脳裏に浮かんだのって、この女が、ひょっとして僕を食べ物として見てるからか?
そう思ったせつな、目の前の女は恐ろしいニタリ顔をひけらかす。
その顔のあまりの恐ろしさに、つかまれていた両手をふりほどき、ドアのほうへダッと駆け出した。
だが、僕の体は得体のしれないねばつく糸のようなものに捉えられ、床に転がってしまった。
カウンターから出て来た、その恐ろしい女は、倒れた僕の周りをグルグルと回り出す。割れた指先から糸を出し、僕をがんじがらめにしていっているのだ。
あまりの恐怖に声が出ない。
ガクガクと震える僕に、女は顔を近づけてきて言った。
「おいしそう、いただきます」
目の前で、グワッと口を開く女は、もう人間の様相ではなかった。
もう駄目だ!
頭が真っ白になる僕の体に、ドサッとかぶさるように、そいつは覆ってきた。
食われてしまう!
そう思ったが、それから動く気配がない。
これは?・・とりあえず体をモゾモゾ動かすと、女は床にゴロリと転がった。
見ると、怖ろしい表情のまま、石になっている。
「ライス君、つけてきちゃった。間に合ってよかった」
声のほうをハッと見ると、扉を開けて立っているファンさんが見えた。
ああっ、これはファンさんが魔法で女を石化してくれたのか・・
安堵したためフーっと息を吐きだしたが、酸素を吐き出しすぎて、半分気絶しかかってしまった。
ファンさんは僕のところに駆け寄ると、ねばつく糸を外しながら話す。
「ごめんなさい、ライス君。わたしマリュフが魔の者にしか効がないなんて知らなかったの」
マリュフか・・そんなこと、すっかり頭からぬけてた・・
「ガイターも、マリュフを食べたかったのは、わたしだけって思ってたらしくて、まさかライス君が食べるつもりしてたなんて思ってもなかったらしいの。だから、ガイターだけはゆるしてあげてね」
ファンさんの手際がよく、糸が体から外れたので、立ち上がって深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。おかげで命びろいしました。もうマリュフのことなんて、どうでもいいんです。ほんとに助かりました」
僕の言葉に、ファンさんはホッとした表情を浮かべる。
「ほんと、ごめんなさい。でも、ライス君が無事でよかったわ。この女はどうやら蜘蛛の妖怪のようね、ライス君これからは知らない人には気をつけてね」
怖ろしい体験はしたものの、ファンさんがいてくれた有難さをひしひしと感じていた。
「はい、今後は十分に注意します。じゃ、ガイターさんのところに戻りますか」
彼女は嬉しそうにニコッと笑ってうなずくと、僕の手をとって一緒にこの場から去るのであった。




