Return valentine
黒幕系彼女 ホワイトデー 後日談
忘れてはならない。今日が何の日かを。
そう、ホワイトデーだ。
バレンタインに縁がない男子ならホワイトデーにも縁はないが、幸運な事に俺には縁がある。その縁は他でもない……最愛の人との縁だ。
水鏡碧花。
人生全てを費やして成就させた初恋の熱は留まるところを知らない。俺は彼女を救う為だけに全てを賭した。その果てに二人の日常はある。大層な価値を見出すつもりはないが、この日常さえも全力で過ごさなければいけないと俺は思っている。
特に今日。
今日だけは本気にならなければいけない。バレンタインデーに碧花は恋人として初めてのチョコをくれた。それは彼女の手作りであり、味も俺の舌を知り尽くしているかの如き完璧な調整だった。様々な意味で完成度の高いチョコを送られておいてこちらは手抜き……なんて。男が廃ると思わないか?
無論、俺に料理は出来ない。にわかな知識と中途半端な経験が碧花に並ぶ筈も無し。市販の物を買うしかないのだが……非常に残念なお知らせがある。
碧花の好みが分からない!
彼女は俺の全てを知っているだろう。だが俺は彼女の何を知っている? プレゼントは喜んでくれる。これまでも気まぐれに数度プレゼントしたら大変喜んでくれた。だが、それは果たして好みなのか? 彼女は嘘をつかないから喜んでいるのは間違いないが―――
―――どれにしようかなあ。
今はネットを使ってチョコレートを検索しているが、どれもこれも言い方は悪いがピンと来ない。感覚的に探しているせいだろうか、じゃあ合理的に探せと言われても、俺はチョコレート知識が皆無に等しいので不可能だ。軽くネットで『チョコの探し方』と拾っただけでは駄目だろうし。
「ああ~もう無理だよー……」
「さっきから独り言煩いんですけどー」
溜息を吐いた俺の前に現れたのは唯一の肉親こと首藤天奈。基本的には素直じゃない妹だが、碧花が来てから随分と優しくなった気がする。本人曰く『お兄ちゃんのお世話は碧花さんがしたがる』との事。
まるで俺がヒモみたいな扱いなのは真に遺憾である。
「よう天奈。おはよう」
「おはようじゃないわよ。独り言が煩いったらないもの。今日は休日なんでしょ? 碧花さんと出かけないの?」
「いやあ俺も出かけたいのは山々なんだけど……おお聞いてくれるか妹よ!」
「何も言ってないんですけど! ……まあいいか。お兄ちゃんにずっと溜息吐かれるのも煩いし、聞いてあげるよ」
「いや実はな……」
俺は自らの抱える悩みを妹に打ち明けた。わざわざ省く程の長話でもないが、途中から話が脱線して碧花との惚気話になったせいで天奈は凄くうざったそうに眉を顰めていた。
「で、要するにお兄ちゃんはその天使の口づけみたいなチョコレートに匹敵するチョコをあげたいんだ」
「いや違うんだよ。あれは碧花にしか作れないんだよ分かってないなあ。勝つとか負けるとかじゃなくて、俺もそれに見合ったチョコをあげないとなって話だ」
「うわうっざ。お兄ちゃん自分の立場分かってないよね? 話聞いてあげてるんだよ? それに見合ったって、結局匹敵するって事じゃん」
「違うんだよだからあれは―――」
「惚気はもういいですぅー! とにかく同じくらいのものを渡したいんでしょ? 最初からそう言えばいいのに、どうして惚気話に繋がるの?」
「すまん。繋げるつもりは全くない。繋がってしまうんだよ勝手に」
俺は表情を石造に固めて頭を振った。どれだけ真剣さを持っているか示したつもりだが、天奈の反応は芳しくない。
「知らないわよ、繋げるとか繋がるとかどっちでもいいわ。それにしても、お兄ちゃん以上に碧花さんと交流してる人っていないんだから、お兄ちゃんが知らないならもう本人に直接聞いちゃえば?」
「え? それサプライズ感ゼロじゃん」
「毎年贈り合ってたんでしょ? どっちみちサプライズ感なんてゼロよ。でも、それでも碧花さんは楽しみにしてると思う、この家に住むようになってから碧花さん本当に良く笑うようになったもん。お兄ちゃんと一緒に過ごせるのがきっとそれだけ嬉しいんだよ。だからさ、そんなズレた考えは捨てて、もう直接聞いちゃえばいいじゃん」
直接、か。
妹から送られた忌憚のない意見は、俺の心に深々と突き刺さった。言われてみればその通り、恋人になる前から俺達は互いにチョコを贈り合っていた。だがその時でさえ年が違えば渡すチョコも違っていた。その基準は一体何処から引っ張り出した物なのだろうと、つまりはそこが聞きたい。
俺はどういう観点からチョコを選んでいたのだ、と。
人間の記憶領域には限界がある。碧花と過ごした日々は一日たりとも忘れていないが、代わりに自分の行動はてんで覚えていない。
「天奈。女の子が好きなチョコってどんなのだ?」
「え、女の子が好きなチョコ? 人に因ると思うけど……普通はホワイトチョコとかかなー。あ、ごめん。今の忘れて。私の好みだもん。碧花さんも同じとは思えない。ていうかさ、なんでお兄ちゃん知らないの? それでも恋人?」
「面目ない」
何を渡しても喜んでくれるから、調査を怠ってしまった。言い訳はするつもりがない。碧花に対して怠慢をしたのは事実なのだ。人はこれを優しさに甘えているだけと言う。碧花は優しすぎるのだ。それを悪いと言うつもりはない。文字通り責任転嫁をする事になるから。
これからは俺が碧花を守らなければいけない。甘えるだけの一方通行は許されない。
「……碧花、何処に行くって言ってた?」
「買い物じゃない? 今日は腕によりをかけて作るって言ってたよ」
「じゃあ邪魔するのは良くないな…………うーん」
「まだ悩んでるの? 私のアドバイスは効果ゼロって訳? 聞くだけなら大して邪魔にもならないよ」
「いやあ、そうじゃなくてさ……」
碧花は気持ちを籠めて俺に送ってきた。それを金額で返礼するのは良くないと思う。かと言って気持ちだけでまともな物は創れない。
となると―――
「ただいまー」
買い物から帰宅したはいいが、玄関を閉めたと同時に私は動けなくなってしまった。何故かと言われると、狩也君がこれ以上ないってくらい誠実な瞳で私の事を見つめてきたからだ。
「な、何ッ?」
両手には何もない。彼の性分を考慮するに、サプライズの前振りか何かだろうか。ノってあげたい所だけど、今日の彼はいつになく圧が強い。怯むしかなかった。
「今日はホワイトデーだ。バレンタインデーのお返しをする日だ」
「う、うん」
「それで……色々考えたんだが、お前に一番満足してもらうには、やっぱりお前の舌に合ったチョコをあげたらいいと思ったんだ。でもお前の好み―――俺、知らないからさ」
彼の頬に朱が差した。照れているというよりは、恥ずかしがっているみたい。私は彼の好みを全て把握しているけれど、そう言えば私の好みを開示した記憶はない。彼がくれるならあらゆるプレゼントが最高なんだもの。だから悩む必要なんてないのに、きっと彼はその差異に忸怩たる思いを抱いたんだと思う。恋人の事を何も知らない……そんな風に考えて。
狩也君は顔の前で合掌し、頭を下げた。
「だから頼む! 俺と一緒にチョコを作ってくれ!」
「……狩也君。私は君がくれるならどんなものでも」
「俺だってお前を愛してるんだ! お前の愛は全部受け止める。でもたまには俺からも……その……お前に愛を贈りたい! もっとお前を知りたいッ」
―――ッ。
「お前が俺を知り尽くすなら、俺もお前を知り尽くしたい! お前を生涯守るのは変わらないけど、その前に」
「もういいよ狩也君」
それ以上の告白を聞くのはズルい気がして。私は強引に彼の言葉を遮った。
「もう十分だ。君の想いは十分伝わった」
「―――駄目か?」
「駄目? 何でだい? 私の事を知り尽くしたいんだろう? 駄目な筈ない。私は凄く嬉しいよ、うふふ♪ チョコを作りたいんだったね。いいよ、一緒に作ろうか。それが終わったらご飯にして、その後は一緒の部屋で恋人らしい事を……ふふ♡ 私を知り尽くしたいって君は簡単に言ったけど、一日二日で知り尽くせる女性ではないつもりだ。時間がかかるよ。物凄くね」
「お前の為に時間を使えるなら本望だ! よろしく頼む!」
その、何処までも誠実で、まっすぐで……優しい心に、私は惚れたんだっけ。
懐かしくもある恋の切っ掛け。されども私の魂は今も彼の為に燃え続けている。恋とか愛とか、そんな単純に語り切れない大きな想いは、今も滾り続けている。
「……じゃあ、早速だけど準備しようか」
「おう! ……あ、でもチョコの材料が」
「心配しなくても十分にあるよ。時間もね。だから失敗してもいい。ゆっくりでいいんだ。二人のチョコが出来上がるまで―――頑張ろうね!」
後ろ手を組み、私はにへらと気の抜けた笑顔を浮かべてみせる。
狩也君と出会えて、私は幸せです。