邂逅
「シーナ。お前まさかそのまま学校行く気か?」
登校準備を終えた僕の後ろを付いて回るシーナにそう言った。
「そうだけど?」
「いや、さすがにその服装は……」
言いながら、シーナの格好を確認する。
無地の白いTシャツに、グレーのパーカー。下はジーンズにスニーカーとシンプルな装いだが、さっきまで店の準備をしていたからかエプロンをつけたままだ。エプロンにつけてある黒猫のワッペンがお気に入りみたいだけど、こんな格好で登校というのはいかがなものか。
シーナは高校生ではない。……年齢はそれくらいだけど、僕とは違ってどこの学校にも所属していないのだ。そんな見ず知らずの人間が学校に現れたら目立って仕方がない。そういうのは面倒だ。
それに、ただでさえシーナは外見の良さもあってかなり目立つ。そこにプラスしてこの格好だ。こんな奴が学校にいたら二度見もの間違いない。
二度目の登校でそんな悪目立ちなんてしたくない。
「ダメ?」
「そ、そんな顔をしてもダメだ」
「そう。でも別に能力を使うから関係ない」
「……それを先に言えよ」
「ったく、お前たちは相変わらず可愛いやり取りをするなぁ」
僕の制服姿を見てからというもの、ずっとニヤニヤ笑っていた菖蒲が横槍を入れてきた。
その手元には開いたグラスがある。お代わりのカル○スもあっという間に飲み干したようだ。
「今の菖蒲にだけは言われたくないな」
隣のシーナもうんうん頷く。
それに菖蒲は小さく舌打ちした。
「私だって好きでこんな体になったわけではないんだからな。ほんとだったら今頃は……」
そう言って、菖蒲は自分の世界に入ってしまった。
ブツブツ何か呟いているが、違う言語を使っているのか聞き取れなかった。
たぶん昔の『失敗』とやらのことを思い出しているのだろう。
僕はよく知らないけれど、菖蒲は〈魔女〉と呼ばれる世から忌み嫌われた存在なのらしい。しつこい追手がいてかなり苦労したのだとか。それは僕たちに関係のない話だし、もう終わってしまった話だけど……。
「じゃあいってくるね」
どこか遠くへ行ってしまった菖蒲を無視してシーナはドアノブに手をかける。
相変わらずマイペースな奴だ。
「いってきます」
一応、菖蒲に一言かけて僕も外に出た。
『ナナ。屋上には近づくなよ』
ドアが閉まる直前。
カランカランと鳴るドアベルの音と共にそんな忠告が聞こえた。
☆★☆★☆★☆
時刻は十一時前。
あらかた今日の分のメニューをこなした私は少し休憩をとることにした。
マネージャーからタオルとスポーツドリンクの入ったボトルを受け取り、適当な場所に陣取る。そこは、グラウンドにある数少ない木陰で、私にとっての定位置だ。
別に、みんな来てくれても構わないのだけれど、私が大会前でピリピリしていると勘違いでもしているのか、最近は一人のことが多い。確かに、うちの学校から今年インターハイに出場するのは私だけだし、お世辞にもうちの陸上部は強豪とは言えない。けど、だからと言って変に気を使われるのは個人的に嫌だし……。
「ふぁいとー」
メニューがまだ残っていて、トラックを走る他の部員に掛け声がかかる。
私も掛け声をかけてから、ボトルを口にした。
「ん?……うわぁ、これ水じゃん」
予想した味を超えて薄かったので、思わず吹き出しそうになった。
おっちょこちょいなうちのマネージャーのことだ。スポーツドリンク用の粉を入れ忘れたのだろう。そういうところも可愛げがあって私は好きだけど、これでも一応三年生なんだし注意はしとかないといけない。この前だって────
────あれ、なんだっけ?
そこだけぽっかり穴が開いてしまったみたいに、私はそのことを思い出せなかった。
「ま、いっか」
そのことを私はあまり気にせず、独りごちる。
ぼーと他の部員が走るグラウンドを眺める。
その間も流れる汗がぽたぽた太腿に落ちていく。
その感触がこしょばゆくてタオルで汗を拭った。
それでも汗は流れることを止めない。ふき取ってもそこから新しい汗が噴き出していく。
────ほんと、今日は暑い。
朝から熱中症対策のブザーは鳴りっぱなしだったし、今日は風も少ない。時折り吹く生温い風も逆効果で、みんなの様子を見てもかなりへばっているようだった。
私だってこんなに暑いのはうんざりだ。……だけど、今日の私は不思議と調子が良かった。
自己ベストとまではいかないけど、シーズンベストも出たし、走るときの踏み込みが力強かった。この調子ならインターハイでも入選は間違いないと思う。もちろん、私の目標はインターハイで入選や優勝することなんかじゃなくて自分の走りをすることだけだ。
それだけがまだできていない事。
満足の行く走りなんて、もう一年近くできていない気がする……。
けど、最後のランは惜しかった。
苦手なコーナ部分の崩れも小さかった。
今日は足の調子もいいし、次こそは修正して見せる。
「いよーっし!やるぞー!!!」
────と、自分を鼓舞したときだ。
グラウンドに知らない生徒が二人いるのが目に入った。
銀色と黒……?
あまり人を覚えるのが得意ではない私は、いつものように色合いでその人たちをイメージしていく。
二人は見学のつもりなのか、今日はサッカー部が練習試合に出て使っていないゴールの前に立っていた。
そのうちの一人。
黒い方と目が合った。
距離はあるのに、これだけは確信できた。
今、私とあの人は何かを共有したと……。
────ぎちぎち。
瞬間、体のどこかで歯車のズレる音がした。
☆★☆★☆★☆
時を同じくしてゴール前。
「あいつだ」
死霊憑きは小さく呟く。
「けど腑に落ちないこともある。アレはなんだ?」
「知らない。……けど、多分菖蒲はアレとナナを会わせたかった」
「だろうな」
「じゃあ、もう帰る?」
恐らく用は済んだ。
今日は暑いし、あとはさっさと店に戻ってカル○スでも飲むのが正解だ。
だが、死霊憑きには学校に来てからというもの気になることが一つだけあった。
「いや、ボクはもう少し周ってから帰る。シーナは?」
「暑いから帰る」
「そっか」
グラウンドを後にし、校門前でシーナと別れた。
「ばいばい」
別れる前に手を振るようになったあたり、彼女は成長しているらしい。
シーナの後ろ姿を見送って、死霊憑きは先の登校時と同様、屋上を眺めた。
────宙に揺蕩う白と黒。
そこには人の形をした『ナニカ』が在った。