夜も更けてきて
僕の家は二階建てのアパート……そこの二階にある角っこの一室だ。
菖蒲が宛がってくれたここは、所謂、いわくつき物件というやつだ。
なんでも『出る』のだとか?
駅近、築数年しか経っていないほぼ新築状態の優良物件だというのに空き部屋が多い。
……とは、言っても。
死霊憑きである僕にとって幽霊はそう怖くもない存在だ。死霊と幽霊をごっちゃにすると菖蒲に怒られそうが、襲ってくるかこないかくらいの違いくらいしか分からない僕にとって、幽霊なんて死霊に比べればフワフワ漂うだけの人畜無害極まりない存在なのだ。部屋に入ってくる虫、祓おうと思えばいつでも祓える存在────。その程度の認識しかない。
それでも、住み始めた当初は恨み言とかで煩かったら嫌だな……だなんて思ったり、数が多いならまとめて祓ってやる……だなんて意気込んだりもしていたものだが、結局、今まで一度も幽霊が現れたことは無い。三か月以上住んでこれなので、今後も幽霊が出る可能性は少なそうだ。
これではいったい何がいわくつきなのか分からない。
出ると思った幽霊が全然でないので、幽霊ウェルカムな物好きすらも住み付くことは無く、本来10世帯は住めるのに僕を含めて三世帯しか住んでいない。
────そんな残念なアパートの一室が僕の家だ。
個人的には下にも隣にも住人がいないくて助るのでありがたいのだが、この不動産の持ち主が菖蒲というところが笑えない。喫茶店といい不動産関係といい、どうして自称魔女の彼女はこうも商売が上手くないのか……。
と、先まで話していた彼女のことを考えながら階段を上がっていく。クリーム色をした壁は誰か掃除しているのか汚れは少ない。
二階、一番手前の部屋は唯一……いや、唯三?の入居者がいる。まだ見ぬその人物は僕とは生活リズムが全く合わないのか一度も見たことは無い。若い女の人が住んでいると下の階に住む老夫婦から聞いたことがあるが、いったいどんな人間なのだろうか。
表札の無い部屋を過ぎ、空き部屋三つ分進んで部屋に着いた。
────ガチャリ。
鍵のかかっていないドアノブを回して中に入った。
玄関には、同居人のスニーカーが一つちょこんと並べられている。その横に自分の分を適当に並べて、二メートルほどの短い廊下を進んでいく。
奥のドアを開けると、真っ暗な部屋の中に小さな人影があった。
その影は、淡いオオムラサキのような幻柴光色の光子を纏っている。
「ただいま」
数秒遅れて「おかえり」と返事が戻ってくる。
その言葉と共に光も消えた。
「遅い……散歩?」
「いや、一回菖蒲のところに寄ってた。それより、シーナは探し物か?」
電気のスイッチを探しながら同居人────シーナに聞く。
僕はシーナと一緒に住むのはおかしいと散々拒んだのだが、菖蒲の「ナナはほら、色々と初心者だろ?シーナにぜんぶ教えてもらった方が便利じゃないか」なんていう頭の悪い言葉になぜかシーナが賛同してしまったことで、このなんとも奇妙な同棲生活が始まることになった。
明かりをつけてから適当な場所に座る。とはいえ、冬は炬燵となるテーブルとシーナ用のベッド以外にロクな家具の無い部屋だ。必然としてシーナの対面に座るくらいしか僕に選択は残されていなかった。
「うん少し……わたしも気になったから」
電気の光で明るみになったシーナの顔はいつもと変わらぬ無表情。そのまま「ナナはどうするの?」と聞いてきた。
シーナは先に店に戻っていたので、菖蒲から僕と似たようなことを話してきたのだろう。
彼女はいつもみたく、僕にその選択権を委ねる。シーナは、僕と組んでからというものいつもそうやってきた。『殺人鬼』の時みたく、例え僕の答えが間違っていたとしても最後まで一緒についてくるつもりなのだ。
そのことが少しだけ心強かった。
「菖蒲と話してみて、とりあえず今は様子を見ることにした。死霊憑きなら早く対処しないといけないけど……いつもと違って、今のところアレは死霊憑きと断言できないから」
「そう……」
「菖蒲の依頼人は春野瑞希の顧問らしくて、依頼内容も彼女が心配だから調べてくれっていうものみたいだ。だから、菖蒲も今回ばかりはギリギリまで待つと思う。それに、あくまでも仮説にすぎないけど気になることもあるしね……」
「わかった。でも……もうあまり時間は無いと思う」
「そう、だな……。最悪の場合、アレは三日前には死霊憑きになっているはずだ。そうなると猶予はもっても一週間てところか」
自分で言っておいてなんだけど、正直なところ彼女の〈期限〉はもっと短いと思う。
この世すべての魂には、魂として存在できる制限時間────〈期限〉が存在する。もう少し詳しく言えば、〈生命〉は、大きく分けて〈魂〉、〈肉体〉、〈精神〉という三つの構成成分がすべてそろった状態で成り立っているのだが、実は、構成成分自体は単体でも〈生命〉足らしめる存在として成ることが可能だ。死霊などがいい例だろう。
しかし当然、それは本来あるべきカタチの〈生命〉ではないから歪みが生じ、綻びが生じ、いつかは破綻してしまう。その────歪んだ〈生命〉の崩壊までの時間のことを魔術師(菖蒲曰く、魔術師や魔法使いとは成り立ちが違うから本来、そう呼称すべきではないんだけど。でも■■■師なんて今どきなんて言うべきか分からないし、どのみち発音も違うから便宜上、ここではそう呼ばせてもらうよ)たちは〈期限〉と名付けた。
構成成分によって〈期限〉は異なり、〈魂〉の〈期限〉は長くて一週間から十日ほど。
それは、死霊憑きと成るまでの時間とイコールだ。
けれど、春野瑞希の場合。
死霊憑きよりも歪んだ存在である可能性がある。
……で、あれば。
彼女の〈期限〉はもっと短い。
シーナもある程度は察していたのだろう。
僕の言葉に小さく頷いた。
そして、唐突に────
「────みつけた」
シーナの銀髪から幻柴光色の光子が迸った。
それは、シーナの呟きより幾分か早く、情報として僕の視界へと飛び込んできた。
シーナはいったい何を見つけたのだろうか。
僕は、何となくそれをわかりながらも彼女に問う。
「春野瑞希……。場所は、本馬陸上競技場」
翠色の瞳を輝かせながらシーナは答える。
「こんな時間に……?」
スマホの液晶画面、デジタル時計を確認すると時刻は二十二時半を過ぎていた。
少なくとも練習でいるような時間ではない。
「理由は分からない。けど……そこに、いる」
淡く燃える炎のような幻柴光色の光がシーナを包み込むように輝いている。
シーナが能力を使って見つけたのだ。理由こそ分からないが、春野瑞希が競技場にいることは間違いない。
「今なら、春野瑞希が分かる……か」
自分で確かめるように呟く。
僕たちは夜飯も済まさず部屋を出た。