悪役令嬢は「ボンバイエ!」と叫ぶ〜マリーさんと猛禽系紳士〜
「お世話になりました」
わたしは両親に向かって頭を下げながら(いや、むしろわたしがお世話をしたのよね)と心の中で呟き、借金がチャラになって嬉しそうな顔に腹を立てて、ふんっ、と鼻を鳴らした。
「お姉さま」
「お姉さま」
弟のケリーと妹のヤリーが、目に涙を浮かべてわたしに駆け寄ってきた。
「ケリー、ヤリー、お姉さまがいなくてもしっかりとお勉強をするのですよ」
ふたりの肩に手を置き、優しく言った。
「はい」
「はい」
「知識と特技を身につけて、手に職をつけて、食いっぱぐれない人間におなりなさいね。黙っていては誰もごはんをくれないの。法に触れない範囲であらゆる手段を尽くして、利用できるものはすべて利用するのよ」
「はい、お姉さま」
「はい、お姉さま」
素直な双子は頷き「「どんな手段を使ってでも、食いっぱぐれない人間になります」」と声を揃えて誓った。
「なんていい子たちなの!」
「おいマリー、子どもに妙な英才教育をするな」
わたしの夫となるフレッド・クラスト辺境伯が、苦虫を噛み潰したような顔で口を挟んだ。
「その子どもたちは、俺の責任で自立するまできちんと育てるから、安心しろと言っただろうが」
「そうですよ、奥方さま。もう少し我々を信用してください」
「旦那さまの名誉に関わりますし、お約束はきちんと守ります」
わたしはヤウェン家のお目付役となったエルクと、その横に立ちながら「ごはんの心配は無用でございます。このわたしが三食とおやつをお約束しますので、あなたたちはお勉強をしたり、楽しく遊んだり、子どもらしく暮らせばよいのです。クラストさまに恥をかかせるようなことをしてはなりませんよ」と、淡々と双子に告げているダーナを目を細めて見た。
「……双子が痩せ細ってないか、たまに様子を見にくるわ」
昨日会ったばかりの人を、そう簡単には信用できないけれど……うちの両親よりはまだ当てになる。
「ケリー、ヤリー、とりあえずはそのお姉さんを頼りなさいね」
「奥方さま、とりあえず、ですか。あくまでもその程度なのですね……」
ダーナが暗い目をしたので、わたしは可憐な笑顔を大サービスしながら「あら、でも、現在のところ、わたしが世界で一番当てにしているのはダーナなのよ」と言った。
というか、他に当てにできる人がいないだけの話なんだけどね。
「はい、お姉さま。ケリーはダーナを信用します」
「ヤリーも信用します」
ようやく見知らぬ女性の存在に慣れてきたらしい双子が、そう宣言しながらすすすっとダーナに寄り添った。小さくても食べ物をくれる人はわかるのだろう。すると、割と冷血系に見えていた彼女が意外なことに嬉しそうに頬を染めて、双子の頭を撫でた。
「そう。まあ、よろしいですわ」
口調はつんとしているけど、手はふたりを激しく撫で撫でしているものだから、あまり甘える経験がなかった双子が「むふん」と嬉しそうな顔になる。
予想以上に、うまくいきそうね。
安心したわたしは、ヤウェン男爵夫妻、つまりわたしたちの両親を見て釘を刺すことにした。
「お父さま、お母さま、これからは余計なことをしないで静かに生きてくださいね。エルクの指示に従わないと、生活費は止まりますから、くれぐれもそのことをお忘れなく」
「マリー、時々お小遣いを送ってくれてもいいんだよ」
「マリーちゃん、素敵なアクセサリーとかドレスとかを見つけたら、お母さまにプレゼントして頂戴ね」
「……」
この人たちは、駄目だ。
借金のかたに、娘を評判の悪い男の元へ嫁がせるというのに、罪悪感のかけらもないようだ。
お金のことばかりに気持ちが行っている。
わたしの両親は、お金持ちのお爺さまとお婆さまの莫大な遺産をすべて溶かしてしまった、愚かな夫婦なのだ。
なにをどうしたら、こんな風に育ってしまうのかしらと、不思議でならない。
でも、わたしはケリーとヤリーを気にかけるだけで手一杯だから、ヤウェン男爵家のこれからはエルクたちに任せるしかないわ。
領地の調査から帳簿のチェックから、新しく雇う使用人選びまで、きっとものすごく大変だと思うけど、この変わり者で厳しいと評判のクラスト辺境伯の元で働く人なんだから、きっとなんとかなるでしょう。両親のことも、これから厳しく躾けてくれそうだし、助かるわ。
わたしはクラスト辺境伯と一緒に馬車に乗り込み、領地へと出発した。食料品を買うために売れるものはみんな売ってしまっていたから、荷物になる物はほとんどない。
彼は、鞄ひとつで馬車に乗り込んだわたしに、訝しげな表情で「……たったそれだけか? 結婚するのだから、生活に必要なものは新しく俺に買ってもらいたい、ということなのか?」と尋ねた。
「え? フレッドったら、なにを言ってるの?」
わたしは鞄を床に置き、その上に脚を投げ出して居心地良くしてから言った。
「着替えと身体を拭く布とヘアブラシはこの中に入っているし……まさか寝具を持って行けなんて言わないでしょ? あと、食べ物はあっちにあるだろうから大丈夫だと思って」
「……」
「他になにか必要かしら?」
「……いや、俺の勘違いだ」
クラスト辺境伯はぼそりと呟き、窓の外を眺めて「そこまで貧しいとは……噂とは全く違うではないか」とため息をついた。
「噂ってなんのこと?」
わたしは(この人、横顔は悪くないわね。もう少し太ればなかなかいい男になりそうだわ……)と、クラスト辺境伯を観察しながら尋ねた。
「お前が貴族の男性たちと親しくなって、いろいろな贈り物を貰ったという話だ」
「贈り物は貰ったわよ。でも、みんな売って食べ物を買っちゃったの。ごめんなさいね、なにか嫁入り道具に残しておけばよかったみたいね」
わたしがえへへと笑うと、彼はまた無言になった。
「……いや、嫁入り道具に他の男からの贈り物などふさわしくない。やはり必要なものは俺が買うから、気にするな」
「それもそうだわ、ありがとう。フレッド、あなたって太っ腹ね!」
わたしがウインクしながら彼のことを肘でつつくと、クラスト辺境伯は激しく瞬きしながら「そ、そうか」と言った。
「もしも、今日泊まる町で、なにか必要なものがあるようなら……」
「それなら、換えの下着が欲しいわ! つくろい過ぎて、なんだか股がゴロゴロしてるのよね。わあ、嬉しいわ、ゴロゴロ下着とお別れできるなんて」
ごん、と音がした。
馬車の揺れで、クラスト辺境伯は窓に頭をぶつけてしまったようだ。
「そ、それは……いやむしろ、新婚らしい贈り物になる……のか?」
「そうね、下着なんて旦那さまにしかおねだりできないもの、すごく新婚らしい贈り物だわね。って、フレッドって面白い人ね。あなたも噂とは大違いよ、わたし、断然気に入っちゃったわ」
「お、おう……いや、その」
わたしがにこにこして「プレゼント、嬉しいなー」と言うと、フレッドはなにやらごにょごにょ言いながら赤くなり、やがてそっぽを向いてしまった。
(いいわ、すごくいい! 滑らかな肌触りで、まるで履いているのを忘れるくらいよ)
新しい下着を5枚も買ってもらって、宿でお風呂(湯浴みではなく、お風呂よ! クラスト辺境伯はとってもお金持ちだから、宿も最高級なの)に入ってからさっそく身につけたわたしは、ゴロゴロしないどころか素晴らしい履き心地に大満足していた。
夕飯を食べるために宿の食堂(というよりもレストランかな?)に降りていくと、クラスト辺境伯はハッとした顔になった。
「マリー、その姿は……そうか、服も持っていなかったんだな」
どうやらわたしが同じ服を着ていたのがお気に召さなかったらしい。
「いいのよ、フレッド。ドレスは同じでも、中のパン……」
わたしの口をフレッドが手で塞ぎ、「……あっ」と言って慌てて手を離す。
「そ、そういうことを、淑女が言うものではない!」
「ごめんなさい」
そうね。
やっぱりわたしにはマナー教育が必要よね。
「家庭教師がいたら、もう少し淑女らしい振る舞いを覚えられたんでしょうけど……」
「マリーは、マナーの勉強がしたい……のか?」
「できるものなら、やってみたいわ」
「そうか。ならば、領地に着いたら家庭教師を手配しよう。辺境伯の奥方として、マナーも知らないままでいさせるわけにはいかない」
「え?」
「その前に、ドレスも手配しなければな」
わたしはフレッドに連れられて洋品店に行き、既製品で申し訳ないと言いながら彼が選んだドレスをプレゼントしてもらってその場で着替えた。
「フレッド、ありがとう」
「俺の妻として恥ずかしくない格好を、お前にしてもらわなければならないからだ」
彼はふん、とそっぽを向きながら言った。
「そうね。……似合う?」
「まあ、及第点だな」
「ふふふ」
「なにがおかしい」
「今度、あなたの服を選ばせてね」
「なっ」
わたしは動揺する辺境伯の腕にそっと手をかけて「さあ、ごはんに行きましょう。お腹がぺこぺこよ」と笑いながら言った。