第9話 初邂逅
階段の再生は、すぐに終わった。たしかに狭い場所ではあるが、それでも一日しかかからなかったのは画期的だった。
「ふう、ちょっと頑張りすぎちゃったね。さあ夕食にしようか」
「うん、おなかすいちゃったね」
ハンスとグレーテは連れ立って台所へと向かった。今日は階段を仕上げてしまう予定だったので、夕飯はシチューを温めるだけにしておいたのだ。
「さあシチューを……ってあれ?」
台所からシチューのいい匂いがしてきた。匂いどころか、なぜか湯気まで見える。ハンスは思わず駆け出した。
「遅いわね。先に食べていたわよ」
見ると、見知らぬ女が一人、丸椅子に座ってシチューを食べていた。髪の長い若い女で、引きずるように長い黒いローブを着ている。
「あ、あのあなたは……?」
ハンスは恐る恐る尋ねた。このお屋敷で初めて見る自分たち以外の人物だ。遅れて顔を出したグレーテをかばうように立ち、少し後ずさりした。
「わたくしはグリゼルダ、ここの屋敷の持ち主よ」
女は偉そうにそう言うと、またスプーンを口に運ぶ動作に戻った。
「そうなの? じゃあお姉ちゃんのおかげで、あたしたち冬が越せたのね! お姉ちゃんありがとう!」
グレーテの言葉に、グリゼルダはまたスプーンを止めた。ジロリとハンスたちを見ると、大げさにため息をついた。
「あなたたち、たかが一階の復活のためにどれだけかかっているの? 二人もいて情けないったらありゃしないわ。それになあに、この田舎くさい食べ物は? うちの使い魔たちなら、もっと洗練されたものをこしらえたわよ!」
端正な顔をゆがめながら、女はそう捲し立てた。そしてまたスプーンを動かす。
「? お姉ちゃんおいしくなかったの?」
グレーテが不思議そうに尋ねると、グリゼルダは顔を真っ赤にして怒った。
「! おいしいおいしくないのと、洗練されているっていうのはまったく別の話よ! 味は……そうね悪くないわ。ただ田舎くさくて、わたくしには合わないってだけ」
女の言っている意味はよく分からなかったが、素直なハンスはとりあえず頷くと、自己紹介をした。
「そうなんですね……。あ、ぼくはハンスで、こっちは妹のグレーテといいます。勝手におうちにお邪魔してすみません。おかげでぼくたち、冬を生き延びることができました。ありがとうございます」
「そう。見てたから知ってるわ」
「? 見てたってどうやって?」
グレーテが不思議そうに尋ねると、グリゼルダはスプーンを真横に振りながら答えた。
「わたくし、このお屋敷内での出来事は全部把握できるのよ。いい? ここはわたくしのおうち。あなたたちは、招かれざる侵入者……もっとも、お屋敷を復活させてくれたのは感謝してるけど! これからはわたくしの元で、下働きとして働きなさい。いいこと? それができないなら、早くお屋敷から出ていくことね。あなたたちみたいに魔力のない人間は、すぐ魔物の餌食になっちゃうでしょうけど!」
「はい。ぼくらはまだ小さいし、できることは少ないけれど、一生懸命働きます。どうか二人でここに置いてください!」
ハンスの言葉に、グリゼルダは満足そうに頷いた。
「いいわ。わたくし、素直な子は好きよ。馬鹿は嫌いだけどね。あなたたちも気をつけなさい? うちで働くからには、字ぐらい書けないといけないわ。ゆくゆくは、わたくしの助手として魔術の研究を……」
「あの、すみません」
恐る恐るハンスが手をあげた。
「なあに? 今わたくしが話しているのだけれど?」
「『まじつ』って何ですか?」
それを聞くや、グリゼルダはばっと立ち上がった。その勢いで、座っていた丸椅子は後ろに倒れてしまう。
「まじゅつよ、ま・じゅ・つ! ねえ、あなたふざけているの?」
ハンスとグレーテは顔を見合わせる。魔術なんて聞いたこともない。その様子を見て、グリゼルダは大きなため息をついた。
「はぁあ。田舎田舎と思っていたけど、本当にド田舎出身みたいね。魔術を知らないなんて! ……でもまあ、しょうがないわね。長い間待って、やって来たのがたったの二人ですもの。これ以上贅沢は言えないわ」
「その……まじつが何か分かりませんが、頑張って覚えます! どうか置いてください!」
必死に頼み込むハンスを見て、グレーテも一生懸命お願いする。
「おねがいします! あたしもがんばります!」
「……良いわよ。まだわたくしの本体は封印のクリスタルの中に閉じ込められているし、仕方がないわ。言っておきますけど、さぼったりしたら承知しないから! 誠心誠意、わたくしのために働くのよ? いい、分かったかしら?」
やはりグリゼルダの言っていることは、半分以上理解できなかった。しかし、ここを追い出されても行く当てのない二人は、ここに留まり彼女の言うとおりにすることを決意した。